婚約者と、束の間の語らい
アンゼリカ ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの婚約者。
皇帝ヴァルラス三世 ヴァイス帝国の宗主
ラスフィード王国 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
ヴァイス帝国 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
何でも、縁談相手が直前で変更されたのだという。炎帝からその長男ユーリスに変わり、ヴァイス側も結婚のため出国した。その辺りの連絡はどうやら行き違って届かなかったようだ。
「そうだったのですか。失礼しました、何も知らされていなかったもので、少し驚いてしまいました」
詫びを入れたアンゼリカに、美貌の皇太子はこれまた綺麗に微笑み、
「いえ。急に変更などして、非礼をしたのはこちらですので」
そう受け応えた。予想よりずっと柔和な対応に力を得て、アンゼリカは更に聞く。
「……お聞きしてもいいでしょうか。どうして変更になったのでしょうか?何かヴァイスで変事でも……」
「いえ、そういうことではありません。東方帝国への外交的配慮からです。……現皇妃は、あちらのご出身ですので」
その問いかけに、ユーリスは静かに告げた。
ヴァイスと東方帝国は、長年の因縁の相手である。炎帝がその東の姫と六年前に結婚……というかほとんど強奪して、妃に迎えたという話は有名だった。
だが新しい妻を求めたのなら、その結婚は既に有名無実化しているものとアンゼリカは思っていた。
炎帝は邪魔になった妻を殺すことすらあったと聞くが……流石に和平が成立したばかりとなると、気を使うのだろうか。
それとも諸々の噂は、大陸を縦断する中で尾鰭背鰭がついて伝わったものなのだろうか。アンゼリカは内心首を傾げたが、それ以上追及はしなかった。
「とにかく、ここまでの旅路でお疲れでしょう。本日はごゆっくりとお体をお休め下さい。明日以降はお二方で、このフローラスの観光を楽しんで頂ければ」
「はい、感謝します」
「……ありがとうございます」
つい先程初対面を済ませたばかりの婚約者たちは、一瞬視線を送りあってそう応じる。
「ユーリス殿下には東側の白の離宮をお使い頂いており、アンゼリカ姫にはその隣の離宮をご用意しました。ご不足のものがあればどうぞ、何なりとお申し付けを」
接待役らしき貴族は、にこにこと人の良さそうな笑みでそう告げる。アンゼリカはそれに曖昧に笑い返した。そんな彼女に、ユーリスは美しく微笑みかける。
「改めて、先程は失礼しました。一刻も早く姫にお目にかかりたかったもので」
「い、いえ……こちらこそ、お会いできて嬉しかったです……」
アンゼリカは精一杯愛想笑いする。正直綺麗すぎて怖いと言うか……この人何考えてるのか分からないな、というのが本音だった。一旦婚約者とは別れて、待機していた侍女たちと合流した。
「アンゼリカ姫にご挨拶を申し上げます。これから数日間、私どもが御身をお世話致します」
「は、はい。よろしくお願いしますね……」
美しいが冷ややかな感じのする女性たちだった。一糸乱れぬ動きで先導する彼女らの跡を慌てて追いながら、先程の邂逅を思い浮かべる。
(何か思ってたのと違ったけど……まあ、何とかなるよね……)
持ち前の楽観主義で気を取り直す。だが部屋へ向かう彼女の耳には、行き交う貴族たちのひそひそ話が忍び寄る。
「……ご覧になりましたか、ヴァイスの皇太子を。初めて拝見しましたが、炎帝とは似ても似つかない」
「まあこちらでは、見たことのない者が殆どでしょう。あの方は専ら東西とのやり取りが主だと聞きます。どんな人間が出てくるかと思えば、上辺は大層麗しいものでしたな」
「ヴァイス皇家への妖精の寵愛は、昔と変わらず深いようで」
「どれだけ柔和に見えたとて、炎帝の息子ですよ。見た目通りの人物であるはずがないでしょう」
「ご尤も。ラスフィードの姫もお気の毒に……ですが南方連合の平穏のための尊い犠牲です」
(…………何とかなる……と良いな)
アンゼリカは、ちょっと自信が失くなった。




