第四十一話 余所者 ——許されざる滞在
人工太陽は、本物と同じように、時の移ろいを再現しているらしかった。空の光がゆるやかに弱まりはじめると、それに呼応するように、道の端に並ぶ小さな灯具——この里独自の“街路灯”と言っていいもの——が、ぽつり、ぽつりと淡い光を宿していった。
王都には、夜道を照らす仕組みなど存在しない。だからこそ、このささやかな灯りが、異国に迷い込んだような感覚をいっそう強めていた。
テオドールもレティシアも、すっかり歩き疲れていた。
「……ないね、やっぱり」
レティシアが肩を落とす。
二人はこの数刻、町の隅々まで歩き回った。市場も、広場も、人の出入りが多い建物も覗いたが、馬車を持ち込む方法どころか、今夜、夜を越せる場所すら見つからない。
「そもそも、旅人向けの施設なんて最初から存在しないんだろうな」
テオはゆっくり息を吐いた。
「……戻る?」
レティシアの問いかけに、足を止める。
「そうだな……」
言葉とは裏腹に、胸の底では答えが揺れていた。この里の人々と深く関わるべきではない——そんな直感がある。しかし、他に道もなく、馬車も放っておけない。
気がつけば、二人の足は自然と工匠通りへ向かっていた。迷ったはずなのに、歩けば歩くほど、ゲルトの工房だけが行き先として残されているように感じられた。
薄明かりの落ちる作業場では、まだ工具の音が途切れ途切れに響いていた。テオが意を決して扉を叩くと、しばしの沈黙ののち、ゲルトが顔を出した。彼は二人を一瞥し、鼻を短く鳴らす。
「馬車は持ち込めたのか?」
テオとレティシアは、同時に小さく肩をすくめた。
「いえ……今晩泊まる場所がなくて」
気まずそうに言い出すと、ゲルトは目を細めてため息をひとつ落とす。
「ああ。だろうな。ここは顔見知りで固まる里だ。外から来たやつの寝床なんざ用意されちゃいない」
ぶっきらぼうだが、追い払う気配ではない。ゲルトは手にしていた工具を卓に置き、肩をぐるりと回した。
「物置が空いてる。使え。……寝床になるかは知らんがな」
素っ気ない言い方だったが、その低くこもった声の中に、わずかな気遣いが滲んでいた。
「……本当にいいんですか?」
「道具には触るな。物も壊すな。火は使うな。騒げば叩き出す。——それで良ければだ」
条件は多いが、拒絶の言葉ではない。
レティシアがほっと息をつくと、テオも姿勢を正し、深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
その真面目な礼に、ゲルトの口元がかすかにゆがんだ。それが笑みなのか単なる癖なのか、二人には判別できなかったが、少なくとも、追い返される心配はなさそうだった。
工房の隅で、古びた毛布がふたつ丸められている。テオはそれを見つめ、胸の奥の強張りがゆっくりとほどけていくのを感じた。
少なくとも、今夜の寝床は確保できた。それだけで十分だ。静かに吐いた息は、ほのかに安堵の色を帯びていた。
「じゃ、俺は作業に戻る」
ゲルトは短くそう言うと、何の気負いもなく背を向ける。
作業台の灯に照らされながら、工具が再び金属を打つ乾いた音を刻みはじめた。
灯りはとうに落ち、工房にはしんと静寂が降りていた。
物置部屋の隅。毛布にくるまったテオとレティシア、その傍らで羽を膨らませた烏が、灯具の淡い光にぼんやりと照らされながら眠っている。
その静けさを、扉を叩く剣呑な音が切り裂いた。
「警備隊だ! 開けろ!」
荒々しい声とともに、漆黒の制服をまとった影が数名、工房へなだれ込んでくる。腰には短剣。目は容赦なく鋭い。
テオは毛布を跳ねのけて立ち上がり、レティシアも即座に身構えた。烏が警戒の声を鋭く上げる。
「ここに余所者が潜伏しているという通報があった。全員、身分を証明しろ」
先頭の女が部屋の中を見回し、二人の姿を見つけると、鋭く睨みつけた。
レティシアが一歩前に出る。怒りか苛立ちか分からない、険しい光がその瞳に宿っていた。
「俺たちは宮廷竜導士だ。怪しい者じゃない」
「宮廷……竜導士? 聞いたことがないな。不審者の潜伏は里の治安を脅かす。責任者——ゲルト技師はどこにいる?」
「さあ。もう寝てるんじゃない?」
レティシアが涼しい声で返すが、隊員たちは納得しない。魔導灯を掲げ、工房の奥まで余すことなく照らしはじめた。
「確認と保護措置のため、余所者には然るべき区画に移動してもらう」
その言葉に、テオは反射的に立ち上がる。
「待ってくれ! 本当に何もしてないんだ。俺たちは馬車を——」
「潔白なら証明すればいい」
無機質な声とともに、隊員のひとりがテオの肩を掴もうとした瞬間、レティシアの抑えた声が落ちた。
「……触らないで」
空気がぴん、と張り詰める。あの坑道の記憶が、彼女の中にまだ残っているのかもしれなかった。
緊迫した空気を断ち切るように、工房の扉が再び開いた。
「そいつらは俺の客だ」
低く、太い声。作業着の上に羽織をかけ、工具の袋を肩に下げたゲルトが、無造作に立っていた。
「……あなたがここの責任者か」
「ああ。今夜だけ部屋を貸すって言ったのは俺だ。通報だかなんだか知らんが、勝手に押し入って工房ひっくり返すのは……気に食わねぇな」
声は低いが、よく通る。隊員たちがわずかに引く気配があった。だが、女は譲らない。
「治安維持は我々の職務です。あなたが庇おうと、身柄確認は義務。ご協力を」
「協力しねぇとは言ってねぇ。けど、こいつらは俺の客だ。騒ぎ立てて引っ張り回す真似はやめろ」
ゲルトは自然と、テオたちの前に立つ形になっていた。
「無用な騒ぎにはしたくありません。ですが今夜のうちに管理局へ報告が必要です。記録と確認が済むまで、居住者区画で滞在してもらいます」
女は一歩も引かない。ゲルトが舌打ちしたような気がした。
「……ゲルトさん、もういいです」
テオが静かに口を開いた。
「これ以上、迷惑はかけられない」
「迷惑かけてるのはあっちだ。お前らは——」
「事情はどうあれ、ここでは俺たちは余所者だ。この里の掟に従うよ」
テオの言葉に、ゲルトは一瞬だけ目を細めた。
そして、鼻を鳴らす。
「勝手にしろ。ただし……余計なこと喋って工房に検査なんか入ったら、次は知らねぇぞ」
テオたちに言ったのか、隊員たちに言ったのかはわからない。ただ、それは怒りとも、不器用な心配ともつかぬ響きだった。
「親切に、ありがとう」
テオは振り返りざま、短く言った。
「準備ができたら、ついてきてもらう」
女が合図をし、隊員たちは周囲に散開する。
テオたちは荷をまとめ、工房をあとにした。背後でゲルトが何か言いかけた気がしたが、それは結局、言葉にはならなかった。
夜の街路を進む一行。街路灯の光が石畳に揺れ、三つの影がゆらりと伸びていく。工房の扉が、静かに閉じられた。




