妖精の贈り物
女神像の如き完璧な美貌、慈愛に満ちた微笑。そこから飛び出したとは思えない言葉に、アンゼリカは固まった。
そして、その一声の効果は絶大だった。空気がざわめき、一同の視線は更に緊迫感を増したものになる。
この皇城で、エリザヴェータの意志は多大な影響力を発揮する。彼女が発した敵意の宣言は、宣戦布告に等しかった。
日頃エリザヴェータの恩恵を受けている者たちは、息を呑んで状況を窺っている。だが一旦火種が弾ければ、我先にとその意志を代行しようとするだろう。彼らの敵意はただ一点、アンゼリカへと集約し、排斥のために一斉に牙を剥く――はずだった。
「エリザヴェータ様。畏れながら、わたくしに発言をお許し頂けますか?」
「…………ソフィア。何事かしら?」
ソフィアが、そこに待ったをかけた。緊迫感を緩めるような、ふわりと優しい彼女の声に、エリザヴェータの声はいつにも増して凍てついた。
「ご存知の通り、皇太子妃殿下のお世話を担っているのはわたくしでございます。今回の非礼は、わたくしの責任でもあります。幾重にもお詫び申し上げます」
そう言いながら、彼女は優雅に頭を垂れる。ひとつの無駄もない、極めて流麗な動きだった。エリザヴェータの感情はともかくとして、周囲の敵意は緩める効果があった。その緩んだ隙間を縫うように、美しい声を響かせる。
「わたくしの配慮が行き届かず、エリザヴェータ様には色々とご不便をおかけしていると思います。ですがどうか、今しばらく寛大な目でご覧頂きたいのです」
「どうしてかしら?……わたくしはこれまでにも、充分慈悲をかけてきたわ。今になって、更に容赦する理由があるとでも?」
「ええ、そうですわ。皇太子妃殿下は、妖精の贈り物をお受けになったからです」
辺りが一気にどよめいた。傾きかけた天秤が、一気に引き戻される。鈍いアンゼリカにも分かるほどの空気の変化だった。
漂う緊張感に口を挟めず、アンゼリカはただ瞬きした。
「……虚言ではないでしょうね」
妖精は本能的に嘘を嫌う。陸地でならともかく、こういった妖精に近い場所で嘘をつくこと自体、恐ろしい無作法とされる。まして妖精の贈与に関して嘘をつくなど、露見したら全てを失い失墜する破滅の道だ。生まれながらの貴族であり、皇家に連なる血を持つソフィアに、その危険が理解できていないはずがない。
「ええ、勿論です。皇太子妃殿下、例の指輪をお見せ下さいませんか?」
「え?あ、はい、もちろんです!」
アンゼリカは言われるがまま、慌てて首にかけた指輪を引き出した。その際にソフィアがさり気なく金剛石の首飾りを外して回収した。
樹氷の指輪は、氷に反射する光を弾き眩いほどに輝いた。皇城に出入りするほどの家格の貴族なら、一目でそれが本物と分かる。この独特の輝き、息づくような燐光。モロゾロクの角よりも強く、繊細な文様を描いて光っている。それは人工では決して再現できないものだ。
「皇太子妃殿下。その紋章の部分を、氷に向けて下さいませ」
「は、はい!こうですか?」
言われた通りにすると、すぐに変化が現れた。氷の上に巨大な紋章が浮かんできたのだ。光でできた樹氷の紋章がちかちかと瞬き、光を散らしながら広がっていく。更にどよめきが大きくなり、入り口や氷の上からも視線が集まって来た。
さしものエリザヴェータも、これには驚愕を隠し切れない様子だ。
「……外国人に?樹氷の部族長が?どうしてそのようなことが起こったの」
「それはまだ分かりません。ですから尚更、それが判明するまでは御寛恕を賜りたいのです」
沈黙は長かった。誰もが固唾を呑み、エリザヴェータの動静を窺う。
「………………そう」
やがてエリザヴェータは視線を下ろし、扇を閉じた。敵意は未だ刺すように鋭いが、この場は矛を収める気になったようだ。
「――ならばその旨、わたくしから陛下に報告致しましょう。そこからは陛下の沙汰次第ですが……」
あからさまに不服そうにしながらも、そう言って収めた。だが、苛烈な眼光は少しも緩む気配がない。
「それと、一応確認しておくわね。お前に生意気な首飾りを渡した人間は誰?……まあ、カサンドラなの、そう…………」
アンゼリカは状況が飲み込めないながらも、さすがに不穏なものを感じて冷や汗が出始める。
「はい、ご厚意でお預かりしました。ですが、ご不快にさせてしまったならお詫びします。申し訳ありません」
取り敢えず、アンゼリカは勢いよく頭を下げた。相手を不快にさせ、空気を悪くしてしまったことへの反省を表明する。だが、反応は冷淡なものだった。
「……あら、そう」
エリザヴェータは優雅な挙措で扇を開き、顔の前に翳す。長いまつげがゆっくりと上げ下げされて、青い瞳が異様な輝きを放った。
「――……かわいそうなこと。ただ怨嗟の受け皿として利用されて……都合の悪いこと、なにも話していないのね。カサンドラにとってお前など、単なる道具でしかなくてよ」
緋色の唇が弧を描いた。明確な悪意に歪んだ笑みは、それでも背筋が凍るほど美しかった。
「…………あの女、元はわたくしの義娘だったの。わたくしはあれのした行いを、そっくり返してやっただけよ」




