氷跪
「あ、そうだ。エリザヴェータ様から氷跪という言葉を聞いたのですが、どういう意味ですか?」
「あら……そうですね。では折角ですし、それを練習しましょうか」
そして、氷跪の練習が始まった。アンゼリカは氷の上を滑りながら、教えに耳を傾ける。
「氷跪とは要に、転ぶ時の心構えなのです」
どんなに上手くても、慎重に滑っていても、転ぶ時は転んでしまう。鍛錬を積むごとに確率は減っていくが、ゼロにするのは極めて困難だ。完璧に滑っていても、妖精の気紛れで転ばされることだってある。
氷の上では誰もが転びうる。だから、転倒は恥ではない。起き上がれないことが恥なのだ。転倒はむしろ、妖精との交歓とされることもある。そして真の巧手は、それすらも美に昇華させてみせる。
氷跪は転ぶ技であり、その心得を表す言葉でもある。転倒の予兆を素早く察知し、全身を使って対応することが肝要だ。足を使い、重心を適切に移動して勢いと衝撃を受け流し、流れるように着地する。そこまで説明したソフィアは、小さく咳ばらいをした。
「ご婚礼の際にも、何度かあったでしょう?例えば最後に、スノークと舞っていたご令嬢とか……覚えていらっしゃいますか?」
「はい、勿論覚えていますけれど……え!?あれ演出じゃなかったんですか!?」
アンゼリカは仰天した。宴の最後、スノークとともに舞っていた舞姫のそれは、特に流麗だったからよく覚えている。
中盤のことだ。舞姫が翻していた半透明の袖が、裾が、氷の上に流れ落ちた。倒れたなんて感じは全くなく、それこそ鳥が舞い降りたような優美さだった。
上空のスノークはそれを見つめ、ゆっくりと遠ざかっていった。舞姫は片割れを仰ぎながら、手で何度も招き寄せた。首と手を絶えずそちらに向け、細かな仕草に抒情が溢れ出るようだった。スノークは最初は旋回していたが、やがて舞姫に近づく。舞姫は手を差し伸べたまま微笑み、立ち上がる。見えない糸に引き上げられるように。それが、アンゼリカにはスノークと舞姫の絆に思えた。
人と氷獣。両者の初めて心が結び付いた、そんな場面だった。あまりに美々しく感動的で、てっきりそういう振付だと思った。
「あれ、転倒だったんですか……」
氷上舞、奥が深い。アンゼリカは感嘆の息を吐いた。雑談交じりに練習しながら、ソフィアはふと聞いた。
「それにしても……アンゼリカ殿下は、エリザヴェータ様にやけに好意をお持ちですよね。何か理由でも?」
「ああ、はい!エリザヴェータ様はなんか、故郷の友達に似ているんですよね」
数年前ペトルの森にいた、孔雀のフェンツェさんに良く似ているので、アンゼリカは何だか懐かしい気持ちになる。
あの子はまるで夢の世界から遊びに来たような、それはそれは美しい羽を持っていたのだが、ひとつ困った点があった。自分以外の綺麗な色を見つけると、壮絶な対抗意識を燃やして暴れ出すのだ。
同じ孔雀や鳥などは序の口だ。色鮮やかな虫でも見かけようものなら、どこまでも追いかけて必ず嘴に収めた。毒ガエルに頭突きしようとしたり、迷い込んだ人間の服や装飾品をはぎ取ったなんてこともあった。他にもちょっと綺麗な花とか見つけると、即座に啄んで踏みつけて埋めてしまうし。おかげで結構森が荒れて、大変だった。最終的に素敵なお嫁さんを見つけて幸せになったみたいだが……
(そういえば、どうしてるかなあ。もう子供も大きくなってるだろうし、さすがに落ち着いてると思うけど……)
なんでまた、ここは既視感たっぷりの人と遭遇しやすいのだろう。ペトルの森とは全然違う環境のはずなのに……アンゼリカは訝しんだ。




