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時間切れは近づいて

「アンゼリカ姫は、スーレア離宮という場所をご存知でしょうか」


 そう聞かれたのは、ジヴェリニツァを発つ前夜のことだった。珍しく寝室に訪ねてきたユーリスは、寝支度どころか椅子に座ろうともせずにいきなり問うてきたのだった。眠気に身を任せかけていたアンゼリカの目は、一瞬で冴えた。


「す、スーレア、離宮?」


 もちろんアンゼリカは知らなかった。不意打ちのような訪れだったこともあり、泡を食って反応に迷う。ユーリスはその様子に、少し考え込んだ。


「………………そうですか。ソフィアからは、お聞きにならなかったと」


 事前に話は通してあった。流れを見て、ソフィアがそれとなく教え、熟考を促すはずだったのだが……アンゼリカを見て必要ないと判断したのか、あるいは失念してしまったのか。どちらもありそうなのがソフィアという女性である。


「では、改めてご説明します。エリザヴェータ、私、リュドミラ、アレクサンドラ。今現在、皇城に暮らしの拠点を置く皇帝陛下の子はこの四名。しかし私たちは、最初から四人兄弟だったわけではありません。これが何を意味するか、お分かりになりますか?」


 アンゼリカはぽかんとしている。考えたこともなかったという顔だ。それに、ユーリスは更に続けた。


「他の者は、皆皇城を追われたということです。出家、臣籍降下、事故、病……この辺りはまだ穏当です。父、或いはきょうだいたちと争い、追放された者。死地とも言える戦場に送り出された者。殺された者すらいます。

 皇家の者たちですらそうなのです。皇城で日夜繰り広げられる暗闘がどのようなものか、到底言葉でお伝えすることはできないでしょう。

 父の妃たちもこの闇に呑まれ、多くが破滅の道を辿りました」


 告げる声は至って静かだ。アンゼリカは流石に緊張したが、続きを促した。


「……そ、それで?」

「…………私は、貴女を皇城に入れたくはない。ですが、式は皇都で上げなくてはいけません。皇都から外れた地点に、スーレア離宮という離宮があります。貴女には式の後、そこにお移り頂くという選択肢があります」


 アンゼリカは、思いがけない成行きに中々頭がついてこなかった。それでも何とか疑問点を口に出す。


「は、はあ……その、スーレア離宮というのは、一体どういう……」

「……皇都から少し離れた場所にある、小さな宮殿です。交通の便は良くないため、不自由な思いをさせてしまうでしょうが……その分、喧噪から隔たった、静かで穏やかな暮らしをお約束します」


 そこまで言って、ユーリスは己の中にもさざ波が立っていることを自覚した。思えばこの姫は最初から偏見を持たず、悲壮感もなく、ただ目の前にあるものを全力で楽しんでいた。それにどこか、救われていた自分がいたのだと悟った。


 けれど、ここからはそれは通じないだろう。やや語気を強め、一気に続きを口にする。


「繰り返しになりますが、我々の婚姻は国家間で決定されたこと。私にも貴女にも、覆すことは叶わないのです。無論伴侶として、貴女にできるだけのことをしたいとは思いますが…………いえ、曖昧な物言いは止しましょう」


 元々こういった、南風の会話は、苦手ではないが好きでもない。建前。虚実。美辞麗句。何重にも重ねた修辞——


 この縁談は、ヴァイスにとって喜ばしいものではなかった。貴族や従者たちの中には、属国、それも辺境の田舎国の姫が充てがわれたことに不満を持つ者も少なくなかった。


 だがそれは、無邪気にヴァイスの文化体験を謳歌するアンゼリカの姿によって低減された。これがフローラスの姫だったら、決してあんな反応は得られなかっただろうというのが、護衛全員の意見の一致するところだ。


 そして、妖精の贈り物。選ばれた存在である証。


 どこかで、妙な期待が生まれつつあるのだ。そんなものはあの皇城で通用しないと、頭では理解しているというのに。


「私は、足手まといを抱えて皇城で立ち回れるだけの余裕はない。音を上げて逃げられるのなら、早い方が良いのです」


 だから声は、必要以上に冷たく響いた。フローラスの遊覧船でのひと時のように。


 あの時も、意表を突いた言葉に驚かされ、面白くなった。同時に、この呑気でおかしな姫が壊されるところは見たくないと思った。


「………………」


 アンゼリカはぽかんとしている。気の抜けきった隙だらけの表情だ。その様は、どこにでもいそうな田舎娘にしか見えない。


 ユーリスは最近やっと慣れてきた頭痛に再び襲われた。それもこれも、一年前の父の命令に端を発している。


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