ユーリスの告白
「……父は妄執に憑かれ、狂っているのです。もう何年も前から。戦場ではそれが強さとして発揮されますが、戦場を離れれば災厄でしかありません。
けれど誰もそれを諫められない。その狂気によって、ヴァイスに勝利と繁栄をもたらしているからです」
ヴァイス帝国は軍事力と妖精の加護を畏怖されながらも、文化的には後進国と、蛮族の群れと見下され続けた。だからこそ皇家は、父は、フローラス出身の妃を熱望した。
だが海千山千の外交官たち相手に、口下手なヴァイス人では分が悪い。軍事力と戦果を振りかざして優位を取るにも限度がある。
結局は属国ラスフィードの姫で納得させられることになった。父から見れば大した美点もない、嵐でも吹けば勝手に消し飛びそうな小国だ。大陸の北端と南端という位置関係上、大した影響を与えることもできない。
この結果に対する父の不満と失望は甚だしいものだった。だが、これ以上の戦争がどこにとっても無益であり、応じた方が良いのも確かだった。散々周囲を非難して問責して八つ当たりして暴れた挙句、
「そんな磯臭そうな小娘に用はない。皇太子、貴様が代わりに結婚してやるが良い」
という失礼過ぎる一声によって、この婚儀が決定されたのである。
だがそんなこと、アンゼリカ当人に言えるわけがない。だから東方帝国出身のカサンドラ皇妃の名を出して、言い繕ったのだ。
まだまだ言えないことは山ほどある。打ち明けられるほどの信頼関係は持てていない。そしてアンゼリカの返答次第では、その機会は永遠に失われる可能性があった。
(……えーと、えーーと、いきなり難しいこと色々言われてちょっと頭が追い付かない……)
アンゼリカは、すっかり眠気も忘れて混乱する。戸惑う気持ちが大きかった。
(急に言われても。そんなこと……いや落ち着こう。単純化して考えよう)
短く悩んでから、アンゼリカは顔を上げた。ユーリスは月光のような美しさと静けさで、答えを待っていた。人間というより、綺麗な彫像のようだった。
「……つまり結婚式の後、皇城で暮らすか、離宮に行くか選べ。そういうお話でしょうか?」
「まとめればその通りです。こちらの手違いでご相談が遅くなり、申し訳ございません」
「いえ、それはお気になさらず……そ、そうであれば……私は式の後も、できれば皇城にいたいです」
ユーリスは驚いた。返答の中身というより、その速さにだ。
どちらを選ぶにせよ、相当思い悩むと思っていた。一晩中かかろうと待つつもりだった。非難も罵倒も甘んじて受けるつもりだった。こんな瀬戸際になってから決断を迫ったこちらに非がある。
「理由をお聞きしても?」
「大まかに、三つ……でしょうか。まず、夫婦は一緒に暮らすものだと思います。事情があったり、相手を嫌いになれば別ですが。私は今のところ、そのどちらもユーリス様に感じていません」
夫婦は一緒に暮らすもの――長らく父母が別居していた身でいうのも何だが、アンゼリカの中でその思いは強い。まして今の段階では、相手のことをほぼ分かっていないのだ。良く知らない夫といきなり別居状態なんて、初婚にしては難易度が高すぎる。
「それにその、妖精にも会ってみたいんです。ずっと楽しみにしていましたから……幼い頃から、母に寝物語で色々聞かせてもらって、ですから、あの……」
うまく言葉がまとまらなかった。それでも心の中を浚って、一番伝えたいことを探し出す。
「……それに、ヴァイスに来れて、今日まで楽しかったんです。私は、まだまだこの国のことを知りたいんです。
きっとそのスーレア離宮も素敵なところでしょう。でも、来て早々そこに閉じ籠ってしまうのは、未練が残ると思います」
そこまで言って、アンゼリカはぺこりと頭を下げた。これが我儘だという自覚はあった。
「すみません、きっとご迷惑だと思います。皇城というのは、きっと私の想像以上に大変なところなんでしょう。それでも、何も知らないまま諦めてしまうのは、私の性分に合わないんです。
実際に見聞きしてみて、もしも駄目だったら、その時にもう一度考えさせてはもらえませんか……?」
おずおずと、アンゼリカは問いかける。これが彼女にとって、今出せる精一杯の答えだった。
ユーリスは少しの間沈黙した後、小さく息を吐いて、
「……貴女がそう仰るなら。ですが、式までにまだ時間があります。どうか良く考えて下さい」
そう返した。
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アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。
ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。




