思惑渦巻く歌劇座にて
アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの婚約者。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。
南方連合の盟主フローラスは大陸の華、文化の中心地として名高い。かつて数多の文化、芸術、歴史がここで生まれた。
それは衰退した今も尚、圧倒的な存在感を放ち、大陸の人々を引き付けて止まない。
「本日は歌劇座をご案内致します。お二人の挙式の舞台となる大聖堂にも近く、同じ建築家が手掛けたものでして……」
「それは楽しみですね、アンゼリカ姫」
「はい、そうですね……」
アンゼリカはこの数日、もてなしと歓待を受けながら観光名所を回っていた。勿論婚約者も一緒である。
初来訪の国で、出会ったばかりの婚約者と、息をつく間もなく時間が過ぎていった。
フローラスは賓客二人に、自国が誇る歴史と文化と贅沢を雨霰と浴びせてきた。
それは全て、今後の国際関係と秩序維持のためだ。
「アンゼリカ姫、お手を。足元にお気をつけて」
「ありがとうございます、皇太子殿下。それでは、失礼を……」
ヴァイス帝国と東方帝国の間で十年以上続いた国境争いは、激闘の末ヴァイスが勝利を収めた。それが六年前のことだ。
その際の和平交渉でファロー運河を手に入れたことで、ヴァイスはさらなる南下が可能になった。それまで地形に守られてきた南方連合の国々も、対岸の火事を決め込むことができなくなったのだ。
そうなるとフローラスも、何かしら手を打つしかなくなる。だが対策を講じる暇もなく、ヴァイス側から解決策を提示してきた。
それが、戦争抑止のためフローラスの姫を妃に迎えたいという話だった。三年前のことだ。北と南の政略結婚は、元々炎帝がフローラスに申し入れたものなのだ。
それがまあ、色々ややこしい駆け引きや押し付け合いや派閥抗争や抵抗や横槍を経て、こういう妙な形に落ち着いてしまったわけだが……数奇な縁で結びついたユーリスとアンゼリカは、結婚式までの数日間を、フローラスの観光などしながら過ごすことになった。
「いよいよ式も四日後ですね。と言っても、あまり実感は湧かないのですが」
「ええ……私も同じです。色々なことが目まぐるしく決まったので……皇太子殿下は直前で変更が決まったのですから、尚更でしょう」
結婚式の準備に当たって、アンゼリカたちは何もする必要がなかった。精々衣装合わせくらいである。それも国を経つ前に採寸した数値が既に届いており、最終的な微調整だけで済むとのことだった。
到着次第すぐにでも挙式できるようにと、何もかも準備万端整えられていたのだ。これはフローラス側の、生贄絶対逃さないという強固な決意と意気込みの成せる業である。
(都会の人たちって手際が良いんだなー……)
しかしアンゼリカは、そういったことに特に気づかず、普通に観光を楽しんでいた。見るもの聞くもの全て新鮮で絢爛で、母国では見られないものばかりだ。
大理石の円柱が立ち並ぶ大廊下を通り、階段を上る。ユーリスに手を引かれるまま貴賓席に座り、開幕を待つことになった。
そこは舞台を一望できる個室だった。壁にはフレスコ画が描かれている。机には菓子や嗜好品なども準備されてある。
座ると、天鵞絨の柔らかい椅子に腰が沈んだ。何もかも豪華だ。
案内をしてくれた貴族はいつの間にか離席しており、護衛を除けば二人きりだ。まだ劇も始まらないのですることもなく、辺りの内装を見ながら話題を探す。
「……フローラスの建築とは、本当に素晴らしいものですね」
「ええ、本当に。ため息が出る思いです」
「この歌劇座も、竣工されたのは千年近く前なのでしょう?それなのに、今でもこうして実用に耐えるだなんて……」
正面に見える巨大な舞台は、桟敷やバルコニーの観覧席にぐるりと囲まれていた。天井からはクリスタルのシャンデリアがいくつもぶら下がっている。
どこもかしこも滑らかに磨かれて輝いている。客席はどんどん埋まっていき、開演を待つ人々のがやがやとした声が届く。
アンゼリカは物珍しくて、少し身を乗り出した。田舎育ちなので、一度に大勢の人を見ること自体が新鮮だ。




