第2話 少女の役目
生えていた雑草たちを蹂躙し尽くし、近くの小川で手と口を綺麗にしたレジーナは、バスケットにかけられていた布をとり、動きを止める。
そこにはいつも通りの朝食であるパンとサラダがあるはずだったのだが、入っていたのはサラダといくつかの小石だけだった。
「そういうことね」
朝の幸運の理由を理解したレジーナは、それ以上何も言わずにサラダだけを口に運んでいく。
その表情はまさしく無だった。
村長の家の夕食の残りだと思われる少し萎びた野菜で構成されたサラダをレジーナは機械的に食べ終え、バスケットに残された小石を適当に放り投げていく。
代替わりしたばかりでまだ若い村長婦人にレジーナは好かれていないが、それでも彼女はちゃんと決まりどおりに朝食を用意してくれている。
バスケットに小石を残して返し彼女に嫌われてしまうと、それさえも怪しくなる可能性だってあった。
残された最後の小石をレジーナは掴み、それを放り捨てようとしたところで思い直す。
そして大きく腕を振りかぶると、小石を天高く放り上げた。
その小石に向けてレジーナは手を伸ばす。
「『我は望む、緑の旋風』」
レジーナの黒髪がふわっと巻き上がり、次の瞬間にその手の先から吹いた突風が小石を吹き飛ばしていった。
小石はすぐにレジーナの視界からかき消え、突風の余波がさわさわと木の葉を揺らしていく。
その様子を満足そうに眺めながら、レジーナはうんうんと首を縦に振った。
「久しぶりに使ったけど、問題はなさそうかな? いざというときのために確認は必要だし。レミおばさんには魔法を使うなって怒られるけど、まあここなら……」
その瞬間、レジーナの背中に痺れるような寒気が走る。
ぎこちない仕草で首を左右に振り、レジーナは周囲を確認するが、もちろん村にいるはずのレミがこんな場所にいるはずはない。
それはレジーナにももちろんわかっているが、どこからかレミの気配が感じられるようでその首を縮こませていた。
「いない、よね? うん、いない。いるはずがない。よし、ご飯も終わったし、中の掃除を始めよう。うん、そうしよう」
まるで自分に大丈夫と言い聞かせるように呟きながらレジーナは立ち上がってお尻をはたくと、入口に立てかけてあったほうきを持って洞窟の中に入っていった。
洞窟の中は外の暑さが嘘のようにひんやりとした空気が漂っており、そのことに少し頬を緩めながらレジーナは入ってきていた木の葉などを掃いて通路を綺麗にしていく。
秋の風の強い日になると、大量の落ち葉が侵入してくるため洞窟内の掃除も大変だが、今は夏まっさかりである。
20メートルほどの奥へ続く通路の目に付くゴミを掃き清めたレジーナは、洞窟の最奥にあるドーム状の空間に足を踏み入れた。
ぼんやりとした光に照らされたその空間をぐるりと眺め、これ以上床の掃除の必要がないことを確認したレジーナがほうきを置く。
そしてゆったりとした足取りでその部屋の中央にある像のそばに近づいていった。
全身を紫の鱗で覆った偉丈夫。その頭からは2本の立派な角を生やし、その体に巻き付いているのは自らの尻尾だ。
明らかに人間ではない化け物。その鋭い目つきと厳しい表情からは自然と畏怖を抱いてしまうほどの圧が放たれていた。
封印された邪悪なモンスター。
はるか昔から受け継がれてきた、村の禁忌。
レジーナの役目は彼の者の眠りを覚まさぬよう、封印が解けぬようにこの洞窟を守ること。
それが厄介者のレジーナに与えられた、村に住み続けるための役目だった。
像のすぐ側にまで近づいたレジーナは、ためらうことなくその艶のある紫の鱗に手を触れる。
つるつるとしたその表面はほんのりと冷たく、いつも通りの感触に笑みを浮かべながらレジーナはもたれかかるように像に背を預けて座った。
「おはよう。ねぇ、聞いてよ。今朝も散々だったんだよ。スティーブンの馬鹿が、私のパンを隠してきてさぁ」
まるで家族に愚痴を言うかのような気軽さでレジーナが像に向けて話しかける。
当然のことながら返答などなく、像は真っ直ぐに出口へと視線を向けたままだ。
しかしレジーナはそんなことを気にする様子もなく話を続けていった。
「そうそう。来るときにナミツグが色づいていたんだ。食べたらまだ酸っぱかったけど、もう少ししたら収穫してジャム作りかな? 私好きなんだよね、ナミツグのジャム」
レジーナが話しているのは他愛もないことばかりだ。そもそもそんな大層なことがこんな辺境の村で起こるはずがないから当然だが。
しかしレジーナはそれをやめなかった。にこにこと笑いながら、なんのオチも盛り上がりもない話をし続ける。
当然のごとく、像から反応などない。それでもレジーナの言葉は止まらない。
12歳になったとき、レジーナはこの役目を長く果たしてきたレミに連れられ洞窟にやってきた。
事前にレミや村長からひととおり像についての話を聞き、恐怖に体を震わせながらやってきたレジーナだったが、この像を見た途端動けなくなってしまった。
レミや村長はそれが恐れによるものだと考えたようだが、それは実は違った。
レジーナは見惚れてしまっていたのだ。
まるで芸術品であるかのように美しく並ぶ紫の鱗に。
真っ直ぐに前を見つめる鋭い黄金の瞳に。
周りを圧倒するかのようなその堂々たる体躯に。
確かにまるで人がモンスターに侵食されたかのような姿は異様であり、その厳しい表情も相まって恐怖を与えかねないほどの圧が放たれている。
だがレジーナの目は、その表情にわずかに宿る温かいものを感じ取っていた。
きっとこの像は、言い伝えのような悪者じゃないんじゃないか。
そう考えたレジーナは、怖がることなくこの勤めを続け、いつの間にか日々の出来事をこの像に話しかけるのが習慣になっていた。
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