第9話 惨劇の主
とっさにレジーナは両手を前に出し、その手から突風が吹き荒れる。
その風はボロい家をきしませながら、レジーナに向かっていた鞘を、握っていた男ごと吹き飛ばした。
床を転がった男はテーブルを巻き込み、用意されていた食事や食器が地面にぶちまけられる。
楽しみにしていたナツミグのジャムが床に無残に広がるのをレジーナは視界の端で捉えていた。
しかしレジーナの思考は一片たりともそちらに向いてはいなかった。
「な、んで?」
停止しかけた思考の中ひねりだしたその言葉が向かうのは、縄で縛られ床に座らされたレミではなく、その後ろで椅子に座ってにこやかに笑っているティムにだった。
その手には切れ味のよさそうなナイフが握りしめられており、それはレミの首に添えられている。
「約束したでしょう。半月後には戻ってくると。いや、手配に手間取ってしまって少し過ぎてしまいましたが」
「何を、言っているの?」
意味が分からず、レジーナは呆然とティムを見つめる。
そのにこやかな笑顔はいつも行商をしていたときと変わりなく、その言葉は決して間違っていない。
ただその手に握られたナイフが、レミの命が、激しい違和感となってレジーナを襲っていた。
「逃げるんだよ。私のことは……」
「あなたは少し、そのうるさい口を閉じたほうがいい」
「うっ」
「おばさん!」
レミの首がナイフで薄く切り裂かれ、そこからつつーっと一筋の血が流れ落ちていく。
そんな凶行にギリっと歯を鳴らしながら、その手を前に動かそうとしたのだが……
「ああ、お前も動くな。こいつの命が惜しいならな」
その冷たい言葉と共に、ナイフの先端がわずかにレミの首に近づく。
それはレジーナの動きを止めるには十分すぎる光景だった。
諦めたかのように手を下ろしたレジーナの姿に、ティムは笑みを深め、レミは辛そうに顔を歪めて目を伏せた。
「ってて。おいティム、魔法が使える奴がいるなんて聞いてねえぞ。契約違反じゃねえのか?」
テーブルを巻き込んで床に転がっていた男が、ぶるぶると頭を振りながら立ち上がる。
黒い軽鎧を身に着けた鋭い目つきの男はのしのしとレジーナに近寄ると、その腹に向けて迷うことなく拳を突き入れた。
声を発することすらできずレジーナは吹き飛ばされ、壁にぶつかり止まる。ミシミシと音を立てる壁がその威力をもの語っていた。
「私も初めて知りました。こんな辺境の村でどうやって覚えたんだか。ちなみに不測の事態はありえる、と事前に伝えていますから違反にはあたりませんね」
「ちっ」
悪態をつきながら壁際で倒れ伏すレジーナに男は近づき、その口の中に布を詰めるとその上からロープで縛ってしまう。
スティーブンに受けた暴力とは違う、体の奥からくる燃えるような痛みに耐えながらレジーナはただレミを見つめた。
レミは涙を流して必死にレジーナに向けて手を伸ばそうとしていた。
後ろで縛られた両手を震わせ、自らの首に傷が増えていくことなど気にしていないように少しでもレジーナに近づこうとしている。
ついにはぱたんと地面に倒れ、芋虫のようにはいずりながら近寄ってくるレミの姿に、レジーナの瞳から涙が溢れる。
そしてそれに応えるように、レジーナは手を伸ばしたのだが……
「んっ、ぐっ」
「あんた、うちの子になにをするんだい!」
「お前もうるせえんだよ!」
「がっ」
伸ばされた小さなレジーナの手を男はぐりぐりと踏みつぶし、続いて文句を言ったレミの顔を蹴り飛ばす。
圧倒的な弱者である2人に対する容赦のない暴力。それをティムは咎めることなくただ笑って見ていた。
「ヒュー、あまりやりすぎて殺さないでくださいよ」
「わかってるよ。さて、お前、あの紫の石のありかに連れていけ。そうすればお前とこいつの命だけは助けてやる」
「う、うあ」
髪の毛を掴まれ、無理やり立たされたレジーナがキッとヒューと呼ばれた男を睨む。
ヒューの言葉が嘘であることをレジーナは理解していた。きっと洞窟に連れて行けば自分たちは殺される。
それを防ぐためにはなんとかして逃げ出すしかない。
口をふさがれたことを考えれば、こうすればレジーナが魔法を使えないと相手が考えていることの裏返しだ。それならばまだチャンスはある。
そうレジーナも頭ではわかっていた。わかっていたのだが……
「あぁ、お前そっち側の人間か。なら」
ヒューは睨みつけてくるレジーナを無視し、床に倒れたままのレミに近づく。そしてその頭に自らのブーツの底を乗せると、徐々に体重をかけていった。
ミシミシと床が音を立て、レミの叫びがレジーナの心をずたずたにしていく。
「んんんっ!んんんっー!」
必死にレジーナは「やめて!」と叫ぶが、口に詰められた布のせいでくぐもった声しか出ない。
ヒューはしばらくその様子を楽しんだ後、ゆっくりとその足をレミから離した。
「たまにいるんだよなぁ。自分に何されても強情を張る馬鹿が。そういう奴らに共通するのは、大切な誰かが傷つくのには弱いってことだ。勉強になったか、チビ?」
「ではさっそく案内してください。この辺りの森にはなぜかモンスターが出ませんし、夜でも問題ありません。時間は貴重ですからね」
まるで荷物のようにレミを担ぎ上げたヒューを従え、ティムがレジーナに案内を促す。
憎悪のこもった瞳でにらまれながらも、彼はそれを軽く受け流していた。
しかたなくレジーナは体の向きを変え、ずきずきとした痛みを伝えてくるお腹に手を当てながら歩き始める。
家を出ると辺りは夕日に照らされ赤く染まっていた。焦げた匂いが辺りに漂う中、こちらに近づいてくる人影にレジーナは気づく。
もしかして難を逃れた村人がやってきたのか。そう思ったレジーナだったが、それが見たことのない化粧の厚い女であることに気づき顔をしかめた。
「よぉ、モナ。ジャックたちはどうした?」
「ああ、あの獣どもならこんな田舎にしてはいい女がいたって遊んでるわ。フォローは私だけで十分だろって。あいつらの取り分減らしてもいいわよね」
「そうだな。んじゃ、行くか」
ひどい状態のレミとレジーナを見てなお、その女、モナは気にも留めていないかのように会話を続ける。
まるで2人の命など虫けら以下であるとでも言わんばかりの態度に、レジーナはぎゅっと拳を握りしめた。
「ああっ、ちょっと待って。それも燃やしちゃうから。後からここまで戻るの面倒だもの。『我は望む、赤き炎球』」
モナが持っていた小さな杖を振ると、その先からスイカ大の火の玉が現れる。
そしてモナが杖の先をレジーナたちの家に向けると、その火の玉はそれに従うように飛んでいき、家の壁にぶつかって火柱をあげた。
「ううー!」
「あら、あれあなたのお家だったの? あまりにもボロボロだからゴミだと思って燃やしちゃったわ。ごめんなさいね」
全く謝意など感じられない、それどころかあざけるような笑いを浮かべ、モナは崩れていく家を楽しそうに眺める。
レミとの大切な思い出のたくさん詰まった家が音を立てて燃え、灰になっていくのをレジーナはただ見守ることしかできなかった。
「早く行け。こいつがどうなるかはお前の態度しだいだ」
そんなことを言いながらヒューがレジーナをこづく。
先ほど頭を踏みつけられ気を失ったのか、ぐったりとした様子でピクリとも動かないレミの姿を眺め、レジーナは涙をぬぐい歩き始めた。
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