アンゼリカへの攻撃
「あ、わっ、ごめんなさい……!」
アンゼリカは大慌てで退いた。だが、それで無かったことになるはずもなかった。
「……あら」
エリザヴェータは嗜虐的な笑みを浮かべた。そして空中に白い掌を伸ばし、一言だけ命じる。
「鋏」
「……こちらを」
侍女の一人が差し出した大ぶりの鋏を、強引に引っ手繰り刃先を向ける。朝日に銀の光が反射した。同時にもう片方の手で、アンゼリカの髪の先を掴んで強く引っ張った。
「え、わ……っ」
じゃきんと、胸元で鳴った鋭い音とともに、毛先が床に落ちていく。それをアンゼリカはぽかんと見つめた。その耳元で、紅い唇が美しく囁いた。
「……今回はこれで許してあげるわ。次やったら本当に、あの鳥の羽を毟り取るわよ」
「…………す、すみませんでした……気を付けます……」
間近に迫ったエリザヴェータの顔は、卒倒そうなほど美しかった。くらくらするようないい香りもした。その上で耳に美声を吹き込まれる破壊力たるや、女のアンゼリカでも一瞬正気を手放しそうになったほどだ。
アンゼリカは半ば呆然としながら答えた。床に散乱した髪は侍女たちによって、速やかに片づけられていく。
いやまあ、付け毛だし、別にいいのだが……とてもどきどきした。恐怖か、魅入られたのかは自分でも良く分からない。
切られたところは地毛と付け毛の間の、ちょうどギリギリの部分だった。脅かすにしても中々激しいというか、すごい。
(ヴァイスの人って、感情表現激しいんだなあ……)
驚き覚めやらぬ胸を押さえ、アンゼリカは改めて頭を下げた。それに見向きもせず、姫君と侍女たちは身支度を進めていく。髪を結い、ドレスを着付け、化粧を施していくと、申し分なく美しかったエリザヴェータは更に美しくなった。輝かんばかりの麗姿である。
「香水はいつものものでよろしいでしょうか」
「ええ、量は少し抑えて。午前中に茶会があるから」
「かしこまりました」
香水を吹き付けて仕上げをしたら、エリザヴェータの身支度は完成だ。美の女神の如き姿が完成したなら、色んな意味でいよいよ本番である。アンゼリカへの攻撃も、ますますもって激化していく。とはいえ日が浅いので、まだまだ序盤だ。まずは、お決まりの小手調べに取り掛かる。
「思ったより寒いから、茶葉とお茶菓子を変えることにしたわ。厨房に伝えて来なさい」
「彩りが足りないわね。庭師に花束を作らせましょう。レインバレル夫人の好みは何だったかしら……調べた上で、庭師に言いつけて来なさい」
一段階目は、使い走りである。広大な城を隅から隅まで駆け回らされる。
(エリザヴェータ様は、茶会にもすごい拘りがあるんだなあ。すごい!)
「戻りました!レインバレル夫人は青色と百合がお好きとのことでしたので、ブルーベルと百合を基調に作ってもらって……」
「遅い。まだ用は残っているわ。わたくしに恥をかかせたいの?」
エリザヴェータが言いつける時間制限は、ギリギリのものだ。歩きでは決して間に合わない。氷路を使わなくてはならない。そしてそこが、嫌がらせの主眼である。
ヴァイス人の感覚では、氷上で転ぶのは当然のことで、別に恥ではない。だが他国の姫君はそうもいかない。南方や東方の文化では、一人前の淑女が人前で転ぶのは紛れもない恥だ。
公の場で散々転び、萎縮すれば練習も空回りする。そんな時に蘇る、「外国人は滑れない」「妖精に転ばされる」という噂。これだけでも滅入る者が多い。
ましてアンゼリカは、罰として髪を一房切り落とされたばかり。不揃いな髪を晒し物にされるだけでも、相当の恥辱である。
だがアンゼリカは、特に何も気づかない。好奇の視線を受け流し、ただ目的地へとひた走るのみであった。
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アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。
ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。
カサンドラ:ヴァイス帝国の皇妃。
エリザヴェータ:ユーリスの姉。
リュドミラ:ユーリスの異母姉。なぜか喪服を着ている。
アレクサンドラ:ユーリスの異母姉。
ペネロペ:ヴァイス帝国の元皇妃(故人)。ユーリスとエリザベートの母。
ベイルリス:妖精族。樹氷の部族長の兄
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。




