寝室にて邂逅
まだ秋へ移って間もないが、日が沈むと一気に冷え込む。その気温の変化にもまだ慣れなかった。
(体力自慢のつもりだったけど、さすがに疲れたなあ……)
侍女たちに任せて着替えを終えたアンゼリカは、うとうとしながら寝所に向かった。昨日まで使っていた続き間ではなく、新居として用意された宮殿だ。代々の皇太子夫妻が暮らしてきたところで、通称は輝月殿だそうだ。
(でもアレクサンドラ皇女とは、結局会えないままだったな……)
何度か話を聞こうとしたのだが、皆一様に口を噤んだり、話を逸らされてしまった。アレクサンドラに限らず皇女たちの話題というのは、話しづらいものなのかもしれない。
そんなことを頭の片隅で考えながらも、意識は半ば眠りに落ちていた。アンゼリカは疲労と眠気でふらふらしながらも寝台に行き、カーテンを引いて――
なんと、そこには先客がいた。かっと見開かれた瞳と目が合って、
「うええええぇっ!!?」
アンゼリカはびっくりしすぎて、思わず叫んだ。一瞬で眼が冴えた。叫び声をあげても、それはぴくりとも動かない。ただ置物のように寝台で横たわっている。
「な、なんだ人形か。よ、よくできてるなあ……」
どうもそれは、アンゼリカより少し小さいくらいの、精巧な修道女の人形のようだった。薄暗かったから一瞬人間かと思った。まだ鼓動が早鐘を打っている。
(これもヴァイスの習慣の一つなのかなあ……分からないし、そっとしておこう)
寝台に人形を置くなんて、何だか風変りに思えるが。余所者には考えつかない、何か深い意味があるのかもしれない。
アンゼリカはどきどきする心臓を抑えて、まじまじとそれを観察した。
どうやら、とても古いもののようだ。着ているものは修道服だが、恐ろしく古びていた。
素材は上質な布なのだろうが、まるで何百年も着古したかのように擦り切れている。夜空を織り出したような暗い色で、それが白い肌を一層淋し気に見せている。細身に作られているようだが、きつそうではなく、むしろ随分と余裕があった。それだけで、その下の体が恐ろしく華奢なことが分かる。
襤褸切れのような衣服とは裏腹に、その顔はどこまでも美しい。肌は滑らかな陶器のようで、淡い灰色の瞳は部屋の灯火を映して光っていた。同じ色の絹糸のような髪が寝台に広がる様は、いっそ荘厳なほどだった。
その灰色と接する肌の色味がまた素晴らしく、淡く淡く、今にも透けていきそうな儚さなのだ。爪一つに至るまで、隅々まで整っていて、まるで生きているかのようだった。
美しい。文句無く美しいが、どこか非現実的だ。童話に登場する人形のような、独特の存在感がある。人を模した無機物――生物と無生物、そのあわいの空気と言うのだろうか。何だか澄んだ、静かに冷たい、敬虔さにも似たものが込み上げる。長く見つめていると、どこまでも吸い込まれていきそうな不思議な魅力だった。
「……でも、なんで……?」
異国の風習に疑問を感じてもしょうがないとはいえ、さすがにこれは戸惑いを禁じ得ない。ユーリスが中々来ないこともあって、ぽろりと疑問が零れる。
「どうして人形がこんなとこに……それも、修道女の」
「だって元々ここは、わたしの部屋だったんだもの」
——返事が、どこかから返ってきた。いや、どこかではない。美しい人形の唇から流れ出した肉声だ。アンゼリカは今度こそ仰天した。
人形は、いや、少女は、寝台から起き上がる。それもどこか無機質で、糸で吊り上げられる人形のような動きだった。
「ぬるい。部屋がぬるいのは、タペストリーの方角のせいなのかな。わたしがいた頃は、こんな風じゃなかったのに」
呆然とするアンゼリカに構わず、修道服の少女は淡々と、虚ろな声で吐き捨てた。
「……むかしここで、血が流れたの。あなたは何も知らない」
寝台を降りた拍子に、擦り切れた修道服の裾が揺れる。少女は一切振り返らずに、寝室から出て行った。
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アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。
ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。
カサンドラ:ヴァイス帝国の皇妃。
エリザヴェータ:ユーリスの姉。
ペネロペ:ヴァイス帝国の元皇妃(故人)。ユーリスとエリザベートの母。
リュドミラ:ユーリスの異母姉。なぜか喪服を着ている。
アレクサンドラ:ユーリスの異母姉。
ベイルリス:妖精族。樹氷の部族長の兄
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。




