表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
59/71

妖精の童話

 寒い寒い大地の果てに、かつて一人の若者がいた。千年も前のことだ。


 当時は、多くの国で妖精への大迫害が行われていた。だが、大陸の中央部から遠く離れ、そんな情勢を知る由もない北の人々は、妖精たちと穏やかに共存していた。


 元々、ふつうに生きていくことすら困難な厳寒の地だ。妖精の恩恵なくては凍え死ぬことは明らかであり、共存は当然の大前提だった。北の民にとっては、妖精を敬いこそすれ、虐げる理由は何もない。若者も当然のようにその価値観を受け入れ、妖精を素朴に信奉していた。


 だが一方で、彼が暮らしていた部落には、ひとつの言い伝えがあった。新月の夜に妖精の呼び声を聞いたら、決してついていってはならないと。新月の妖精は普段の彼らではない。時に支え、助け、温めてくれる、大地の同胞ではないからと、そう戒められていた。


 ある新月の夜、若者は不思議な呼び声を聞いた。それは恐ろしいものではなく、奇妙な温かさと慕わしさを感じさせた。誘われるように歩き出し、声の方へと進んでいく。気づけば彼は摩訶不思議な場所に迷い込んでいた。


 雪を踏み分けていた足取りは、いつしか氷の上を滑っていた。導かれるように。完全に凍り付いた透明な地面が、彼の体を進めていった。


 天空に月はない。けれど光る茸や樹々、花々が夜の底を照らしていた。氷はその光を反射し、ひとつの行き先へ彼を導いた。


 そして——若者はそこにたどり着いた。彼の目の前に聳え立つのは、白銀の大樹だった。その根元には何頭もの氷獣が恭しく伏せ、そして真っ白な妖精が佇んでいた。その手には、世にも麗しい錫杖を携えていた。


 若者は聞いた。この樹は何かと。

 精霊樹であると、妖精は答えた。



「……?……あ、寝てた……」

 朝、アンゼリカは目を覚ました。いつの間にか、部屋が明るくなっていた。


 寝床で読書をしている内に、うとうとしていたらしい。傍のサイドテーブルには、一冊の絵本が開かれた状態で置かれてある。その表紙を見て、アンゼリカは微笑した。


 手を伸ばして、栞の挟まった部分を開く。挿絵の中で、若者と妖精が対峙している。これを読んでいたから、夢に妖精が出てきたのだろう。


「ユーリス様にお礼言わないと……」

 この本は、一昨日にユーリスからもらったものである。絵本だけあって分かりやすかったし、読む練習にもなった。


 起き出して支度を終え、ユーリスと顔を合わせたアンゼリカは、本の礼を言った。ユーリスは穏やかに笑って、役に立てたなら良かったです、と言う。


「本は難しくありませんでしたか?分からなかったのなら、より簡単なものを探しますが」

「いえ、絵の助けもあって、大体読めました!ただ細かいところがちょっと分からなかったので、教えてもらいたいです」

「ええ、勿論です」

「まずここなんですけど……」


 そう言いながら、アンゼリカは絵本の最初の方を開いた。——かつて一人の若者が、妖精に招かれて精霊樹のもとへ赴いた、とある。


「ええとまず、この人が当時のヴァイスの長、ゼルナドですよね」

「はい。彼は歴史上唯一、精霊樹に触れた人間であるとされています」


 文章を指でたどり、挿絵と照らし合わせながら、ゆっくりと理解を深めていく。地道な学習を重ねて、アンゼリカも段々と事情が呑み込めてきた。


「——呼び寄せられた妖精郷でゼルナドは、ヴァイス人を代表して妖精族と誓約を交わしました。もっとも当時は帝国の片鱗すらなく、ただ極寒の地で狩りをして暮らす小部族でしたが」


 しかし、彼らはその後の百年間で、北の覇者となった。他の部族を飲み込み、土地を支配し、急激に北の大地に広がって覇を唱えたのだった。


 同時に妖精資源を商品として、他国と取引を始め、外貨を稼いだ。周辺の国々はヴァイスごと妖精資源を手に入れようと侵攻を試みたが、その度に分厚い雪と氷に阻まれ断念せざるを得なかった。


 ヴァイス帝国が現在の形になるまでは、様々な争いと分裂があった。過酷な極寒の地では、僅かな失敗が死に直結するため、些細な過ちで全てを失うことになる。


 身分が高くなればなるほど、果たすべき責任は重くなり、失墜するのは一瞬である。それは皇帝すら例外ではなく、王朝交代も既に四度行われた。戴冠した歴代皇帝たちは、例外なく「妖精の盟友」「ゼルナドの後継者」を標榜してきた。


 アンゼリカはそういう詳しい経緯は知らない。ただ御伽噺として始祖の伝説をなぞって、そうしてヴァイスのことを知ろうとしていた。


「……そして、ここで妖精が錫杖を贈ったんですよね」

「ええ、そうです。これは今も現存し、皇城宝物庫に収められています」


 皇帝の正統性を決定づけるものこそが、妖精がゼルナドに贈った錫杖だ。どのような場合にも、これを有する側が正統とされてきた。現在は勿論、現王朝であるベルヴァレント家の管轄下にある。


「それから妖精氷河も、妖精の贈り物ですよね……そう言えば、天気で氷が変質したりすることはないんですか?」

「ええ。妖精氷河の氷は、妖精の魔法がかかっていますから。夏の日に緩むことも、冬の雪に埋もれることもありません」

「それでは、雨の時はどうなのですか?」

「その場合も変わりません。そもそもこの国では、雨は殆ど降りませんね。雪ばかりです」

「雪……」


 アンゼリカは、ヴァイスに来てすぐに見た、雪還りの風景を思い出す。


「雪って、どんなものなのでしょう……」

「冬になれば目にできますよ。……アンゼリカ姫は雪を知りませんか」

「はい。母国では、全然降りませんでしたから……もちろん、知識としては知っていますけれど」


 白い綿布のようなそれを、絵本で見たことがある。母からも話を聞いた。ヴァイスに来てからも、時折話題に上った。だけど、雪景色そのものを見たことは、まだない。どんな景色なのだろう。


「……離宮では、嫌というほど目にできましょう。あそこは、雪のない時の方が珍しい場所ですから」

「そうなんですか?楽しみです!」


 アンゼリカは手を打ち合わせて、単純に喜ぶ。それを見るユーリスの目は複雑だった。


 ふと、声が止まった。アンゼリカは顔を上げて、ユーリスの目を見つめた。


「…………午後には、もう出立ですね」

「……そうですね」

「ユーリス様……」


 そう呼びかけたのはいいが、アンゼリカは二の句に迷った。どうしましたか、と聞き返される。青い瞳を見て、何が言いたかったのかも良く分からなくなった。


 困り顔に笑顔を浮かべて、アンゼリカは結局こう言った。

「あんまり、無理……しないで下さいね」



※毎日、昼に更新します。

面白いと思っていただけたら、リアクション、ブクマをいただけたら嬉しいです!!


アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…

ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。

ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。

皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。

カサンドラ:ヴァイス帝国の皇妃。

エリザヴェータ:ユーリスの姉。

リュドミラ:ユーリスの異母姉。なぜか喪服を着ている。

アレクサンドラ:ユーリスの異母姉。

ペネロペ:ヴァイス帝国の元皇妃(故人)。ユーリスとエリザベートの母。

ベイルリス:妖精族。樹氷の部族長の兄


ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。

ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。

フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ