第三十一話 遭遇 ——閉ざされた退路
影が通路に揺れ出た瞬間、テオはレティシアの肩を押して壁際に身を寄せた。だが遅かった。
「……誰かいるのか?」
低い声とともに、男の持つ灯火の明かりがこちらを舐めるように揺れる。光が岩壁を跳ね、次の瞬間、テオたちの影をあらわにした。
男の目が見開かれた。
「侵入者だ!」
叫びが坑道いっぱいに弾ける。その直後、奥の暗闇で複数の足音がどっと動き出した。
「逃げろ!」
テオが振り返ったとき、エミルは通路の奥ににじり出てきた盗賊団の男たちを前に、まるで縫いとめられたように動けなくなっていた。
先頭の男が、テオの背後に半ば隠れるエミルへと視線を移し、じろりと目を細める。
「……その眼鏡。見覚えがあると思ったら――お前、エミルじゃねえか」
エミルの肩がびくりと震える。息が止まったように固まり、喉がひゅっと鳴った。男は剣に手をかけながら、嘲るように口角を上げた。
「親方に知らせろ! 骨董屋の坊ちゃんが戻ってきたってよ!」
その叫びが通路に反響した途端、エミルはさっと血の気を失い、テオの腕を掴んだ。握る指先に力がこもり、爪が食い込むほどだった。テオは反射的にその手を振りほどき、エミルを後ろへ退がらせるように身振りで促した。
「待ってくれ」
「下がれ! 早く!」
迫る盗賊団に向けて短剣を構えながら、テオは一歩後退った。だがエミルは、その退路を塞ぐように立ち尽くしていた。
「テオ!」
奥の部屋へ駆けこんだレティシアの声が、鋭く通路に響いた。
テオは腹を決め、腰を沈めて低く構えた。盗賊たちは五人。だが動きは粗い。竜脈石の武器だけが、場違いにぎらついていた。
「来るぞ」
先頭の男が勢い任せに斬りかかってきた。テオは半歩だけ身を引き、短い竜の言葉を紡ぐ。
囁くような詠唱が空気を震わせ、男の剣にまとわりついた光が一瞬でしぼむ。竜脈石の力が断ち切られ、男は驚いて手元を崩した。テオはその腕を払うように蹴りつけ、壁へ叩きつけた。
「ちっ——竜人か!」
残りの三人が一斉に突っ込んでくる。テオは通路の狭さを利用し、短剣の刃で一人の膝裏を払う。倒れた男の悲鳴に重なるように、低く詠唱が走る。
「テオドール、頼む……武器を下ろして……! 戦わないで、今は——」
吹き飛ばすだけの、殺傷力のない衝撃だった。だが——。
「……っ!」
テオの胸と盗賊の間に、影が割り込んだ。エミルだった。衝撃は彼の肩口をかすめ、布を裂き、血が飛び散った。
「エミル! なにして——」
問いかけるより早く、エミルは膝をつき、片手で地面を押さえた。外套が濡れ、肩から滴る鮮血が乾いた地面に滲む。
「だ、大丈夫……大丈夫だから……」
声は震え、明らかに大丈夫ではない。エミルの腕を肩に回して撤退しようとしたテオの腕を、エミルが掴む。
「頼む、投降してくれ」
テオは、一瞬耳を疑った。雑踏が押し寄せるように盗賊たちが割り込み、二人の腕を手荒く掴む。テオは反射的にその手を振り払い、歯を食いしばって怒鳴った。
「立て!」
エミルは膝を折ったまま、うわ言のように繰り返す。
「頼む、頼むから……」
その声はかすれて震え、祈りのように細かった。
「ニアが…ニアが、殺される……!」
テオは思わず言葉を飲んだ。
「ニア? 妹は市政長のところにいるんだろ?」
語気が強くなったのは、自分でも抑えられなかった。だが、腕に縋りつくエミルの指は冷たく、俯いた肩はかすかに震えている。眼鏡の奥の目が、焦点を失っている。その様子を前に、テオはこれ以上問い詰めることができなかった。
「やめて! 触らないで!」
背後から飛んできたレティシアの怒声に、テオは胸の奥がちくりと痛んだ。信じてついてきてくれた彼女を、またこうして巻き込んでしまった。その負い目が、小さく肩をすぼめさせる。
三人の腕には、すでに冷たい鉄枷が噛みつくようにはめられていた。鎖が引かれるたびに手首の骨がきしみ、歩幅を乱される。こんな扱いを受けるのは初めてだ——。抗うことも、戦うこともできない。それが何より悔しかった。
取り囲む男たちに押しやられ、薄暗い通路の奥へと無造作に歩かされる。湿った岩肌の冷えが背をじわりと這い上がり、息が詰まりそうだった。
「まさか、自分から乗り込んでくるとは思わなかったぜ」
先頭の男がエミルの髪を掴み、顔を覗き込むようにして嘲笑った。次の瞬間、乱暴に頭を放る。乾いた音が通路に響き、エミルの身体がよろめく。
「見かけによらず、度胸だけは大したもんだ」
吐き捨てるような言葉。エミルは俯いたまま、呻き声ひとつ漏らさない。その沈黙がかえって痛々しく、テオの胸にじわりと怒りが満ちる。
テオは無言のまま一歩踏み出し、男の肩にぶつかった。
「いってえな。お前らは何者だ? さっきはよくもやってくれたな」
怒鳴り返した別の男が、突然テオの後頭部を荒っぽく掴んだ。鋭い痛みが頭皮に走り、強引に押し込まれる力に、テオは歯を食いしばる。地面に膝をつかされそうになるほどの力だ。
負けるわけにはいかない。テオは振り払うように首をひねり、その手を弾き飛ばした。テオはすぐにエミルへ身を寄せた。彼は足元を見たまま、呼吸を浅くしている。
「エミル、大丈夫か?」
返ってきたのは、震えた息遣いだけだった。
その様子に、テオは言いようのない不安を覚えた。エミルの沈黙は怯えではない。もっと深い、何かが壊れそうな緊張の気配だった。




