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朝の論争

 翌朝、ユーリスとアンゼリカは食堂へ赴いた。朝食は皇家の儀礼の一環であり、アンゼリカは初参加である。


 炎帝にエリザヴェータ、リュドミラ、妖精郷から帰還したアレクサンドラも来ていた。久しぶりに、皇家の殆どが揃った朝食の席だった。それでもカサンドラはやはり不在だった。

 アンゼリカが新たに加わって、料理の香りが漂う中で食事が始まった。


「ところで、ご存じかしら。ユーリスの婚礼において、フローラスでは見逃しがたい齟齬があったのですって」


 水を打ったような静寂の中、切り出したのはエリザヴェータだった。そしてその言葉が何を意味するか、アンゼリカ以外には明白だった。流れるようなヴァイス語にアンゼリカだけがついていけず、戸惑った顔をする。


「城でも噂が出回っていて……何事も始めが肝心でしょう?ましてこれは、国家の利害も絡んでおります。皇家の未来はどうなることかと、心配しておりますのよ」


 フローラスの婚礼において、初夜が達成されなかったこと――アンゼリカは知らないが、それは皇城では専らの噂である。主にエリザヴェータのせいで。何か互いに気に入らない点があったのでは、今後の関係はどうなっていくのか――それは誰しも気にするところだ。


 この婚礼は一種の外交儀礼でもあり、南方連合との今後も懸かっている。皇太子夫妻の親しさと成り行きを、誰もが息を潜めて窺っている。


「かわいらしい花嫁は、今度こそユーリスと親密になれたのかしら?……どうお思い、皆さま?」


 つまりは昨夜の成り行きについて、彼女は問い質しているのだった。アンゼリカには流れ的にも言語的にも、そこまでは読み取れなかったが。


 最初に反応したのはリュドミラだった。黒レースの手袋に包まれた手から投げ出された食器が、甲高い音で床に転がる。その残響をかき消すかのように彼女は叫んだ。


「朝に飼っていた金糸雀が教えてくれたわ!お兄様は、届かない遠い所へ行ってしまったんだって……う、うわああああああああん!!」


 成功派のリュドミラが顔を覆い、声を放って泣き出した。その泣き声は悲痛だが見苦しくはなく、どこか古典悲劇の一幕のような美々しい趣がある。


「あらいやだ、リュドミラったら。相変わらず死人と妄想だけがお友達なのね、困ったこと……でもねえ、アンゼリカ姫を落ち着いて見てみなさいな。とてもとても平静に、ぐっすり眠った、そんな顔色ではないの?」


 言い出したエリザヴェータは失敗派らしい。妹とアンゼリカに対して、美しくも容赦なく冷笑を浴びせる。食堂に響く姉妹の声はますます高く、耳障りに絡み合う。

 だがそれは、派手な食器の音で打ち消された。響かせたのは炎帝である。


「誉れ高き皇家の婚礼に、不首尾などあるはずがない。朝から下らんことを申すな、エリザヴェータ」


 成功派の炎帝は皿を割り兼ねない勢いでナイフを操りながら、不機嫌そうに吐き捨てた。その手元では肉塊が細切れにされ続け、逆に食べにくそうなことになっている。


「……血と灰と骨の褥だよ。なにひとつ、成就なんかするわけがない」


 失敗派のアレクサンドラは繊手を伸ばし、ひとつだけ葡萄の粒を口に運んだ。その手元の料理は、一口も手が付けられていない。


 余談だが、アレクサンドラは殆ど飲食をしない。少なくとも、人前では行わない。時たま気まぐれに果物に口をつけるくらいだ。だからそれは希少な眺めと言えた。小さな唇を動かす拍子に、霞のような灰色の髪が儚く揺れる。


「……????」


 アンゼリカは何が起きているのか分からず、置いてけぼりだった。ヴァイス語に不慣れなこともあって、何が何だか分からず、ただ瞬きをするばかりであった。だがこれは、彼女が常識なしだからと言うわけにはいかないだろう。まさか結婚式翌朝の朝食の席で、当事者たちの目の前で初夜成否論争を繰り広げる家庭があるなど――ましてそれが大帝国の皇家であるなどと、アンゼリカどころか世間一般の常識からしても、到底考え難いことであった。


「——朝からそのような話題を出すものではありません。我が家の品位のためにも、どうか詮索は控えて下さい姉上……」


 ユーリスは必死に頭痛を堪えながら、そうエリザヴェータを掣肘した。


「あら、品位。おもしろいことを言うのね、ユーリス……けれど南の方々にとっては、ヴァイスの品格などあってないようなものではないかしら?ねえ、アンゼリカ姫?」

「……?」


 エリザヴェータはいきなり、言葉をフロレ語に切り替えた。そのまま水を向けられ、アンゼリカは首を傾げる。社交経験が乏しい彼女には、正しく文脈が読めず、エリザヴェータが言わんとすることが分からない。嫁ぐ前に南で言われたあれこれも、その頭からはもうすっかり抜け落ちていた。


「あの、ちょっと仰る意味が……」


 そのため取り敢えず聞き返そうとしたが、それはユーリスに遮られた。


「姉上。アンゼリカ姫はまだヴァイスに不慣れなのです。会話なら私を介して下さい」


 エリザヴェータは更に問い質す。表情こそ美しくたおやかだが、その口調は紛れもない詰問だった。


「あら、過保護だこと。では、花嫁を気に入らなかったというのは流言だったのかしら」

「…………事が国家間の取り決めである以上、気に入る気に入らないの問題ではありません」

「にしては、あれこれ無意味に手間取っているようではなくって?」


 瓜二つの美貌の姉弟が、丁々発止のやり取りを続ける。その傍らでは、止まないリュドミラの泣き声と、炎帝のナイフが不協和音を奏でていた。アレクサンドラの姿は、いつの間にやら消えている。朝の喧噪は、まだまだ収まりそうになかった。

 


※毎日、昼に更新します。

面白いと思っていただけたら、リアクション、ブクマをいただけたら嬉しいです!!


アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…

ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。

ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。

皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。

カサンドラ:ヴァイス帝国の皇妃。

エリザヴェータ:ユーリスの姉。

ペネロペ:ヴァイス帝国の元皇妃(故人)。ユーリスとエリザベートの母。

リュドミラ:ユーリスの異母姉。なぜか喪服を着ている。

アレクサンドラ:ユーリスの異母姉。

ベイルリス:妖精族。樹氷の部族長の兄


ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。

ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。

フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。



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