第3話 よそ者
「じゃあ、また明日」
像に別れの言葉を告げ、洞窟を出たレジーナを少し陰り始めた日差しが襲う。
真昼の焼け付くような日差しよりマシではあるものの、涼しい洞窟内の快適さと比べれば雲泥の差だ。
「うぅ、お腹減った」
くぅー、と抗議の声をあげるお腹をさすり、口をへの字にしながらレジーナは森を進んでいく。
この洞窟でのお勤めは夕方までと決まっているため、その合間をぬってレジーナは朝食のパンの代わりになる何かを探して周辺を探索してみた。
しかし運悪く食べられそうな木の実は見つからず、火や捌く道具がないので小川の魚などを食べることもできなかった。
結果として、レジーナの行動はただお腹をさらに減らしただけだったのだ。
「ナイフと火打があったらなぁ。でも高いんだよね」
個人的な欲求とその実現可能性が低い現実にがっくりと肩を落としながら、レジーナがぼやく。
この山奥の村において、多用途に使える金属製のナイフや、火を起こすのに必須な火打などは希少品だ。
村では製造できないために手に入れるには行商人から買うしかなく、その値段はお役目の対価として小遣い程度のお金しか受け取れないレジーナが手を出せる金額ではない。
村長の家でさえ、昔買ったものを丁寧に、そして補修しながらだましだまし使い続けているのだから当然とも言えるが。
「やっぱり魔法を覚えるほうが現実的かな? うーん、でも魔法を使える人が村に来るとは限らないんだよね」
視線を落としたレジーナは、自らの小さな手を見つめる。
レジーナが使える魔法は、腹いせに小石を吹き飛ばすときに使った突風を引き起こす魔法だけだ。
これは昔、切り出した木材の運搬のために村にやってきた冒険者が使っていた魔法であり、それをたまたま見たレジーナが掃除の間の暇つぶしがてら練習していたら発動してしまったものだった。
森で唐突にイノシシや鹿に出会ってしまったときに、威嚇としてレジーナはこの魔法を有効利用していたが、生活面を豊かにするという意味ではあまり役に立っていない。
どうせなら火を起こしたり、何かを切ったり、土を掘ったりする魔法があれば生活が楽になりそうなのに、と常々レジーナは考えていた。
「秋になったら薪の需要が増えて、行商人さんがお手伝いの人を連れてくるはず。そこでなんとか見ることができればいいんだけど」
落ちていた小石を蹴飛ばしながら、レジーナは大きくため息を吐く。
少なくともレジーナが知る限り、村の誰一人として魔法を使えない。
そもそも魔法を使えるかどうかは才能によるところが大きい。
もしかしたらレジーナのように魔法を使える資質を持っている者が村にもいるかもしれないが、魔法に関する詳しい知識を持つ者がいないため、その判定さえできないのだ。
そのため村人には魔法を使う、覚えるなどという意識は全く無く、魔法で生活を豊かにしようと考えているレジーナは異端と言えた。
「あっ、そういえば行商人さんがそろそろ来るはずだし、見かけたらちょっとお願いしておこう」
うん、と小さく頷き、レジーナが顔を上げる。
この村に行商人が来るのは月に1度。彼は塩や衣服、鍋などといった生活必需品を村に運び、その対価として薪や狩った動物の毛皮、薄紫の石などを購入して去っていく。
村で厄介者扱いされているレジーナにも態度を変えない行商人に、レジーナは好感を抱いていた。
「少しでも可能性を上げるために、明日からは石探しも再開しようかな。でもなぁ、この辺りのやつは取り尽くしちゃったんだよね」
地面に転がるなんの変哲もない小石を見つめ、レジーナはため息を吐く。しかしその表情は少し楽しげだ。
そんな明日からの予定を立てながら、レジーナは通い慣れた森の道を進んでいったのだった。
村に戻り、村長の家にバスケットを返しに行ったレジーナは、扉を開けた瞬間わずかに顔を歪めた。
そこにいたのはレジーナより3つ年上の現村長の弟であるスティーブンだった。少し赤茶けた髪に、そばかすまみれの顔をニヤニヤと歪め、彼はさげすむようにレジーナを見つめてくる。
「おい、黒女。朝飯はうまかったか?」
「……」
自らの行為を隠そうともしないその言葉に、レジーナは内心怒りを覚えつつも言葉を返さなかった。
これまでの経験上、そうすることが最善だとレジーナは嫌と言うほど思い知らされてきたのだ。
なにか言葉を返せばスティーブンは嬉々として反論し、最後には暴力を振るってくる。村人から疎まれているレジーナではあるが、ここまでしてくるのは彼とその取り巻きぐらいだった。
「なんか言えよ」
「……」
「けっ、つまんねぇ奴だな」
なにも反応せず、バスケットをいつもの場所に戻したレジーナをだるそうに見つめていたスティーブンは、置かれたバスケットを見つめて笑みを浮かべる。
「あー、足がすべった」
「あっ」
わざとらしい言葉とともに踏み降ろされた足が、レジーナの持ってきたバスケットを変形させていく。
そしてバキリという音が響き、ついにバスケットは大きく折れ曲がりその役目を果たせないほどに損傷した。
驚きの表情のまま声を失うレジーナの反応に気を良くしたのか、スティーブンは何度もその足を振り下ろしていく。
そして少し荒い息を吐いて彼が動きを止めた頃には、バスケットは見るも無惨な状態になってしまっていた。
「な、なんで……」
「捨て子のくせに、お前なまいきなんだよ! 化け物といつも一緒にいるし、呪いが伝染るから俺の家に来るんじゃねえ!」
そう吐き捨てるように言い残すと、スティーブンはレジーナに背を向けて家の奥に帰っていった。
玄関から聞こえる物音に何事かと顔を出した村長の妻に、すれ違いざまに何かを言った彼を眺めながら、レジーナは静かに佇む。
どうせ彼が、これはレジーナがやったことだと告げたのは明らかだったからだ。
村一番の美人とかつて謳われた村長の妻は、艶のある茶髪を揺らしながらレジーナの方に近づいてくる。
そしてレジーナとその眼の前でこれでもかと壊されたバスケットを眺め、はぁー、と深くため息を吐いた。
その反応に、レジーナはビクリと体を震わせる。
「行きな。あんたのせいじゃないことはわかっているから。ちょうどティムさんが来ているときでよかったよ」
「あ、あの、すみません」
「あんたがいなくなりゃ、あの化け物の世話を誰かがしなくちゃいけなくなる。それがわかっちゃいないんだよ、あの馬鹿は」
すでに姿の見えない誰かに向けて毒づいた彼女は、バキバキに壊れたバスケットを持ち上げる。
そしてどう考えても再利用できそうにないことを確認した彼女は、再びため息を1つ吐くと、レジーナにちらりと視線を向けた。
「今度からは外に置いていきな。それなら壊されることもないだろ」
「はい。ありがとうございます」
「ふんっ。あの穀潰しと比べれば、あんたは役に立ってるからね」
深々と頭を下げたレジーナにそう伝え、彼女は家の奥に戻っていった。
レジーナは彼女の姿が扉の奥に消えるまで見送り、ほっと胸を撫で下ろす。
最悪の事態として、明日以降の朝食抜きもレジーナは覚悟していたのだ。そうなれば自前で朝食を用意せざるを得ず、村の中でも下から数えたほうが圧倒的に早いレジーナの家の家計を圧迫することになるのは明白だった。
「早く帰ろ」
陰鬱な気分を吹き飛ばすように、わざと明るい声で呟き、レジーナが村長の家を後にする。
この村の中で唯一レジーナが心休まる場所、レミのいる家に帰るために。
赤く染まる空へと立ち上る夕食のための煙を眺めながら、レジーナはとぼとぼと小道を歩いていく。
この辺りの森には危険なモンスターが全くいないため、伐採する木々に困るようなことはない。ただそれでも薪は希少な交易品であるため無駄遣いはできず、日の入りとともに眠りにつくのが村の常識だった。
外にはもうレジーナ以外の人影はない。ただ1人この世界に残されてしまったかのようなこの孤独感がレジーナは嫌いだった。
なんで自分はこの村に捨てられたんだろうか?
自分の親はどんな人だったんだろうか?
もし普通に暮らせていたら、自分はどんな生活を送っていたんだろうか?
次から次に湧いてくる意味のない疑問をレジーナは振り払い、その足を早める。
まだ物心のつく前、赤ん坊に近いときに村に置いていかれたレジーナには、親が恋しいという気持ちは湧いてこない。
そもそも親の記憶などほとんど残っておらず、僅かに残る誰かに抱かれた温かな感触も、それが親だったのかレミだったのかレジーナにはわからなかった。
レジーナにとっての家族はレミだけ。
レジーナは知っている。ときにレミが自分の食べる分を削ってでも、レジーナにご飯を用意してくれていたことを。
人付き合いの苦手なレミが、村人に頭を下げてレジーナの着るための服をおさがりでもらい、それを繕ってくれたことを。
悪態をつきながらも、レミは血の繋がりなどないレジーナを愛してくれる。その幸運に比べれば、そんな疑問などささいなことだった。
「そういえば行商人さんが来たって言ってたな。レミおばさんにも教えてあげないと」
先程の村長の妻の言葉を思い出し、少し表情を明るくしたレジーナが手の行き届いた小さな畑を抜ける。
そしていつも通りの古びた玄関の扉を開けると、夕食の準備をしているであろうレミに向けてただいま、と言おうとしたのだが……
「レミおばさん!」
扉を開けたレジーナを待っていたのは、床に倒れ伏すレミの姿だった。
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