第4話 病気の原因
レミからもらった大切な本がレジーナの手からすり落ち、ゴトンと大きな音を立てて床をきしませる。
ペラペラとページがめくれ、開かれた状態で動きを止めた本は、レジーナが大好きな勇者様と仲間たちが魔王に立ち向かう挿絵のページをあらわにしていた。
しかしそんなものは今のレジーナの目には入っていない。
まるで床に落ちた本が立てた音がスタートの合図だったかのように放たれた矢のごとく飛び出したレジーナは、倒れたレミの横にひざまづくとその体を両手で揺する。
「おばさん、おばさん」
「ああっ、うあっ」
わずかに反応を返したレミの姿に、死んでいなかったと少しレジーナは胸をなでおろしたが、まるで水に浸したかのようにぐっしょりと濡れた服の感触に慌ててレミの額に手を当てる。
「ひどい熱。なんで……」
苦しそうな息遣いで虚ろな目をしているレミの姿に泣きそうになりながら、レジーナは立ち上がり部屋の隅に向かう。
そしてそこにあった木の箱をひっくり返すと、縄で縛られていた乾燥した葉を手に取った。
それは昔から村に伝わる熱冷ましの薬草だ。
「おばさん、食べて」
「……」
なかなか生えておらず希少なその葉を乱暴にちぎったレジーナは、それをレミの口元にもっていきそう呼びかけたが、気を失ったままのレミが口を開くことはなかった。
ギリッと歯を鳴らし、レジーナは再び立ち上がると、桶にためてあった水をコップに汲んでレミのもとに戻る。
レジーナは意を決した顔でゴクリとつばを飲み込むと熱冷ましの薬草を2枚自分の口に含み、それを噛み砕いていく。
朝に食べたナミツグが甘味に思えるほどの苦みに顔をしかめながら、レジーナは口の中で細かくすりつぶして薬草の成分を抽出させる。
そして口の中に水を含んでそれを溶け込ませると、レミの体を少し起こして口移しに少しずつ飲ませていった。
吐き気をもよおすような苦みを我慢し続けながらレジーナはそれを続ける。レミの喉がわずかに動く様子だけを確かめながら。
そしてレジーナの口から薬草入りの水が全てなくなったが、顔を離したレジーナを待っていたのは未だに苦しそうに顔を歪めるレミの姿だった。
「どうしよう」
栄養状態がとても良いとは言えないレジーナは細身で、身長も同じ年頃の者と比べても低めだ。一方でレミは骨格が太く、その背は村の成人女性の平均よりも高かった。
レジーナはレミをベッドに運ぼうとしたがとうてい動かせる重さではなく、仕方なく掛け布団をレミの体にかけ、水の入ったコップを近くに置くと家を飛び出した。
先程歩いてきた道をレジーナは懸命に走る。何も知らずにのんきに帰っていた過去の自分に恨み言をぶつけながら。
そしてついに日も完全に落ちた頃、彼女はやっと村長の家にたどり着いた。
いつもなら叩きもせずにこっそりと開けていたドアを、レジーナは壊れるのではないかというくらいドンドンと叩く。
「すみません、すみません。おばさんが、おばさんが熱をだして」
思いが先走り、普段からは考えられない大声ではあるが、レジーナの言葉はすんなりと出てこない。
それでもその音は人を集めるのに十分であり、ほどなくしてドアが開かれる。
少し迷惑そうに顔を出したのはこの村の村長である髭面の三十路の男とその妻だった。
「レジーナか。どうした」
「帰ったらレミおばさんが倒れてて、すごい熱で、意識もなくて。薬はなんとか飲ましたけれど、意識が戻らなくて、あの、それで……」
「落ち着きなさい。レミが倒れたんだな。モリー、様子を見てきてくれ」
「はい、あなた」
村長の指示に、その妻、モリーが早足に家を出ていく。その背を追おうか迷うレジーナに、村長は待ったをかけた。
「レミの症状を教えてほしい。覚えている限りでいいから」
「わ、わかりました」
村長の真剣な瞳に気圧されながら、レジーナは覚えている限りの様子を話していく。
帰ったらレミが倒れていたこと。意識を失っており、すごい高熱であったこと。体が汗でぐっしょりと濡れていたこと。
レジーナが説明できたことは少なく、すぐにそれは終わる。聞き終えた村長は髭をさすりながらううむ、と小さくうなり、黙りこくってしまった。
その沈黙がレジーナの不安を大きくさせていく。
「あの、レミおばさんは大丈夫ですよね?」
「わからん。ひどい風邪のようにも思えるが……」
「あの、どうかしましたか?」
そう言いながら2人に近寄ってきたのは少し小太りな若い男だった。
村人が着ているような粗末な服とは違い、こざっぱりとしたシャツに身を通し、いつも浮かべている人好きする笑顔に心配の色をにじませているのは、村長の親族の家に泊まっていた行商人のティムだった。
「おおっ、ティムさん。お騒がせして申し訳ない。少し村人に急病人が出まして」
先程までの難しい顔を変え、村長が申し訳なさそうにティムに頭を下げる。
この村にとって行商人のティムはまさしく生命線だ。
ティムがこの村を訪れるのは、それがこの地域を治める領主の依頼であるからだ。
しかし以前にその役目についていた行商人より安価で誠実に取引をしてくれることもあって、村人たちはティムにとても感謝していた。
「急病人ですか? もしよろしければ私が見てみましょうか? 旅をしながらこういった商売をしていますので、少なからずお役には立てるかと」
「いえ、そんなお手間をとらせるわけには……」
「困ったときはお互い様というでしょう。それにもしかしたら薬を売ることができるかもしれませんしね」
レジーナに安心させるような笑みをちらりと向け、そしてティムは村長に向き直った。
少しの間迷う様子を見せていた村長だったが、これが感染症であり村中に広まる危険性を考えるとティムの申し出はありがたい。
どんな病気か特定できるのであれば、その対応を考えることができるからだ。
「すみません。それではお願いします」
「ありがとうございます、ティムさん」
「いえいえ。お客様に便宜を図るのが商人ですから。それでは私は少し荷物を取ってきます」
落ち着いた雰囲気で家を出ていくティムの背中を、レジーナは期待のこもった視線で見つめ続ける。
そしてレミが倒れたときに、偶然ティムがいてくれた幸運を、神に感謝したのだった。
村長とティムを引き連れて家に戻ったレジーナは、先に家にやってきていたモリーによってベッドに寝かされたレミの元に駆け寄る。
レミの頭には濡れた布が当てられていたが、苦しそうなその表情が変わることはなく、意識も戻っていない。
「モリー、様子はどうだ?」
「服は着替えさせて、できる限りのことはしたけれど……」
モリーは言葉をそこで止め、静かに首を横に振る。それが示すのはもう救う手立てはないということだった。
小さなこの村では個人の家で対応できない困りごとは全て村長の元にやってくる。その困りごとの中でも多くの比率を占めているのが病気、怪我に関することだった。
未来の村長婦人となるべく育てられたモリーは、医者のいないこの村で、これまで多くの怪我人、病人を見てきた。
正確な医学の知識はないが、それらの経験はモリーに的確な観察眼を授けていた。
もはや自分たちでは手の施しようがない。そう判断できるだけの目を。
「失礼」
顔を歪ませる村長の横をすり抜け、ティムがレミの症状を見るために歩み寄る。
そして小さな両手で意識のないレミの手を握りしめているレジーナの隣に立つと、レミの額や首筋に触れ、口を開けたりと観察をし始めた。
そんなティムの様子をレジーナは不安そうに見つめる。
「ふむ。おそらくですが感染性の高い病ではないでしょう。これだけの高熱、そして緑に染まった口の中。私が思い当たる病としては魔力汚染症ではないかと」
「魔力、汚染症?」
さぁっと血の気を失いながら、レジーナが聞き返す。
そんなレジーナの様子に気づいていないのか、ティムは荒い息を吐くレミを見つめながら言葉を続けた。
「ええ。とても珍しい病気で私も聞いたことがあるだけなので確証はありません。その昔、竜を倒し、その血を全身に浴びた英雄がかかったと言われる病気です。なんでも自身の器を超えた魔力を身に蓄えてしまうとかかる病だそうです」
「なぜそんな珍しい病をレミが……まさか!?」
村長とモリーの視線が同時にレジーナに向かう。
この村でそんな病にかかったものはおらず、村外れに住む偏屈者であるレミが関わる者などレジーナ以外にいない。そこから導き出される結論は1つしかなかった。
「私、のせい、なの?」
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