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三皇女の日常・後

 そして、皇女アレクサンドラは。


「…………」

「………………」


 凍星殿の奥の、ろくな調度も置いていない、空き部屋同然の伽藍堂の部屋は静まり返っていた。照明も最低限で、日が陰った時間帯は手元さえ確かではない。取り分け影が濃く溜まる壁際に、侍女が数人無言で待機している、ただそれだけの空間だった。


「わたしに構わないで」


 アレクサンドラは口癖のようにそう言う。


 アレクサンドラは、人がそばにいることをそもそも好まない。使用人など一人たりとも欲しくないと、常日頃から態度に示している。


 ではどうやって、日常のあれこれをこなしているのか。そこは多くの者が疑問に思うところだが、謎である。何しろアレクサンドラは神出鬼没で、何をしているか不明な時間が多いのだ。ただ彼女は、誰かに身の回りの世話をされなくても、特に不自由しない。それは確かなことのようだった。


 ………………その事実が、アレクサンドラの出生にまつわるとある噂を助長してもいる。


 だが、たとえ現実的に問題が生じないとしても。ヴァイスの皇女ともあろうものが、側付きの一人もいないなど、外聞が悪いことこの上ない。それ故に彼女たちは、名ばかりの侍女として、置物のように壁際に控える。ある意味彼女たちこそが、この部屋の最も主要な備品と言えるのかもしれない。


 彼女たちはただ息を潜める。皆、主人に声を掛けられることを恐れていた。中々帰らない主人を待って、来るはずもない命令を待って、ただ静かに息をするだけなのだ。


 けれどその日は、外からふらりとアレクサンドラが帰ってきた。擦り切れた襤褸布同然の修道服を翻し、霞のように入室する。周囲のものも人間も、まるで見えていないかのようだった。その足跡に、小さな白い羽が舞い降りた。それすらもどこか非現実的な、御伽噺の風景のように見える。


 アレクサンドラは椅子に座り、沈黙した。遠く虚ろな目で、静かな顔で、その姿は本当に、精巧な人形にしか見えない。


 しかしやがて、侍女の一人に目を留める。虚ろで透き通った、どこか神がかったような灰色の目。その目で顔をじっと見つめてから、興味もなさそうに目を逸らす。


「……あなた、帰った方が良いよ。あなたの身内、いま危篤になったから」


 エリザヴェータは毒々しく微笑する。

「退屈ね。誰が一番美しくわたくしの名を叫べるか競いなさい」


 リュドミラは新たに涙をこぼした。

「光が強すぎて、私の眉が消えたの。悲劇とは、かくも美しい」


 アレクサンドラはただ、虚ろに宙を見つめる。

「…………雲が薄いね。こんな日は、はねも少しだけ甘くなる」


 ………………これが、ヴァイス帝国の三皇女であり、アンゼリカの小姑たちであった。

 


 

「いよいよ、明日お引っ越しですね……」

「ええ、次から次へとご不便をおかけしますが、どうかお許し下さい」

「いえそんな、不便だなんて」


 一方アンゼリカは、離宮への出立を明日に控えていた。主に準備に奔走しているのは周りで、アンゼリカは特に何もしなくて良かったが。ソフィアも準備と連絡のため、一足先に離宮に出向いていた。


 フィアールカの世話を終えればもうすることもなく、手持無沙汰でユーリスに問いかける。


「……あの、ユーリス様。離宮に行くのは構わないのですけど、その前に皇家の皆様にご挨拶をした方が良いのではと、思うのですが……」

「いえ、そこはお気になさらず。むしろ、下手に挨拶に行くと非礼と取られかねないので」

「……そうなのですか?」


 アンゼリカは首を傾げたが、「まあ、それが北の慣習なのかもしれない」と思って頷いた。


「でもやっぱりルイーゼ様……いえ、カサンドラ皇妃には、お別れを言っておきたいのですが」


 殆ど面識のない人々はともかく、皇妃のことはやはり気がかりだ。異郷に住む外国人同士、最低限の別れは済ませておきたい。アンゼリカの願いに、ユーリスは一瞬黙る。沈黙の後、「それは許可できません」と返された。


「離宮についてから、手紙を書いて下さい。カサンドラ皇妃と直接会うことは、貴女にとっても良くありません」

「そ、そんな……」


 さしものアンゼリカも肩を落とした。

 しかしユーリスにも言い分はある。彼としては、これ以上カサンドラと関わってエリザヴェータの不興を買えば、流石に庇いきれないのである。今はまだ、不利な噂が流されているだけで済んでいる。これ以上余計なことをせず離脱すれば、傷は最小限で済むのだ。


 だから、もうこれで終わらせるべきだ。アンゼリカはそんなユーリスの内心こそ知らなかったが、結局は聞きわけよく頷いた。





※毎日、昼に更新します。

面白いと思っていただけたら、リアクション、ブクマをいただけたら嬉しいです!!


アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…

ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。

ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。

皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。

カサンドラ:ヴァイス帝国の皇妃。

エリザヴェータ:ユーリスの姉。

リュドミラ:ユーリスの異母姉。なぜか喪服を着ている。

アレクサンドラ:ユーリスの異母姉。

ペネロペ:ヴァイス帝国の元皇妃(故人)。ユーリスとエリザベートの母。

ベイルリス:妖精族。樹氷の部族長の兄


ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。

ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。

フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。


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