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白夜の雫、妖精の贈り物

 明日の儀式というのは、アンゼリカが参加する皇都の催事のことだ。


 夏が過ぎゆき、秋の香りが届き、白夜の光にも終わりが見え始めた。そんな夏の終わりの一日に、白夜の雫を氷河に還す儀式がある。付近一帯の花を集め、花束を作って妖精に捧げる。


 街や都市ごとに行うものらしい。皇都では、アンゼリカがさせてもらえることになった。短距離だが氷の上を滑るので、少しでも練習を積んでいたわけだ。アンゼリカにとっても、これが最初の公務となるので、できれば無事に済ませたかった。


「我が家の臣下も、城下の者たちも、皇太子妃殿下がおいでくださるというだけで大喜びです。毎日のように噂に上っていますから、間違いありません。ですから、あまり緊張なさらず……普段通りで何の心配もありませんから」


「ありがとうございます。ユーリス様も一緒に来て、見守って下さるそうですから、私も……あ、そろそろ行かなくては」


 日の傾きを見て、アンゼリカは立ちあがる。ソフィアはそれに、やや顔を曇らせた。


「この後も……カサンドラ皇妃の元へお立ち寄りになるのですか?」


「ええ。時間があればいつでも来てほしいと言われていますし。同じ異国出身ですから、話しやすいのでしょう」


「ですが、カサンドラ皇妃はあまり……この皇城で、味方が多いとは言い難く。アンゼリカ殿下にも、楽しい話をして下さるわけではないでしょう?」


 アンゼリカは、婉曲な宮廷風の物言いに首を傾げる。なるべく穏便に警告をというソフィアの真意は伝わらず、


「たしかに、仰ることは良く分かりませんけれど。きっとお寂しいのでしょう。私がいることで、僅かでもお慰めになるならと思います」


 夫の父親の後妻という、何とも遠すぎる立ち位置だが、形式で言えば義母だ。その頼みにできる限り沿うのは当然のことだと、アンゼリカは考えていた。


 周囲の心配そうな視線にも気づかず、アンゼリカは再びカサンドラの部屋へ向かったのだった。


 翌日アンゼリカは、予定通りに儀式に参加した。


「ありがとうございます。まさか皇太子妃殿下においでいただけるとは思いませんでした」

「いいえ、そんな。こちらこそ、皆様の心尽くしに感謝しております」


 アンゼリカは笑った。実際、それは社交辞令ではない。ヴァイスに入ってから、思っていたよりずっと良くしてもらった。


「それでは、お願い致します」


 差し出されたのは、白夜の雫を用いた花束だ。初めて見た時は宝石のようだった花は、今や壊れかけの朝露のように儚かった。そこに、瀟洒な白のレースリボンが巻き付いている。


「これは……フローラスのものではありませんか?」

「さすが、お目が高い。ここ数年はこうしたものも、手に入りやすくなっておりまして……」


 近年は特に、戦争の勝利によって、各国の特産品や工芸品などが、ヴァイス国内に出回るようになったのだという。


 何しろヴァイスには氷路がある。取引の規模、交易の間口さえ広がれば、流れ込んだ物資はすぐ各所に行き渡る。


 ヴァイス人は原則、率直な物言いを美徳とする。そのため、ヴァイスは軍事力に反して外交下手と嘲笑されることも少なくない。だが六年前の終戦においては、最後まで有利に交渉を主導し、終結させることができた。その影響は今も続き、好景気が国と民を潤している。


「このリボン、材質はサテンなのですね。この刺繍は、見覚えがないですが……」

「ええ、そうでしょう。この刺繡は後から加えたものですから……妖精への感謝を示す意匠です」

「そうなんですね」


 岸辺では、花束を抱えた人々が待機している。アンゼリカが一番最初に花を送って、それが終わったら彼らも続く段取りだそうだ。


 ちらちらと視線を向けられていたが、アンゼリカは気にせずに氷河に滑り出した。初心者にしては安定した滑りに驚きの声が上がったが、それにも気づかない。ただ重心を意識し、無心に体を進ませる。


 アンゼリカは指定された場所まで行き、そっと花束を置いた。すると、不思議なことが起きた。


 花束は氷の表面を滑ることなく、すっと氷に吸い込まれた。たちまち氷の向こうに落ちて、まるで水に沈むように遠ざかっていく。花束を見送り、それが見えなくなってから、アンゼリカは自然に手を合わせた。


 ――アンゼリカです。これからよろしくお願いします。


 白夜の雫はもう見えない。それでも奥深くで、小さな光がきらめいたように思えた。



※毎日、昼に更新します。

面白いと思っていただけたら、リアクション、ブクマをいただけたら嬉しいです!!


アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…

ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。

ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。

皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。

カサンドラ:ヴァイス帝国の皇妃。

エリザヴェート:ユーリスの姉。

ペネロペ:ヴァイス帝国の元皇妃(故人)。ユーリスとエリザベートの母。

リュドミラ、アレクサンドラ:ユーリスの異母姉。

ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。

ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。

フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。


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