薄氷食
三段階目。これは獲物への攻撃の総仕上げだ。過去事例の全てにおいて、これが標的へのとどめとなった。
その日食事会に呼ばれたアンゼリカは、衆人環視の中ある料理を出された。
「ヴァイス人がかつて食していた主食。ゼルナドの時代から伝わる、伝統あるものなの。皇家の人間も、特定の儀式の際は口にしなくてはいけない。……お父様はあの通り気紛れだから、そんな機会がいつ来るかも分からないでしょう?」
だからね。義姉としては、心構えをさせてあげたいのよ。そう言って、エリザヴェータは目配せをした。侍女たちは気がかりそうな目をしながらも、粛々と準備を進めていく。
「こちらでございます」
そして出てきたのは、アンゼリカにとっては見慣れたもの――……魚であった。彼女が知るそれと違うのは、真っすぐ体を立てていたこと、その状態で凍り付いていたことである。
そこに刃物を入れたのは、体格の良い侍従だった。刃物で皮を取り除き、切れ込みを入れて、真っすぐ下に身を削いでいく。くるりと丸まったそれを侍女が皿に乗せ、最後に塩胡椒を軽く振って、完成した。
「どうぞ、お召し上がりくださいませ」
「……」
目の前に出された皿に、アンゼリカは目を丸くしていた。それを見守る人々の目には、好奇心と緊迫感が漂っていた。
魚や獣肉を生のまま凍らせ、薄く削いで食す。古代のヴァイス人は、そのようにして栄養素を摂取してきた。それは寒すぎて作物が育たず、食べものが少ない厳しい気候と、それに裏付けられた歴史を物語る。極めて古式ゆかしく、原始的な、薄氷食と呼ばれる食べ方であった。
だが、相当に人を選ぶ料理であるし、外国人なら尚更である。ヴァイス人ですら、上流階級では「野卑な食事」「食べるものが無かった時代の食文化」と見下す傾向が強い。
アンゼリカは俯いて皿を見つめ、やがて震える声で問うた。
「あの、すみません。エリザヴェータ様……」
「ええ、何かしら?」
エリザヴェータは嫣然と、獲物を甚振る猫そのものの目で微笑む。
「その、食器の類が見当たらないのですけれど……もしかして、手で……食べるのですか?」
「ええ、そうよ。それが本式ですから」
無理に食べれば相当の負担と苦痛を負うだろう。食べなければそれを攻撃材料にできる。更にヴァイスへの侮辱発言でも口走れば、それで詰みだ。外国人であるアンゼリカの立場は一気に悪化する。
エリザヴェータにとっては負けるはずのない盤石の布陣、安全確実で手堅い攻撃であった。だからこそ常套手段と化しているのだ。
「ありがとうございます!」
だから、相手が満面の笑みで礼を言ってくるなど、考えもしなかった。
「では早速、いただきます!」
アンゼリカは手袋を外し、わくわくと手を伸ばした。皿の上の一切れを摘まみ上げ、目の前に持ってきた。
「わ……!」
完璧な均一さで、向こうが透けそうなほど薄く削がれている。素晴らしい、これはもう職人技だ。観察している間にも、指の熱で溶けて行ってしまうのが分かる。慌てて口に含んだ。
ぱりっと、身が割れる音がする。繊細な氷は、口の熱ですぐに溶けていった。
(これは……何と言うか……)
とても単純で、原始的で、その分純粋で――野趣溢れるという表現がぴったりだ。すぐさま体内で、活力に変換されて行く気がする。どこか本能に訴えかけてくる味わいだった。何だか懐かしい気分になる。これは、そう、郷愁だ。
思い出すのは数年前のことだ。魚河岸の風景と、息詰まるような胸の鼓動が蘇ってくる。あの時の味だ。ものは違うが、よく似ている。
夢のような時間は、すぐに終わってしまった。気づけば薄っぺらい一切れは消えてしまって、後味だけが残っている。
「すみません、もう一切れ頂けるでしょうか?」
アンゼリカは笑顔で、空になった皿を差し出した。
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アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。
ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。
カサンドラ:ヴァイス帝国の皇妃。
エリザヴェータ:ユーリスの姉。
リュドミラ:ユーリスの異母姉。なぜか喪服を着ている。
アレクサンドラ:ユーリスの異母姉。
ペネロペ:ヴァイス帝国の元皇妃(故人)。ユーリスとエリザベートの母。
ベイルリス:妖精族。樹氷の部族長の兄
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。




