ヴァイスの気高き三皇女
「……?」
アンゼリカはというと、何が起きているのか分からず首を傾げた。そこに意図してかどうか、ソフィアが話しかけて注意を引く。
「アンゼリカ殿下は、白夜と極夜の慣習のことはご存じでしたか?今はちょうど白夜なのですけれど……」
そのまま手を取られ、窓辺まで連れていかれる。促されるまま外を見る。時間的には深夜だが、空の果てにはまだ、太陽が沈まず君臨している。
「……白夜と極夜の期間、妖精族とヴァイス皇家は互いの領域を行き来するのです。白夜には皇家の方が妖精郷に赴き、逆に極夜には妖精郷からの来客が皇城に訪れます。妖精とヴァイスの盟約を守り、次代に繋げるため、古くから続けられてきた慣習です」
「はい、それは聞いたことがあります。だから皇家の皆様は年二回、必ず妖精と会うことができるのですよね」
それが、他にないヴァイス皇家の特権でもある。アンゼリカは頷いた。「ええ」とソフィアはそっとユーリスの方へ視線を送って、更に続ける。
「皇太子殿下は、妖精の方々とも良好なご関係を築いておいでです。本来今年の白夜は、皇太子殿下が来訪するはずだったのですが、ご存じの通りこの婚儀で叶わなくなりました。代わりに妹姫のアレクサンドラ様が行かれたはずなのですが……」
「アレクサンドラ皇女と言うと、ユーリス様の末妹ですよね。その方は、妖精とお親しいのですか?」
「特にそういう話は聞きませんが、親和性は高いかもしれませんわ。皇家の方ですもの。それに噂にすぎませんが、あの方は確か……」
そこでソフィアは、わずかに迷うように目を泳がし、結局咳払いをした。
「いいえ、まだ面識がおありでないのに、先入観を与えるのは良くありませんね。皇城にいればすぐ耳に入るでしょうから、今は止めておきましょう」
「そうですか?それでは今聞ける範囲でいいので、皇女様たちのことを教えてほしいです」
アンゼリカはそう持ち掛けた。ちらほらと話を聞きはするが、思えば名前以外のことはほぼ知らないのだ。これから義理の家族になるのだから、どんな人たちか気になった。
「勿論ですわ。一番上のエリザヴェータ皇女は、それはそれは美しい方ですよ。間違いなく、ヴァイスで最も美しい女性です。十年前にラエル王国に嫁がれて、戦争終結後にお戻りになったのです」
「え……それは、大変なご苦労があったのでは。当時は敵国同士だったのでしょう?」
「ええ、そうでしょうね。危険を承知で、ヴァイスのために身を捧げてくださったのです。ですから、皇女殿下たちの中でもひときわ敬われております。今では皇城の中枢で、美と流行を牽引していらっしゃいますわ。きっと一番にご挨拶することになるでしょう」
「そうなのですね……では、リュドミラ皇女とアレクサンドラ皇女は?その方たちももう、ご婚約やご結婚をなさっているのですか?」
「いいえ。リュドミラ皇女とアレクサンドラ皇女には、全然そういう話がないのです。そもそも皇帝陛下が、ご息女たちの結婚にあまりご熱心ではなくて……それはヴァイス皇家の慣例とも言えますが」
ヴァイスでは、皇女は終生独身で過ごすことが多い。多くは修道女になり、降嫁することすら稀だ。これは皇女の降嫁によって、特定の家に力が集中するのを防ぐためである。
他国と政略結婚させようにも、長年の軋轢や因縁から相手が中々いない。戦略の一環として送り込まれたエリザヴェータの方が、むしろ特例と言えた。
「その方たちは、ユーリス様とは仲がいいのでしょうか?確か、エリザヴェータ様とは母君を同じくするのですよね」
「わたくしごときが言及するのも恐れ多いことですが、不仲ではいらっしゃらないとお見受けします。異母かどうかでは、皇太子殿下は大きく対応を変えませんわ。そこはあまり関係がないかと」
「そうですか……」
アンゼリカは少し俯き、新たに得た情報を咀嚼しようとした。その向かいでソフィアが小さく咳払いし、話を戻す。
「……とにかく、妖精族が人間に贈り物をするのは大変珍しいことなのです。きっと氷の上を楽しむアンゼリカ姫に心惹かれたのでしょうが……妖精に接触した方というのは、ヴァイスでは良くも悪くも注目されますので」
「……ユーリス様に、ご迷惑になるでしょうか」
「そんなことは……」
話を聞いている内に、ユーリスが近寄ってきた。その手には銀の指輪が光っていた。アンゼリカは少し恐々とそちらを向く。
「あの……それ、どうしたら良いのでしょうか。皆様にお預けした方が良いのでしたら」
「いえ、それには及びません。取り敢えず、この状態で持っていてください」
「即席で申し訳ありませんが」という前置きとともに、それを渡された。例の指輪に、細いチェーンが通されて首にかけられるようになっている。
「これを首にかけて、普段は服に隠しておいて下さい。できるだけ肌身離さずに。しかし、みだりに言いふらすことはしないで下さい」
いづれお力になることもあるかもしれませんから、ユーリスはそう結ぶ。その顔は微妙に疲れているようだった。
ユーリスは一瞬辺境伯の方を見やってから、「ところで」と咳払いした。
「姫は今日一日で、氷上移動が随分上達なさいましたね」
「そ、そうでしょうか?ヴァイスの方に褒められるのは、何だか恥ずかしいですね……」
「いえ、今日初めてと思えば驚くべき上達速度ですよ。それで、もしもよければですが……今度は城内ではなく、街中に出かけてみませんか?無論護衛はつけますし、街の空気を体感して頂ければ。民も喜ぶと思います」
アンゼリカはそれに一瞬ぽかんとしたが、遅れてじわじわと嬉しさが込み上げてきた。
「……はい、勿論です。楽しみです!」
妖精と出会い、指輪を受け取った。それがどれほど重大なことなのかは、正直まだ分からない。迷惑をかけたと思った。怒らせたかもしれないと。だから、誘ってもらえたのが嬉しかった。
「もっとも、暫くは用事が立て込んでいますので、私的な時間は取れないと思いますが。余裕ができ次第、こちらからお誘いしますね」
「分かりました!待っていますね」
アンゼリカは喜び勇んで、誘いに頷いた。
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アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。
ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。




