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遊覧船で、少しだけ昔語り

「アンゼリカ姫でしたら、こういうところも慣れているのでしょうね。ラスフィードの方なら、船上は慣れ親しんだものでしょう」

「私は……」


 少し応えに迷った。確かに、船には慣れている。でもアンゼリカが知っているのは主に、実用一辺倒の漁船である。同じ船でも、こんな非実用的な遊覧船は戸惑うばかりだ。


「……正直、故郷のそれとは全然違います。けれど、これはこれで優雅ですね」

「そうなのですか。それでは良ければ、ラスフィードのことを聞かせて下さいか?」


 その申し出に、アンゼリカは吃驚する。そんなことを言われるとは思わなかった。視線を回して、水面を見下ろすと、戸惑った顔が映っていた。


「……ええと、そうですね。では……」


 海と空の色。日差しの眩しさ。活気づく漁師の声や魚市場。打ち寄せる波、潮の香り。思いつくまま話すそれを、ユーリスは頷きながら聞いてくれた。


「……成程……しかし、前から思っていましたが。アンゼリカ姫は、ラスフィードの王宮の話はあまりなさらないのですね」

「その辺はあまり。私と母は、王都から離れた岬の方で暮らしていましたので……」


 ユーリスは瞬きをした。にわかに表情が引き締まり、緊張した顔つきになる。


「それは……失礼ですが、何かご事情がおありで……?」

「あ、いえ。そういうわけではないですけれど……」


 別に、そんなに身構えるほどの話でもないのだが。そう思いながらアンゼリカは苦笑する。思い出すのは少々困った母親のことだ。


「お母様は一日に一度は、ご自分より大きな生き物を投げ飛ばさないと気が済まなくて。欲求不満を募らせてしまうんです。それに武者修行命で、一年の半分は旅してるような方で……」


 王妃時代も、公務を放り出したりすっぽかすのが日常茶飯事だったそうだ。出席しても、少しでも強そうな相手を見つけたら腕比べに行ってしまう。


「王都の衛兵や武人を片っ端から投げ飛ばしては、その軟弱さにため息をついていたとか。お父様はその後始末や補填に追われて、しょっちゅう泣いていたそうです」


 とどめは、最新の船を景品にした腕相撲大会で、国中の力自慢を集めた時だった。そこでも難なく優勝してしまい、お母様はいよいよ王都に愛想を尽かした。


 母は国中をさすらい、そして見つけたペトルの城を気に入った。元々いた山の王との死闘を経て新たな王となって、そこを拠点に更に方方飛び回っていた。


「私はと言えば、そんなお母様についていくこともありましたが、大抵留守番をしていました。私も社交界や人付き合いより、山の皆といたほうが楽しかったので……」


 それで何だかんだ里帰りもせず、ここまで来てしまったわけだ。


 ……だから、ヴァイスの南下とかフローラスの要請とか、そんな大変なことが起きているなんて知らなかった。だから半年前のことは青天の霹靂だった。


 あの日、お父様は疲れ切った顔に、不気味な猫撫で声で言ったものだ。


「……良いか?こういう時に国を守るため身を挺するのが、姫たる立場の存在意義だ。労働で手を荒らすこともなく優雅な生活を送るのは、偏にこうした時のため……お前も王女の端くれだ、自分が何をすべきかは分かるだろう?」

「はあ……」


 アンゼリカはそれに気のない返事をして、ティースプーンでカップの中の薔薇茶をかき混ぜ、


「……でもそれ、私でないといけない理由じゃなくないですか?」


 それに国王は、明らかにぎくりと肩を強張らせた。アンゼリカはぼんやりした表情のままで、


「そもそも……フローラスのお姫さまたちはどうしたのですか?盟約の主導者で代表国というなら、その国が条件達成するのが筋では?」

「うぐっ」


「というか、そっちにお姉様や妹たちもいるはずですよね?何で私?」

「ううぅ……っ」


「ついでに言うと、ここ三年くらいは王宮からの支給金が止まってて、魚釣ったり野菜作ったり内職して自活してたんですけど」

「え、そうなの?ネコババ?」


「たぶん。あと記憶にある限り、着飾ったり傅かれたりもしてませんけど。対価を受け取ってないんだからその、姫の義務?とかも無効ではないですか?」


 遂に父は、がっくり肩を落とした。深く俯けた顔からぼそぼそと、


「だって…………フローラス始め、どこも嫌がって他国に押し付けて、また別の国に押し付けて、巡り巡って最後に行き着いたのは、一番小さいうちで……でもそれだって決められないし……妻たちは泣くわ寝込むわ怒り狂うわ、娘たちもヴァイスに行かされるくらいなら死ぬって大騒ぎするし、一人なんか駆け落ちしやがったし……」


 ラスフィードは本当に小さく、目ぼしい資源もない小国だ。海に面しているため、専ら漁業と造船で生計を立てている。


 事情と成り行き上、周辺諸国の助け船も期待できない。桁違いの国力と影響力と歴史を持つフローラスに睨まれれば、どうなるかは明らかだ。


 アンゼリカの父も、国王とか君主とか言っても、実態は漁師の元締めに毛が生えたくらいのものだ。彼の顔には強国と海の機嫌に日々翻弄される悲哀が滲んでいた。


「だから頼む!お前だけが頼りなんだだああああああ!!」


 そして、目ぼしい候補が全滅して後のない中年男に全身全霊で泣きつかれ――今に至る。


「…………変わったご家庭のようですね……まあ、私も人のことは言えませんが……」

 話を聞いたユーリスは、戸惑いがちな声で相槌を打った。


アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…

ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの婚約者。

皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。

ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。

ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。

フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。


※火、木、土、日の昼に更新します。読んでいただけたら嬉しいです!!

(2025年9月現在)


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