第7話 村の変化
翌日、約束通りティムは村を出て町に帰っていった。
いつもよりかなり早い出発に、なにか気分を害したのではないかと村長は慌てていたが、緊急の商談があると笑顔で答えたティムの言葉に胸をなでおろす。
ティムの存在はこの村にとって正に生命線。次は半月後に来るというティムと握手を交わし、村長は彼を見送った。
一方、レジーナの暮らしは以前とほとんど元通りに戻っていた。
レミの体調は倒れたことが嘘であったかのように朝から畑仕事に精を出しており、心配してつきまとうレジーナを蹴り出すほど元気になっていた。
そんなこともあってレジーナは機嫌良くいつものお勤めをしに行き、それが終わったら急いで家に帰る。
そしてティムが戻ってくる日を心待ちにする。そんな風に日々は過ぎていった。
ティムが去って1週間後。あともう少しでティムが戻ってくる。そうすればレミの病気もきっとよくなる。そんな風に考えながらレジーナがお勤めを終え、村長の家にバスケットを戻しに行ったとき、そこには目に入れたくもない人物が待っていた。
「げっ、なんでスティーブンが」
小さく毒づきながらレジーナが視線を逸らす。
しかしスティーブンは仁王立ちしながら、じっとレジーナを睨みつけており接触が避けられないのは明白だ。
ちらりと前を見て、相変わらずスティーブンがその場にいることを確認すると、レジーナは小さくため息を吐いて覚悟を決めた。
「なに?」
レジーナとしては、本当は会話などしたくない。だがここで前のようにバスケットを置いて去ってしまったらまた踏みつけられて壊されてしまうかもしれない。
そうしたら今度こそ朝食をもらえなくなってしまう可能性さえある。それだけはなんとしてでも避けたかったからだ。
「おい黒女。お前、呪われているんだってな」
「なにを?」
「お前の呪いのせいで、あのババアが倒れたんだろ。まああいつ自身、長年のお勤めのせいで呪われていた可能性もあるけどな。どっちにしろ、お前らは村のお荷物なんだし、さっさとババアもくたばれば……」
パンっという乾いた音が響く。
それはレジーナの小さな手が、スティーブンの頬を叩いた音。レジーナが自分でも信じられないほどの速さで振るわれたそれをまともに頬で受けたスティーブンは一瞬動きを止め、そしてその顔を徐々に赤く染め上げていった。
「てめぇ!」
「ぐぁ」
くりだされたスティーブンの足裏が、レジーナの腹に思いっきり突き刺さる。
一気に肺の空気を押し出され、潰されたカエルのような声を漏らしながらレジーナがゴロゴロと地面を転がっていった。
土まみれでお腹を抱えて丸まるレジーナに、怒りの表情を浮かべたままのスティーブンが近づきそのかかとを何度も踏み降ろしていく。
「なんでっ、お前が、俺に、楯突いてんだよ! この村の、一員でも、ないくせに。飯まで、恵んでやってるのに、調子に乗りやがって! 死ねよ、お前も死ね! 呪われ、黒女が!」
「ぐっ、がっ、あっ」
いつ終わるともしれない踏みつけに、レジーナの声がだんだんと小さくなっていく。
着古してはいたが、清潔には保たれていた服はどんどん汚れていき、土にまみれ見る影もないほどに薄汚れていった。
踏みつけられた場所が熱をもち、それが痛みなのかなんなのかレジーナにはわからなくなってきたころ、やっとスティーブンの動きが止まる。
「はぁ、はぁ。お前が呪われていることは村の皆が知っているからな」
そう言い残し、レジーナの顔にぺっ、とつばを吐き捨てると、スティーブンは荒い足音を響かせながら去っていった。
しばらくの間、レジーナは地面に倒れ込んだまま動くことができなかった。
これまで機嫌の悪いスティーブンのうさばらしに暴力を振るわれたことは何度もあったが、ここまでひどいことをされたのは初めてだった。
「あっ、うっ」
レジーナが丸まって頭をかばっていたせいか、それとも流石にそれをしてはだめだとスティーブンも理解していたからかわからないが、蹴りつけられたのは基本的にお腹や尻、太もものあたりだ。
だが華奢なレジーナにとって、体格のいいスティーブンの蹴りは大きなダメージを残していた。
意識したわけでもないのに流れ落ちる涙でレジーナは汚らわしいつばを洗い流し、無事な両腕で体を起こそうとする。
しかし途端に襲ってきた鋭い痛みがそれを邪魔した。
力尽き、どさっ、と体を地面に伏せたまま、ただ日が沈んでいくのを滲む視界でレジーナは眺める。目の端から流れた涙が土まみれのレジーナの顔に綺麗な道をつくっていった。
しばらくした後、視界の端で村長の家の玄関ドアが開かれる。
またスティーブンがやってくるのか、と恐怖を抱くレジーナの視界に入ってきたのは、いつも朝食を用意してくれるモリーの姿だった。
助かった、とレジーナは安堵し、その代わりに我慢していた痛みがずきずきと痛みだす。張っていた気が緩んだことで、様々な感情で頭の中がゴチャゴチャになっていたが、なんとか助けを求めようとレジーナはその手をモリーに伸ばした。
「ひっ!?」
しかしモリーの反応はレジーナが全く予想していないものだった。
まるで化け物でも見るかのように怯えた表情。レジーナに近寄らないようにモリーは大回りで転がっていたバスケットを指で摘んで回収すると、そのままレジーナに声もかけずに早足に去っていった。
パタン、と閉じられた扉をレジーナは呆然と見つめ続ける。
「なん、で?」
長い沈黙の後、出てきたのはそんな短い言葉だった。
スティーブンに痛めつけられたときと違う涙が、レジーナの瞳から流れ落ちる。
これまで厄介者扱いされながらも村の一員として、レジーナは精一杯お勤めを果たしてきた。
その働きはモリーも認めてくれていたはずだった。
日中、村にいないレジーナにとって、レミを除けばモリーは最も親しい村人と言ってもいいかもしれない存在だった。
美人で、性格もさっぱりとしているモリーに、レジーナは多少なりとも憧れのようなものを抱いていた。いつか自分もこんな風に綺麗になれたら、そう思っていたのだ。
だが、そんなモリーに向けられた、恐怖の色に染まった視線はその憧れを粉々に砕いていた。
それだけでレジーナは悟ってしまったのだ。
スティーブンの言っていた言葉が真実だったことを。
この村にとって、自分が本当の異物になってしまったということを。
日が沈み、暗くなっていく中で地面に倒れ伏したレジーナの心を、孤独が染め上げていく。
レジーナにはもはや起き上がる気力はなかった。
いや本音を言えば帰りたくなかったのだ。もし家に帰り、レミに同じような反応をされたらと考えるとこのまま地面に倒れていたほうがいいんじゃないかという思いにレジーナは囚われてしまった。
なにをする気力もわかず、レジーナは空虚な瞳でどこでもないなにかを見つめ続ける。
もはやその目からは涙さえ流れていなかった。
そのままどれだけ時間が経ったのだろう。ホーホーと鳴く鳥の声を素通りさせていたレジーナの耳に、たったっと地面を踏みしめる音が近づいてくるのが聞こえた。
その足音はレジーナに近づくにつれてゆっくりになっていき、すぐそばで止まったかと思うとレジーナの体がぐいっと持ち上げられる。
女性にしては大きな背中に華奢なレジーナを軽々と背負いあげたのは、不機嫌な顔をしたレミだった。
「帰るよ、レジーナ」
「……」
「なんか言ったらどうなんだい。せっかく迎えに来てやったってのに」
背負われながら何も言わないレジーナに、レミは文句を言った。しかしその声は優しく、とがめているようには全く聞こえない。
ゆったりと揺られるレジーナに、レミの体温が染み込んでいく。冷たく沈み込んだレジーナの心を、その暖かさが包んでいった。
空虚な目をしていたレジーナの瞳にわずかに光が戻り、その瞳がうるんでいく。
「おばさん、私、家に帰ってもいいの?」
「何言ってんだい、あんたは」
「でも村の皆が……」
「村の奴らがなんだってんだい。それともなにかい。あんたは私より、村の奴らの言葉や態度を信じるのかい」
「違う。でもおばさんに迷惑が……」
「いいんだよ。家族ってのは迷惑をかけて、かけられて助け合ってくんだ。だからいい加減泣き止みな。服が濡れて仕方ないよ」
「う、ん」
レミの大きな背中にレジーナは顔を埋める。
背中が濡れていくことに気づいていながら、レミはそれ以上何も言わずにゆっくりとした歩調で2人が帰るべき場所に戻っていったのだった。
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