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皇帝の目覚め

 一方で皇帝も、目覚めを終えていた。炎帝の一日は日出の直前から始まる。


「神の虚偽よ、今日も私を試しに来たか……!」

 窓を開けて、朝日に吠え掛かろうとする主君を必死に抑えて、侍従たちは身嗜みを整えさせる。皇帝の姿を完成させるや、彼らは音もなく引き下がった。寝室の扉が開くと、廊下で待機していた侍従たちが、ざっと敬礼した。


「本日も勇ましくいらっしゃいます!!」

 彼らは顔を伏せ、声を揃えてそう唱えた。腹の底から声を出し、一部の乱れもなく揃った斉唱。その場の全員に、凄まじい気合が漲っていた。


 何しろ、この一声には今日一日の主君の機嫌がかかっている。ここで少しでもずれると、その日一日皇帝は不機嫌になるのだ。彼らに目もくれず、足音も高らかに、炎帝は執務室に向かった。


 実はこの炎帝、実務能力は申し分ない。執務中に発作や狂行を起こすことも殆どない。広大な帝国領土の政治に経済、妖精とのやり取りなど、国内の物事を完全に統括し、差配することができる。その日も各地から届けられる報告書や、膨大な書類を凄まじい勢いで捌いていった。

 書類の山は見る見る減っていき、すり減って、そして――……


「本日午前の執務、終了にございます……!」

 それとともに、水底のような沈黙が、落ちた。


「――――……終わった……か……ふふ、そう、か。終わったのだな……?」


 がっくりと首が垂れ、巨躯が戦慄いた。全身が痙攣し、笑い声が響き始める。侍従たちは一様に体を固くして、顔を伏せた。即座に数名が進み出て、香炉の支度を済ませる。


「皇后陛下の香気は永遠です!」

 それだけ宣言して、即座に下がる。香炉からは、ペネロペ皇后が愛用したかつての香が漂い出した。雨に濡れた白薔薇のような、得も言われぬ優しく甘い香りだ。それに炎帝は視線をさ迷わせ、不明瞭な言葉を呟いた。


 更にその日は、思わぬ客があった。

「……あらお父様。本日も勇ましくいらっしゃるのね」

 数名侍女を従えたエリザヴェータは、扇を傾けて皮肉気に微笑んだ。

 程なくして炎帝は沈静化し、父娘は茶を挟んで向かい合った。

「……誰かと思えば、エリザヴェータか」

「ええ。唐突な訪れ、何卒お許し下さいませ。少々お聞きしたいことがありましたもので」


 最愛の妻、ペネロペに生き写しの容姿。そのためエリザヴェータは父帝の怒りを買うことが少ないし、その具申も比較的通りやすい。仮に怒りを買い殴り掛かられたとしても、侍女か衛兵の誰かが庇う。使用人がどれほど傷つこうと、皇族が傷を負うことはない。それがヴァイス皇城の日常だ。


「昨夜の皇太子妃の件について、既にお耳には届いておりますか?」

「当然だ。朝一番で聞かされたわ。あの小娘、とんだ台風の目かもしれんな」

 不快そうに炎帝は吐き捨てた。妖精の盟約の第一人者として、それは断じて愉快なことではない。


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