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皇城の通過儀礼

 ヴァイスの皇都ヴォルガル。そこはこの百年間で、最も発展した都市と言われている。数多の輸入品と文明の利器、技術が集まり、栄えていた。


 同時にここは、従来の氷路のほぼ全てが行きつく先でもある。国中にびっしりと張り巡らされた氷路を血管とするなら、皇都は心臓だ。


 切り立った崖を背にしたその皇城は、冷たいほどに美しい城だった。そびえたつ建物は、光の加減で薄い青にも純白にも見える。


 巨大な建物を取り巻くいくつもの尖塔が、逆さの氷柱のように鋭利に天に伸びている。そこに施された細やかな装飾が、光を弾いて揺らめいて、まるで結晶のようで——不思議な、神秘的なその美しさに、アンゼリカは息をのむ。


(ヴァイスの不思議さとか、綺麗なところ、みんなここに集まってるみたい……)


「……………………」


 だからアンゼリカは、隣のユーリスが黙り込んでいるのに気付かなかった。秀麗な美貌は曇り、緊張に強張っている。けれど、一呼吸の後にそれは薄れ、皇太子は平静を取り戻した。


「それでは、参りましょうか」

「はい。お願いします」


 差し出された手を取る。段々と、この流れにも慣れてきていた。荘厳な門を潜って、城の中に入った、まさにその時だ。


「————あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっ!!!!」


 向こうから……多分、進行方向であろう場所から……何か、聞こえてきた。凄まじい……雄叫びのようなものが。


 城全体を揺らすような絶叫だった。びりびりと柱が震えて、そのまま倒れそうな気配すら感じた。高いドーム状の天井も、今にも落ちてきそうな感じで……いや実際に、何か細かい破片みたいなものが降ってくる。誰もが凍り付いたように静止して、動くことはおろか呼吸すら止めていた。


 空間そのものが青ざめたような感じすらある。まるで世界の終わりが近づいたような、悲愴さを帯びた緊迫感だ。


「アンゼリカ姫……お顔の色が優れませんが。どうか、お気を確かに。なるべく早く終わらせますので」

「い、いえ。それは大丈夫なのですが……」


 一方アンゼリカはといえば、別の意味で戦慄していた。ユーリスの気遣いの声も、きちんと耳に入ってこない。


(今の声……ヒグマのラー君……?え、いや嘘、あの子がこんなとこにいるはずが……だけどでも、もしそうだったら、ま、まずい……!!)


 思い出すのはペトルの森の主こと、ヒグマのラー君の姿だ。あの子は確かに遠吠えが好きだった。その声は主の証だったし、害獣除けにもなった。乱暴者だが意外に人懐こいところもあって、可愛かったものだ。


 だが、物事には適した場所というものがある。その辺りは母が拳で教え込んだはずなのだが。


 あの子がペトルの森で吼えるのはいい。だが人間の場所、ましてこんなところでは暴れちゃいけない。何でここにいるのかは知らないが、こんなところで吼え声など轟かせたら。


(ラー君が殺されてしまう……!!)


 気持ちとしては居ても立っても居られない。だが、ここで勝手に走り出して探しにいくことなどできるはずもない。後ろ髪を引かれながらも、定められた道順を歩くしかなかった。


「……あちらが、謁見の広間です」

「は、はい……」


 長い回廊を抜け、長い階段を昇ると、目的地が近づいてきた。まるで巨人御用達みたいな、見上げるほど大きな扉だった。装飾には大量の水晶が使われており、精緻なモザイクと不思議な文様を描いている。待機していた家来たちが恭しくそこを開き、礼をした。


 だがアンゼリカはそれどころではない。先ほどの旧友の遠吠えで気もそぞろだ。いつ捕まって殺処分されてしまうかと、気が気ではない。


 青ざめて震える姿は、怯える哀れな妃として同情を集めていたのだが、そんなことに気づく余裕はなかった。導かれるまま入った先に待っていたのは、豪奢な着飾った壮年の大男であった。


 一目で、これが炎帝であると分かった。きっと誰であっても、この姿を見ればそう悟るだろう。ユーリスに合わせて跪いて、顔を伏せる。


「只今戻りました、皇帝陛下」

「面を上げよ」


 その声は静かだった。それなのに、いつ噴火するともしれない火山のような危うさを感じさせた。アンゼリカは顔を上げて、一瞬だけ、それとなく視線を向ける。


 筋骨隆々という言葉は、この人のためにあるのだろう——そう思わせるような、圧倒的な巨躯だった。堂々たる偉丈夫という言葉がぴったりだ。


 銀の髪はユーリスと同じだった。爛爛と燃え盛る瞳、顔全体に走る大きな傷跡。壮絶に気難しそうな表情で無惨に歪められているが、昔日の美貌の名残は確かにある。


 ベルヴァレント朝の第九代皇帝、ヴァルラス三世。ヴァルラス大帝とも呼ばれる。数多の戦場で覇を唱え、東方帝国の属国始め他方の国々を、支配と侵略で焼き尽くした皇帝。


 その炎帝を前に、アンゼリカは別の意味で衝撃を受けていた。



※毎日、昼に更新します。

面白いと思っていただけたら、リアクション、ブクマをいただけたら嬉しいです!!


アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…

ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。

ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。

皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。

ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。

ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。

フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。


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