アンゼリカ、嵐の後で友達を得る
「……ここ、どこー?」
謁見の間を出たは良いが、アンゼリカは医務室の場所など分からないので、すぐに足が止まった。勝手知らぬ城のど真ん中で、どっちに進めば良いのか分からず立ち尽くす。
「えーと……取り敢えず、下かなあ……」
分かるのは、階段があるから二階以上だということだけだ。医務室はおそらく一階のどこかにあると思うが、それ以上は検討もつかない。
取り敢えず階段の方へ歩いて、降りようとした時にそれに気がついた。
(え……)
物陰で、何かが動いている。人がいる。階の隅から、優雅に膨らんだドレスの端が見えた。
「ああ、ベイルリス様……」
陶然とした囁きが耳を打つ。くすくすと笑う声が、影のようにその響きを追いかける。揺れ動く人影がどうやら密着した男女らしいと気づき、アンゼリカは凍りついた。
(あ、逢引――!?)
……よりによってこんなところでしなくても。ど、どうしよう。途端に狼狽えてしまった。
一気に駆け抜ければ気づかれずに通れるだろうか。怪我した雛はできるだけ早く運んであげたいし。腹をくくるしか無い。
アンゼリカは深呼吸してから一気に踏み出そうとして、しかし足が止まってしまった。
明かりが揺らぎ、男の方の顔が露わになった。
薄紫色の髪。抜けるような白い肌と圧倒的な造形美。けれど、その目元は豪奢な目隠しに覆われて見えなかった。周囲には光の粉のようなものが散っている。ただ美しいだけではない。空間そのものを磨き上げるような、一種独特な存在感。
妖精だ。
「……」
アンゼリカは、目を見開く。自覚なく見惚れていたのかもしれない。僅かにその顔が傾いて、上を向く。視線は目隠しに遮られていて、それなのに。
「……っ!」
どうしてか、目が合ったと感じた。端麗な唇が、優雅に弧を描く。アンゼリカは息を呑み、揺らいだ足元が段を踏み外しそうになった時、
「アンゼリカ姫……!」
後ろから声を掛けられて、アンゼリカははっと我に返った。振り返ると、ユーリスが近づいてくる。
「どうかしましたか。医務室はあちらですよ、ご案内します」
「あ、ユーリス様……ごめんなさい、お願い、できますか?」
心臓が波打ったまま、そろりと階下に目を落とす。けれどその時には、逢引の影も形も見えなかった。
――結局ユーリスに案内してもらって、何とか最短で医務室へ到着することができた。
怪我をしたスノークの雛は、医務室に運び込まれてすぐに処置された。途中で従者から、自分たちに預けて欲しいと言われたが、結局アンゼリカは手ずから雛を運んだ。
無事に止血が済み、今は雛は穏やかな顔で目を閉じている。治療に当たった獣医によれば、少しの間静養が必要だが、きちんと休ませれば、元通り飛べるようになるとのことだった。
「良かったです……!」
アンゼリカは胸を撫で下ろした。それにユーリスは微笑み、
「大方、獣舎から逃げ出してきたのでしょうね。時々そういうお転婆がいますので」
そこで言葉を切り、数秒考え込んでから提案する。
「アンゼリカ姫。もしも、よければですが……そちらの雛鳥が完治するまで、部屋で飼ってみるのはいかがでしょう?」
「え?でも……この雛は、獣舎の鳥なのでしょう?勝手に連れて行って良いものでしょうか……それに、ユーリス様にもご迷惑がかかるのでは」
思わぬ申し出に、アンゼリカは戸惑った。そもそもどうしていきなりそんなことを言ってきたのだろう。戸惑い混じりの返事に、ユーリスは首を振った。
「獣舎には後で報告をすれば良いことですし、迷惑とも思いません。……姫は、動物がお好きでしょう?このような環境ですし、少しでも御心の慰めになればと思い……勿論、却って負担になるのであれば、このまま医務室に預けておきましょう」
「……い、いえ!お部屋で一緒に過ごせるのなら、嬉しいです。でも、本当に良いのでしょうか?」
「勿論です」
嬉しい。アンゼリカの顔はぱっと明るくなった。その笑顔に、ユーリスも若干緊張を解いた様子で息を吐いた。
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アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。
ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。




