ベイルリス
アンゼリカの母国、ラスフィードの言葉はフロレ語を祖としている。大まかな言語体系を引き継ぎながらも、強い訛りや改変が加わり、ほぼ別物と化している。
当然ながら、ヴァイス語とも文法的に通じるところは少ない。外来語はフロレ語由来のものが多いので、フロレ語を母語としていればもう少し取っつきやすかったかもしれないが、そうでなかったものは仕方ない。
反省したアンゼリカは毎日のように、せっせと机に向かって、ヴァイス語の習得に励んでいた。
「そうそう。韻を意識して。この場合、次の語順が複雑になるから気を付けてね」
「はい……よし!これでどうでしょう、ベイルリス様」
「うん、着実に上達しているよ。頑張っているね、アンゼリカ姫」
紫の髪を揺らして手元を覗き込んだ妖精は、ふわりと笑った。その足元ではフィアールカが羽繕いをしている。小さく鳴き声を上げながら、時々思い出したようにベイルリスの爪先を攻撃した。
「ごめんなさい、別の部屋に移させます……」
「いや大丈夫。良いスノークを持っているね、アンゼリカ姫」
ベイルリスは長寿の妖精で、人間社会への造詣も深い。それもただ人里に馴染んでいるのではなく、長年ヴァイス宮廷で大使を務めてきた妖精だ。知識と経験の密度が尋常ではない。皇城内の物事で、知らないことの方が少ない。貴族、派閥、陰謀、儀礼、作法、あらゆることを把握している。師としてこの上ない相手と言えた。
アンゼリカは一度筆をおき、にこやかに教師に礼を述べた。
「いつもありがとうございます、ベイルリス様」
「ユーリスとソフィアの頼みだからね。でも今日の分は中止になると思っていたよ」
にこやかな妖精の言葉に、アンゼリカは首を傾げた。
「え、どうしてでしょう?」
「だって昨日、ヴァルラスに絡まれたんだろう?あの癇癪と大喝を浴びたら、気丈な人間でも数日は動けなくなるからねえ」
「ああ、あのことですか」




