氷冠聖舞
「ところでアンゼリカ姫は、氷上移動はもう体験したのかしら」
エリザヴェータがそう聞いたのは、例の食事会から数日経った後のことだった。
これまでの振る舞い、そして食事会の一件で、貴族たちの心証が変わってきている。皇女は肌感覚でそれを察していた。
アンゼリカのあっけらかんとした反応を揶揄する者もいるが、文化の受容や柔軟さを好意的に受け取った者もいる。人心がアンゼリカに流れることは、エリザヴェータには面白くないことだった。
「はい!あれは奥深くて楽しいですね。少しずつでも上手くなりたくて、時間のある時に練習もしています。もちろん、全然まだまだですが」
「ええ、でしょうね」
くすくすと、部屋中から笑い声が溢れ出す。揶揄には気づかずに、アンゼリカはにこにこと笑っていた。
「でも巷では、外国人は妖精に転ばされる、なんて噂が流布しているのでしょう?実際ここに訪れる外国人は、多くが氷の上で滑るのを嫌がるわ。貴女は恐ろしくなかったの?」
「恐ろしい、ですか。それは考えていませんでした。妖精を不快にさせてしまったら、とは思いましたが……氷上移動そのものはとても面白そうで、憧れましたから!」
実際に滑ってみると、思ったよりずっと難しかったですけどね。アンゼリカはそう続けて朗らかに笑った。
「でも、ユーリス様が言って下さいました!転ぶことは当然で恥ではないし、周りを頼っても良いのだと。私も自分にできることをして、そうして必要なことを身に着けていきたいです!氷の上を滑るのは楽しいですし!」
「ユーリスが?そう……」
エリザヴェータは顔の前で扇を広げる。部屋の空気がやや冷えて、周囲の者たちは身を強張らせた。
「……そうね。どれほど熟練でも、転ぶときは転ぶもの。氷跪と言う言葉もあるほどに。……ではもう一つ聞くけれど、氷冠聖舞と言う言葉を聞いたことはあるかしら?」
「あ、はい。ユーリス様から少し教えて頂きました。皇家女性だけが舞えるもので、妖精の錫杖を使った、最も格式高い舞なんですよね……!」
「……その通り」
やや低まった相槌に、周囲の公達が即座に反応した。
「エリザヴェータ様の氷冠聖舞は現代最高、いえ歴代を顧みてもふたつとないものです。亡き皇后陛下と生き写しと呼び声高く、妖精も絶賛の声を惜しまぬものでございます」
「そうですとも。従ってエリザヴェータ様こそが、ヴァイスで最も美しく尊い女性であるということです。異論を挟む余地はありません」
「リュドミラ様、アレクサンドラ様も素晴らしい舞手でいらっしゃいますが、エリザヴェータ様に及ぶものではございません」
「え?そうなんですか、それは素晴らしいですね!機会があれば拝見したいです!」
ここぞとばかりに誉めそやす声に反応し、アンゼリカはうきうきと手を合わせた。ぜひ見てみたい……そんな期待が溢れる表情だ。そんなアンゼリカに、エリザヴェータは更に問いかける。
「アンゼリカ姫。貴女もユーリスとの婚姻で皇家の一員に加わったわけだけど……それをいづれ舞いたいという野心はあって?」
「いえいえ、まだとてもそんな領域には!」
慌てて手を振るアンゼリカに、エリザヴェータは蔑みの視線を向ける。
「ええ、そうね。ヴァイス文化の真髄を外国人に求めても仕方ない…………とはいえ、それを盾に逃げ回られるのは愉快ではないわ。ずっと穴倉に籠って、表に出てこないならともかく」
そもそも、外国人をヴァイス皇家に迎えること自体が、かつては異例だったとエリザヴェータは語った。千年のヴァイス史を紐解いても、ここ数代で数回あった程度のことだ。氷冠聖舞こそが皇后・皇妃・皇女の資格であり、ヴァイス人女性が選ばれることが殆どだった。彼女たちは幼い頃から氷に親しんできたが故に、複雑華麗な舞にも対応することができたのだ。
「…………妖精の錫杖は、ヴァイスの秘宝。妖精たちとの盟約を証立てる舞。それこそがヴァイスの源流であり、ヴァイスの全て。これを舞わない者が、皇家の一員として認められることは決してないと知りなさい」
※2026年1月より更新を再開しました!
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アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。
ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。
カサンドラ:ヴァイス帝国の皇妃。
エリザヴェータ:ユーリスの姉。
リュドミラ:ユーリスの異母姉。なぜか喪服を着ている。
アレクサンドラ:ユーリスの異母姉。
ペネロペ:ヴァイス帝国の元皇妃(故人)。ユーリスとエリザベートの母。
ベイルリス:妖精族。樹氷の部族長の兄
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。




