第1話 辺境の村の少女
その村には名がついていなかった。
主要な街道から外れ、最も近い町に行こうとすれば馬で10日はかかる辺ぴな山奥にあることもあって、村の規模はとても大きいとは言えない。
村人は50名に満たず、主要産業は農業や林業などであり特産品といえば森で採れる薄紫の石のみ。
良く言えばのどかな、実質は代わり映えのない退屈な日々を人々は過ごしていた。
なぜこのような場所に村が作られたのか人々は知らなかった。
いや、以前はその来歴を伝える本が残されていたのだ。しかしそれは2百年ほど前に起きた村長の家の火事によって消失してしまい、わずかに伝わっていた口伝も時の流れにかき消されてしまった。
だが今を生きる人々にとってはそれはどうでもよいことだった。
彼らが気にかけるのは自らの身の安全と、生活の平穏。そしてわずかながらの甘味といった楽しみに向けられているのだから。
そんな村の中の1軒の家。いや、どちらかといえば小屋という方が正しいのではないかと思うほど小さく、年季の入った家のドアから1人の少女が顔を出した。
「うあっ」
差し込む強い日差しを顔の前に掲げた手で影をつくって塞ぎながら、十代半ばほどの少女はゆっくりとその瞳を開いていく。
「今日も暑くなりそう」
眠気を飛ばすために少し少女は頭を振り、それに合わせて漆黒の髪の毛がさらさらと揺れる。
その日差しに慣れた黒い瞳に飛び込んでくるのは、いつもの村外れの光景。自分たちが食べていける分だけの村の中でも小さめの畑たちと、その奥に広がる森の木々。
まるで歓迎するかのようにさえずる小鳥たちの姿をちらりと眺め、その少女はわずかに笑みを浮かべた。
「レジーナ。起きたならさっさお勤めに行きな」
畑で雑草を抜いていた中年の女が、曲がった腰を伸ばすように立ち上がりながらその少女、レジーナへ言葉をかける。
シワが刻まれ、所々にシミのできたその顔はどこか偏屈そうな雰囲気を醸し出していたが、レジーナはそんなことを気にした様子もなくにこやかに笑った。
「おはよう、レミおばさんは相変わらず早いね」
「あんたが遅いんだよ」
しっしっ、と土にまみれた手を振ってレミはレジーナを追い払おうとしたが、レジーナはまっすぐに女の顔を見つめたまま動かなかった。
しばらくレミはレジーナを見つめていたが、仕方ないとばかりに、ふぅとため息を吐く。
「おはよう。行っておいで」
「うん、行ってきます」
「あんたのそういう頑固なところは誰に似たんだろうねぇ?」
「そんなのおばさんに決まってるでしょ」
カラカラと笑っていつもどおりのレミとのやりとりを終えたレジーナは、少し白髪の混じり始めた茶髪の髪を払って再び草取りに戻ってしまったレミに手を振る。
それに対して何も言わず、首だけで行けと指示してくるレミのいつもの姿に笑みを深めながら、レジーナは古びた本を小脇に抱えて、家の前から続く小道を通って村の中心部に向かって歩いていった。
昼にはうだるような暑さになる季節とはいえ、まだ日が昇ってから間もない時間ということもあって、あまり足場の良くない小道を進むレジーナが汗をかくことはなかった。
そもそもレジーナ自身が汗をかきにくい体質ということもあるだろうが。
人数に対して村の面積は比較的広く、畑の合間にぽつりぽつりと建った家々から漂う朝食の匂いにお腹を鳴らしながら、レジーナは歩を進めていく。
もう30分もすれば、村の人々は活動を開始し始める。そうなると面倒くさいことになりかねないことを身をもって知っているレジーナは、少しだけ歩を早めた。
そうしてレジーナが10分ほど進んでいくと3軒の家が立ち並ぶ、村の中心にたどり着いく。
この3軒は、この村を取りまとめる一族の住まい。まあ、平たく言えば村長とその親族の家だった。
その中でも最も大きい家、村長の住む家へ静かに近づいたレジーナは、玄関の扉をノックもせずに開けて中に入る。
そしてキョロキョロと周囲を警戒しながら、玄関先に用意されていた朝食の入ったバスケットをそっと手に取ると、そそくさと家を後にした。
「ふぅ。さっ、早くお勤めに行こ」
ほっとした表情でそう呟いたレジーナは、バスケットを片手に村の外へ向かって歩き出す。
今日は運がいいみたい、と喜ぶレジーナの足取りは少し軽かった。
村を出たレジーナは森の中をすいすいと進んでいく。
レジーナが毎日行き来しているおかげでかろうじて道になってはいるが、そこは獣道とほとんど変わりがなかった。
山に詳しくない者であれば簡単に迷子になってしまうような道を、彼女はきょろきょろと視線を動かし、鳥や動物たちの立てる物音に注意しながら気楽に歩いていた。
「あっ、これなんかもういいかも」
通りがけに摘んだ赤い木の実をレジーナは口に含み、その酸っぱさに目を細める。
「うえっ、もうちょっと熟すの待つんだった」
ぺっぺっ、と種を吐き、いがいがする口をどうしようかと考えながらレジーナは歩を進め、岩肌にぽっかりと口を開けた洞窟にたどり着いた。
「やっぱり夏は雑草が生えるのが早いなぁ」
昨日全て抜いたはずなのに、懲りずに顔を見せてくる雑草の新芽たちの生命力にぼやきながら、レジーナは洞窟の前にあった石の台にバスケットを置く。
少し苔むしてはいるが、まるでテーブルのように平らなその石はパスケットを置くのにちょうどよく、彼女はとても重宝していた。
「草取りしたら、小川で手を洗ってご飯だ。……口もすすごう。あー、まだいがいがする」
そう独り言をいうと、レジーナはさっそく膝を曲げ、雑草駆除に精を出すのだった。
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