お前のため
彼は、怒鳴らない。
殴らない。
だから余計に、壊れる。
朝。
「その服、ちょっと派手じゃない?」
柔らかい声。
鏡の前で立ち止まる。
昨日までは何も言わなかったワンピース。
「え、そう?」
「男いる職場だろ?」
笑っている。
冗談みたいに。
でも目は本気。
私はクローゼットに戻す。
「そっちの方が似合うよ」
彼が選んだ、無難な服。
『似合う』
否定じゃない。
提案。
優しさの形。
⸻
夜。
スマホを触っていると、彼が覗き込む。
「誰?」
声は軽い。
でも視線が鋭い。
「大学の友達」
「男?」
「うん、でも…」
「でも?」
沈黙。
彼は小さく笑う。
「俺が嫌だって言ったら?」
その言い方。
選択権があるようで、ない。
「……じゃあ、連絡しない」
彼は満足そうに頷く。
「ほら、わかってるじゃん」
頭を撫でられる。
ご褒美みたいに。
胸がじわっと苦しくなる。
⸻
少しずつ。
本当に少しずつ。
世界が狭くなる。
友達と会う回数が減る。
「最近忙しいから」
と、私が言うようになる。
彼は言わない。
「行くな」とは。
でも行くと、機嫌が悪くなる。
無言になる。
ため息をつく。
私は耐えられない。
だから行かなくなる。
⸻
ある夜。
私がふと聞く。
「まだ、あの人と連絡取ってる?」
一瞬の静寂。
彼は、ゆっくり振り向く。
「まだその話するの?」
怒っていない。
呆れた顔。
それが一番きつい。
「俺、ちゃんとしてるって言ったよな」
『ちゃんと』
その言葉が、鎖みたいに絡む。
「信じられないなら、結婚無理じゃない?」
さらっと。
軽く。
でも、心臓に直撃する。
結婚無理。
それは、私が一番怖い言葉。
「……ごめん」
また謝っている。
本当は違うのに。
彼はため息をつく。
「俺さ、お前の不安全部受け止めてきたよな?」
受け止めてきた。
確かに。
泣いた夜も。
発作のときも。
抱きしめてくれた。
「でも俺のことは信じないんだ」
違う。信じたいから苦しい。
でも言葉にならない。
彼は静かに言う。
「俺のほうが疲れてるかも」
その瞬間。
胸の奥で何かがひっくり返る。
疲れてる?あなたが?
でも顔を見ると、少しやつれている。
私のせい?疑ったから?泣いたから?
重いから?
思考が絡まる。
「……ごめん」
また。
また、私。
彼は優しく抱きしめる。
「いいよ。俺はお前捨てないし」
その言葉。
安心のはずなのに。
なぜか、ぞわっとする。
『捨てない』
対等じゃない。
選ぶ側と、選ばれる側。
私は、選ばれる側。
⸻
ベッドに入ってから、彼は囁く。
「俺がいないと無理だろ?」
冗談みたいに笑う。
私は、笑えない。
否定できない。
それが事実に思えてしまうから。
胸の奥で、冷たいものが広がる。
優しさはある。
でもその優しさは、
私の足を少しずつ縛っている。
逃げられないように。
自分で逃げる力を、削るように。
私は天井を見つめる。
いつからだろう。
彼の言葉を、確認せずに受け入れるようになったのは。
いつからだろう。
自分より、彼の機嫌を優先するようになったのは。
でも。
心の奥で、まだ消えていないものがある。
あの日見たLINE。
『あいつ依存してるし楽』
あの言葉は、消えていない。
私は壊れかけている。
でも、完全には壊れていない。
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