第0話 消えるもの、残るもの
薄暗い洞窟の奥。ドーム状にくり抜かれた広場は、地面からのぼんやりとした光に照らされていた。
壁面の所々からのぞく紫色の鉱石がその光を反射し、怪しい輝きを放っている。
まるで時が止まっているかのような静寂が支配するその場所の中心には、2メートルに近い像が置かれていた。
それは艷やかな紫の鱗に覆われた人型の像だ。黄金に輝く鋭い瞳は洞窟の入口を鋭く見つめ、精悍な顔つきと相まって威圧感を覚えずにはいられない。
2本の角を天井に向け、臀部から生えた尻尾を体に巻き付けるようにして座る姿は、それが人とは違う生き物であることを如実に示していた。
今にも動き出しそうなほど精巧さを誇るその像を造ったのは誰なのか、なんの目的でその場所に設置されたのか、それを知るものは……
「エライラ・ルーアマイトが死んだぞ」
地面の光が僅かにゆらぎ、そこから若い女の声が聞こえてくる。
どこか楽しげな色を含んだその声は、洞窟の中で反響し、その言葉を重ねていく。
だがそれに反応する者はいない。
それでもその声はそんなことなど意に介せずに言葉を続けていく。
「勇者アースラが死に、獣王クレマンもほどなく死んだ。ドワーフのイングリットは200年前に、そして今エルフのエライラも死んだ。人の生は短く、はかないものじゃな」
「……」
「もはや貴様のことを覚えているものはこの世界でも数えるほどしかいないじゃろう。それなのになぜここに留まる?」
「……」
まるで友人に話しかけるような親しげな様子で女の声は話し続ける。相手がまるで反応を示さなくても、それが当然だとわかっているかのように。
「貴様たちがもたらした平和は、人を幸せにしたのか? 我という共通の敵がいたからこそ、人々は団結した。だがそれがなくなった今、どうなっているのか想像したことはないか? 平和は繁栄をもたらし、そして繁栄は人間同士の争いへと続く。争う人々はどこまでも醜悪だ。それを知らぬわけではあるまい」
「……」
「それに比べれば、まだ我のほうが……」
「そのうるさい口を閉じろ。魔王」
像から低く、渋みのある声が放たれる。
わずかに口だけを動かしたその男は、視線を地面に向ける。その黄金の眼に映る地面に描かれた魔法陣から放たれる光は、その反応をまるで喜ぶかのように明滅した。
「声を聞くのは5百年ぶりかのう。久しいな、ウィル」
「貴様に愛称で呼ばれる筋合いはない」
「つれないのぅ。今の世において、我以上にお主のことを知る者はおらんじゃろうに」
「……」
「だんまりか。まあよいわ。これから時間はいくらでもある。我にも、そしてウィル、お前にもな」
それだけを言い残し、明滅していた魔法陣は元のほのかな光へと戻っていった。
再び静寂が支配したその空間の中で、ウィルと呼ばれたその男はわずかに身じろぎをし、深く息を吐いた。
いつかこうなることをウィルはわかっていた。
いかに長寿のエルフといえど、寿命は700年程度である。それは若くして天才魔術師と呼ばれたエライラ・ルーアマイトであっても覆しようのない定めだ。
人の子はいつか死ぬ。
例外は理を外れた者だけ。魔王や、そしてウィルのような。
『ごめんなさい、ウィル。いつかあなた1人に辛い役目を押し付けてしまうことになるわ』
そう言って涙を流しながら去っていった小さなエルフの背中を、それを支える3人の大切な仲間の姿を思い出しながら男は天井に視線を向ける。
そこにあったのは滑らかな壁面に残された多くの傷。500年という長い年月により風化し、もはや普通の者には認識できないであろう文字の数々。
ここに男の仲間がいたことの記憶の残滓。その思い出を頭の中で蘇えらせながら、男はぽつりと呟いた。
「エライラ、辛くはない。君たちとの記憶が残っている限り。そして俺にはそうすべき責任がある」
いつか彼女と交わした最後の言葉を、噛み締めるように漏らし、男は再び元の姿勢に戻ると像のように動かなくなったのだった。
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