第四十三話 神隠し ——消えた足跡と沈黙の理由
テオたちは老婆に案内され、少女が姿を消した場所を確かめた。通りはひどく閑散としており、少女どころか他の人影すら見当たらない。ただ、通りの端に、靴の片方が引きずられたような跡が、薄く残っていた。
老婆が、何度も少女の名を呼ぶ。
レティシアはその背に鋭い視線を向け、冷たさすら滲む声で言った。
「あなた、何か知っているんじゃない?」
老婆は目を逸らし、皺だらけの手を小刻みに震わせる。しばらくの沈黙ののち、絞り出すように口を開いた。
「あの子だけじゃないんだよ」
その言葉に、テオとレティシアは息を潜めたまま、続きを促すように視線を向ける。
「どういうこと?」
老婆は恐怖にすくむように目を伏せた。
「ここでは、よく子どもが消えるんだ。この前も、隣の家の子が突然」
「それは、いつからですか?」
唇を一度きゅっと噛みしめてから、老婆は答える。
「何年も前からだよ。ここ最近、また増えてきて……戻ってきた子はいない」
「戻ってこない?」
テオは思わず聞き返した。
「何か、原因に心当たりはないんですか?」
わずかな沈黙のあと、かすれるような声が返ってくる。
「わからないよ。誰も口にしないんだ。でも、誰かが連れ去っているのかもしれない」
声は次第に小さくなっていく。だが、その声音には、ただの憶測とは思えない重さがあった。テオには、老婆が何かを確信しているように感じられた。
すぐには言葉を返せなかった。どう応じるべきか迷う間も、隣でレティシアの視線がテオを伺っているのがわかる。
「わかりました。教えてくれてありがとう」
テオはそう言って、わずかに口元を緩めた。
「探すつもりなの?」
レティシアが問いかける。眉を潜めたその表情を見て、テオは一瞬だけ言葉を失った。少女に拒まれたときの感触が、胸の奥にまだ残っていた。だが、それでも放っておくという選択はできなかった。
「探さないわけにはいかない」
自分に言い聞かせるような声だった。レティシアとルメルクの視線を痛いほど感じる。
レティシアはその言葉を黙って受け止め、視線を老婆のほうへと戻した。警戒を滲ませたまま、短く息を吐いた。
「私たちが首を突っ込むことじゃないのかも。でも……やるんだね」
テオは小さく頷いた。
「それなら、私も行く」
硬さの残るその表情に、テオはわずかに驚きながらも、すぐに頷き返した。
「ありがとう」
老婆と別れたあと、テオはふと足を止めた。周囲の空気を探るように、静けさへと意識を研ぎ澄ませる。風の気配、砂の音、その奥にかすかに残る違和感。
「少し待っていてくれ」
そう告げて、地面へ向けて手を広げ、目を閉じた。竜脈の気配が、ゆっくりと彼の感覚を満たしていく。脈動する流れに意識を沈め、そこに残された異質な痕を辿る。自然の流れとは噛み合わない歪み。誰かの意思によってねじ曲げられた名残。
「……あった」
静かに呟き、テオは目を開く。
「ここだ。魔法の残滓だ」
確信があった。高位魔法は、その痕を完全に消し去ることはできない。竜脈に刻まれた歪みは、静かにだが確かに残り続ける。
「竜導士が?」
「ああ。転送魔法だ。竜導士が、あの子を……」
言葉の続きを飲み込む。嫌な想像が脳裏をよぎり、無意識に歯を食いしばっていた。
「どこへ?」
「行き先まではわからない。ただ、転送魔法ならそう遠くには行けないはずだ」
自分に言い聞かせるように言いながら、テオは残滓の感触をもう一度確かめた。
「転送魔法が使えるってことは……」
「よほど高位の竜導士か」
そこで言葉を切る。それ以上は口にしたくなかった。無意識に拳を握りしめる。
「この里の長に、会わないわけにはいかなさそうだな」
◇
人工太陽の真下、里の中央にそびえる一際高い塔。その内部、半円形の卓を囲む黒塗りの椅子は、竜導士評議会に集った者たちの思惑と緊張を映すかのように沈黙していた。外界から完全に遮断されたこの空間は、呼吸すら慎重になるほどの重苦しい静けさに支配されている。彼ら自身もまた、この閉ざされた場所が里の行方を左右する場であることを、よく理解していた。
その静寂を破ったのは、中央に立つ報告官の声だった。
「確認されたのは、南の工房通りです。彼らは“宮廷竜導士”を名乗り、現在は南地区の居住者区画に隔離中です」
半円卓の空気がわずかに揺れる。動揺と警戒が、言葉になる前に波紋のように広がっていた。一人の男が静かに手を上げると、ざわめきは途絶える。
「宮廷竜導士、か……」
ヴァルターと呼ばれるその男は、口元に薄い笑みを浮かべながら立ち上がった。その笑みが礼節によるものではなく、状況を利用する者のそれであることを、本人以外の誰もが知る由もない。
「南地区は私の管区だ。私が確認しよう。身元の真偽も、目的も、こちらで精査する」
「待て、ヴァルター。本物の宮廷筋であれば軽率な行動は外交問題を招く」
別の議員が牽制するが、ヴァルターはそれを意に介さない。
「もちろんだとも。こちらから敵意を見せるつもりはない。ただ、万一にも南地区の管理体制が問われるような事態になるのは避けたいだけだ。先に彼らが何者かを把握するのは、当然の配慮だろう?」
沈黙が落ちる。議長はその間に、ヴァルターの言葉の裏を量り、同時に他の選択肢の不在も理解していた。
「……いいだろう。お前に任せる。ただし、記録はすべて残したまえ」
「承知した。すべてはこの里の平穏のために」
丁寧な礼とともに、ヴァルターは再び席に着く。その内側で既に算段が動き出していることを、誰も知らない。ただ一つ確かなのは、この決定が、静かに波紋を広げていくという未来だけだった。




