久々の訪問
エリザヴェータはそれからも、アンゼリカへの無理難題を続けた。しかしアンゼリカは狼狽えない。
「はい!」
「分かりました!」
「お任せ下さい!」
いつでも笑顔で二つ返事である。そして何だかんだで達成してしまう。要求が加速度的に吊り上がっても、それは変わらなかった。
狙い定めた獲物が、いつまで経っても弱らない。それはエリザヴェータにとって、不快極まりない。
空気が冷え込んでいく。侍女たちは青ざめる。沈黙は長かった。やがて、エリザヴェータは微笑んだ。
「…………では次。カサンドラの元に、これを届けてきなさい」
あからさまに冷えた声で、エリザヴェータは言いつけた。
アンゼリカは数日ぶりの通路を通り、カサンドラ皇妃の部屋へ向かうことになった。
「ルイーゼ様、お久しぶりです」
皇妃を訪ねたアンゼリカは、親し気に声をかけた。変わらず薄暗い、香の充満した部屋の奥からは、重苦しい沈黙が返ってくる。返事があったのは、それから数十秒経ってからだった。
「……一体どうしていたの……?もう何日も音沙汰なく、呼びに行かせても一向に来ないし、そろそろ行き詰ったのかと思っていたわ」
「え?そんなことはありません。この通り元気ですよ!」
ご心配ありがとうございますと朗らかに笑うアンゼリカに、部屋の奥からじっとりした視線が注がれる。
「ここにも噂は入ってくるの。聞いたわ。エリザヴェータに虐げられているのですって?」
「確かに結構大変ですけれど、でも」
「そうでしょう?あの女はいるだけで災いを振りまくのだもの。私がこの状況に陥ったのも、何もかもエリザヴェータが悪いのよ……」
最後まで聞かず、ルイーゼは畳みかけた。
「エリザヴェータはお父様を誑かして、国庫を傾けたのみならず国政を恣にしたの。私もお母様もお父様のなさりようを諫めたけど、骨抜きにされていたから、聞き入れてもらえなかったわ。そのせいで母国は負けて、ヴァイスの属国扱いに甘んじることになって……」
そこまで言って喉を詰まらせ、激しく泣き出した。アンゼリカはおろおろしながら背中を擦る。所々発音や文法が東方のものになっていたので、内容は一部分かっていない。とにかく泣き止んで欲しい、そう思って声をかけた。
「よ、良く分かりませんけど……私はルイーゼ様が今ここにいてくれて、こうしてお会いできたことが嬉しいです。本当に、そう思っていますよ」
「ずっと死んでしまいたかったわ。こんなところで永らえて、何になるの?」
「し、死なないで下さい!私にできることなら何でもしますから!」
宥めすかすのに小一時間かかった。ルイーゼは泣き止んで、やっと要件を聞く気になったようだ。
「……そうなの……それで、荷物があるようだけど。それは何?」
「あ、そうなんです。これ、エリザヴェータ様からの預かりもので……」
アンゼリカの認識としては、何かエリザヴェータと行き違いがあったのだろうという感じだった。どちらも悪い人ではない、切っ掛けと流れ次第で、友好とは言わずとも傷つけあわない関係に収まるだろうと。ひょっとして、今手元にあるこれがその端緒になってくれるかもしれないと。
アンゼリカは、皇城に渦巻く悪意と言う泥を、全く理解していなかった。
「どうぞ、お受け取り下さい!エリザヴェータ様からのお気遣いだと思います!」
それは懐中時計だった。蓋には花や波紋をモチーフにした、東方風の装飾が施されていた。表蓋には小窓があり、開かなくても文字盤が確認できるようになっており、それがまたとても美しい。竜頭は鳥の意匠だった。アンゼリカは純粋に感嘆し、声を漏らした。
「これは……素晴らしい細工ですね」
「……………………そうね」
何だか物凄い、気を呑まれるような、あまりに重苦しい沈黙だった。アンゼリカはその実態が分からないながらも、寒気を感じて身を強張らせた。
「…………たしかに受け取ったわ。ねえ貴女、これがどういうものか知っていて?」
「え?いえ、知りません。見た目からして、東方のものと思いますが……」
「そうよ。私の曾祖母は、レダの皇帝の娘だったの。彼女が嫁いできた時に携えていた品の一つ」
そこまで聞いて、アンゼリカは胸の前で手を合わせた。
「そうだったのですか。ひいお婆様伝来の、思い出の品なんですね」
「ええ、そうよ。ここに来てから私は本当に孤独で、辛いことばかりで……でも、慰めてくれた人がいた。ただ一人のその人にあげたものなの、これは」
ルイーゼの声が震えた。呼吸を整えてから、更に続ける。
「これが返されたということは――……エリザヴェータが、遂に私を殺そうとしているということだわ。味方なんて誰もいないの。こんな寒いだけの国に、気狂いの皇帝に差し出された私の気持ちなんて、誰にも分からないわ」
「る、ルイーゼ様……」
「……でも、貴女だけは味方でいてくれるわよね?」
底光りする目が向けられる。アンゼリカは訳も分からず「もちろんです」と頷いた。
「よかったわ。それなら私も救われる……」
ルイーゼは破顔して、喜びを表現した。
「でも、当然よね。私がまだこんなところにいるのは、貴女のせいなんだもの」
ひそやかに低く、そう告げたのは東方語だった。かつてラエルの宮廷で使われていた言葉だった。故にアンゼリカは意味が分からず、首を傾げるしかなかった。
諸事情により更新をお休みしていましたが、本日より再開します。
また読んでいただけたら嬉しいです!
アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。
ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。
カサンドラ:ヴァイス帝国の皇妃。
エリザヴェータ:ユーリスの姉。
リュドミラ:ユーリスの異母姉。なぜか喪服を着ている。
アレクサンドラ:ユーリスの異母姉。
ペネロペ:ヴァイス帝国の元皇妃(故人)。ユーリスとエリザベートの母。
ベイルリス:妖精族。樹氷の部族長の兄
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。




