ベルヴァレントの姉弟
カサンドラとアンゼリカが最初に会ってから、七日後の朝。皇家の者たちは久しぶりに、集まって朝食を取っていた。
といっても全員集合ではない。カサンドラとアレクサンドラの席は空席だった。
今朝出されたのは、鴨肉と野菜の煮込みだった。最近流行りの、南方や東方の調味料は使っていない。ヴァイスの伝統的な料理の一つである。
旨味と酸味が調和した、奥行きのある味わいだ。似たようなものは、辺境伯領でも出されたことがある。アンゼリカが楽しそうに食べていたのを、ユーリスはふと思い出した。
「違う。肉の色が違う。ペネロペはこんな赤ではなかった。違う。これは裏切りだ」
「あらお父様。それはお母様ではなく、お手を染めた返り血でしょう?」
「お母様との最後の思い出も、きっと鴨だったのだわ……ひどいわ、共食いをしろというの!?」
暗澹とした、それでいてどこか攻撃的な空気が吹き荒れている。それでも、随分穏やかな方と言える。正式に結婚を終えれば、ここにアンゼリカも連れてこなければいけなくなる。それが少し、憂鬱だった。
朝食自体は何事もなく終わり、一人また一人と退出していく。ユーリスは機を窺い、立ち上がって、
「失礼、姉上。少々お時間を頂けませんか?」
退室しようとした姉エリザヴェータに、そう話しかけた。
エリザヴェータの部屋には、常日頃彼女に侍っている貴公子たちが待ち構えていた。エリザヴェータは彼らを虫でも払うように下がらせ、弟を招き入れた。
「珍しいこともあるものね。話でもあるのかしら」
「……ここ最近出回っている噂についてです」
「ああ、あれ?耳が早いこと……」
先日、辺境伯が注進に来た。それによれば、ここ数日皇城で良からぬ噂が出回っているということだった。
事実無根から事実を含んだものまで、噂は色々とある。だが共通する要旨は、皇太子夫妻が不仲を囁くものということだ。
噂の火元であるエリザヴェータは首を傾げて、世にも美しく、酷薄に笑った。
「だって、ねえ?フローラスの初夜で、手を出さなかっただなんて。周囲が不安に思うのも道理でしょうよ。花嫁に欠陥でもあったのか、あるいはよほど気に食わなかったのか……」
「……話を漏らしたのは、従者の誰かですか」
こうなることは予期できていたのだ。対策もしたつもりだった。だが、あれでは駄目だったか。頭が痛む。
「躾が不十分だったわね。ろくに叱らないからそうなるのよ」
「返す言葉もございません」
叱責するのは得意ではないのだ。けれど、他者を従えるには畏れさせるしかない。彼は皇太子だからだ。
「しかし、何故今になって皇太子妃を貶めるのです」
「わざわざ言わせるの?分かっているんでしょう?」
扇の影から嬲るような視線を注がれる。紅い唇が吊り上がる。
「カサンドラが、あの小娘を誘い出したからよ」
「…………」
やはりそれか、と思った。
留守中にカサンドラが彼女を呼びつけたと聞いた時は、仰天したものだ。
しかも気に入られたのか、それから毎日のように呼び出しがあるらしく、ソフィアも周りも苦心しているらしい。アンゼリカに言い聞かせても、いまいち伝わっていなさそうだ。
どうしようもないことに、アンゼリカは、爆弾に近寄っていることを自覚していない。こうなったらいよいよ、強制的に離宮に押し込むことも視野に入れなければならないか――そう悩んでいた。
「……しかし、姉上は一度皇太子妃を見たでしょう。それならお分かりになるはずですが、彼女は姉上の不興を買うような人間ではありません」
「今の時点ではそうね、雑草の芽程度のものだわ。評価にも排除にも値しない。けれどわたくしの敵に近づいたなら、潰す理由として十分でしょう?」
そうでなくともエリザヴェータとカサンドラの間には、根深い確執がある。エリザヴェータはカサンドラを傷つけるために、あらゆる手を使う。
エリザヴェータは、部屋の中央で立ち止まった。壁の一面に、布が被せられている。エリザヴェータはそこに近寄り、備えつけられた紐を引いて布をまくり上げた。中から現れたのは――
「見なさい、ユーリス」
それは、彼らの母ペネロペだった。炎帝の、最初にして最愛の妻である。十四人の妃の中でただ一人、立后を認められた者。
金の髪。青い瞳。白磁の肌。額縁の中で微笑む皇后は、エリザヴェータに非常によく似ていた。生き写しと言っていい。
だが、まとう雰囲気がまるで違っていた。鋭利な棘を持つ紅薔薇と、棘のない白薔薇ほど違う。
「わたくしも貴方も、同じ方から生まれた。お父様は今も、お母様だけを深く深く愛していらっしゃる」
「……ですが別の妃を迎え、子を儲けたことも事実。彼らもまた、きょうだいです」
「リュドミラ?アレクサンドラ……?あのような者たち、妹と呼ぶのも悍ましい。ただの、お父様の狂気から生じた汚れに過ぎないわ。
わたくしたちだけが、真なるお父様の子なのよ。分かっているでしょう?だからわたくし、貴方を怒らせたいとは思わないわ」
言葉とは裏腹に、その表情は険しかった。エリザヴェータは窓辺に歩み寄り、そこに見えた景色を青い瞳で睥睨した。
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アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。
ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。
カサンドラ:ヴァイス帝国の皇妃。
エリザヴェート:ユーリスの姉。
ペネロペ:ヴァイス帝国の元皇妃(故人)。ユーリスとエリザベートの母。
リュドミラ、アレクサンドラ:ユーリスの異母姉。
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。




