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あなたの優しさは、暴力でした  作者: 熊猫ぱんだ


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15/16

縋る

 叩かれる前に、私は謝るようになった。


 彼がため息をついた瞬間。

 眉を寄せた瞬間。

 空気が重くなった瞬間。


 「ごめんね」


 まだ何も起きていないのに、先に頭を下げる。

 彼は最初、驚いていた。

 でもすぐに慣れた。


 「分かってるなら最初からやるなよ」


 その通りだと思う。

 私は彼の顔色で動く。

 声の高さで感情を読む。

 帰宅時間で機嫌を予測する。

 うまくできた日は、叩かれない。


 それが嬉しい。

 今日は成功だ、と胸を撫で下ろす。

 基準がおかしいことに、気づかないふりをする。

 ある夜、彼がぽつりと聞いた。


 「俺いなくなったらどうすんの?」


 冗談みたいな口調。

 でも目は真剣だった。

 私は考える間もなく答える。


 「無理」


 本音だった。

 彼がいない生活なんて、想像できない。

 彼は少し笑う。


 「だよな」


 満足そうに。

 その顔を見て、安心する自分がいる。


 情けない。

 でも、嬉しい。

 私はもう、逃げる側じゃない。


 縋る側だ。

 彼の腕にしがみついて、置いていかれないように必死になる。


 叩かれても。

 突き放されても。

 最後に抱きしめてくれるなら、それでいいと思ってしまう。



 外で、小さな異変が起きたのは、その頃だった。

 久しぶりに会った友達が、私の顔をじっと見る。


 「痩せた?」


 笑ってごまかす。


 「ちょっとね」


 カフェのガラスに映る自分は、確かに少しやつれている。

 でもそれより。

 目が、違う。

 友達がふと腕に触れる。


 「ここ、どうしたの?」


 一瞬、息が止まる。

 袖を引き下げる。


 「ぶつけただけ」


 嘘が、自然に出る。

 そのとき、スマホが震えた。

 彼からだ。


 『どこ?』


 たった二文字。


 心臓が跳ねる。


 すぐ返信する。


 『友達とカフェだよ』


 既読。

 間があく。

 その数秒が、怖い。


 『早く帰ってこい』


 命令。

 理由はない。

 でも従う。


 「ごめん、そろそろ帰るね」


 友達が少し不思議そうな顔をする。


 「大丈夫?」


 その一言に、なぜか涙が出そうになる。

 大丈夫。

 その言葉が、喉につかえる。

 私は、笑う。


 「うん」



 帰宅すると、彼は無言だった。

 テレビを見ながら、視線だけ寄越す。


 「楽しかった?」


 穏やかな声。

 でも試されている。


 「うん。でもすぐ帰ってきたよ」


 彼は立ち上がり、私の顎を掴む。


 「俺より楽しいの?」


 違う。

 そんなわけない。


 「違うよ」


 即答。

 それで満足したのか、手を離す。


 その瞬間。

 胸の奥に、何かが落ちた。

 小さな、硬いもの。

 このままじゃいけない。

 ほんの一瞬だけ、冷静な自分が顔を出す。


 彼のスマホ。

 あのやり取り。

 暴力。

 命令。

 全部、証拠になる。


 私は彼を失うのが怖い。

 でも。

 このまま壊れていくのも、怖い。


 その夜。

 彼が眠ったあと。

 私は静かにスマホを手に取った。

 自分の。

 録音アプリを開く。

 指が震える。

 怖い。

 でも、震えながら思う。


 もし。

 もしも全部終わるなら。

 せめて、私が悪者にならないように。


 小さな芽。


 それは復讐というより。

 生存本能だった。

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