祝福がもたらすもの
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アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。
ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
…………それからわずか数分後、アンゼリカは困惑していた。
「えっと…………」
場所は舞踏ホールから離れた休憩室である。本来はゆったりと寛ぐための場所なのだろうが、今は何か、緊張感に満ちていた。中央に置かれた机の中央に鎮座した指輪が、異様な存在感を放っている。
それを挟んで、ユーリスと辺境伯は何やら複雑な顔をしている。
ソフィアだけはほんわかした表情だった。アンゼリカは事情が分からず困惑するしかない。正直こんなことで、こんなに緊迫した感じになるとは思わなかった。
妖精との邂逅と贈与。それは「妖精に愛された国」でも滅多にないことであり、相当の重大事であるなどと、来たばかりのアンゼリカに分かるはずもなかった。
「いつの間にそんなことが――……」
銀の指輪を見つめ、ユーリスは暫し絶句していた。そして唖然としながらも、
「…………間違いなく、樹氷の紋章です」
ユーリスはそれを断言できる。皇城で何十回、何百回と見てきた意匠だ。如何に複雑で細密なものであっても、他と見間違えるはずはない。
アンゼリカはその反応に、ただ戸惑うしかない。
「あ、の、ユーリス様……?」
「…………」
紋章を眺め、ユーリスはいよいよ難しい顔をした。こんな物理的な証拠まであって、既に分かり切ったこととはいえ、実際に言葉にするには覚悟がいる。言葉を探しかねている彼に代わって、辺境伯が口を挟んだ。
「つまり、アンゼリカ姫が氷越しに会ったというのは……」
「……間違いなく、樹氷の部族長でしょう。
妖精郷は今、どうなっているのか……今頃は、アレクサンドラがあちらへ行っているはずなのですが……」
ユーリスは辺境伯を一瞥する。心得て、辺境伯は声を低めて言葉をヴァイス語に切り替えた。
「あちらで異変が起きたという報せは入っていません。大方、いつもの気まぐれではないですか?」
それにユーリスもヴァイス語で応じた。アンゼリカは戸惑った顔をしたが、それとなくソフィアに促されて向こうへ行った。
「…………だとしても、これをどう説明する。姿を見せるまでは良いとしても、物的な贈り物をしたとなれば、ただの気まぐれでは済まない」
今や人間社会と妖精郷は分離し、分断されて久しい。だが、ヴァイスで暮らす者は極稀に、妖精を見る機会に恵まれることがある。
特に氷の上が多い。……例えば、親とはぐれた子供が氷の上でさまよっていたとして。日が陰り、心細くなって泣き出した子が、ふと氷の中で揺蕩う光を見つけるのだ。
光は淡淡と灯り、道を示す。それに従って行けば、帰ることができる。子どもは親と再会し、後日氷に感謝を捧げる。
そういうことが、ヴァイスでは時折起こる。こういった体験をした人間は「妖精の愛し子」「氷の贈りもの」と呼ばれ、重んじられる。ただ会って、少し助けられたというだけでもそうなのだ。
「どうなさいますか。これはかなり微妙な問題ですよ」
辺境伯が低く、ヴァイス語で語りかけてきた。アンゼリカの耳を憚ってか、潜めた響きが耳を打つ。
妖精の些細な気まぐれや、少し手助けされただけでも、愛し子扱いなのだ。まして、妖精から贈り物を受けるというのは、重大極まりない。社会的にも政治的にも、極めて繊細に扱われるべきことだ。
それを辺境伯も分かっている。難しい顔をしたまま指輪を見つめ、
「……このことを公表すれば、皇太子妃殿下を侮る者は誰もいなくなるでしょう。家臣も従者たちも、打って変わって彼女を尊重するはずです。ただ……陛下や皇城の方々、そして南方連合がどういった反応をするか、そこが気がかりですね」
「それを言うな。頭が痛い……」
異国人が、しかもヴァイスに来たばかりの者がこんな扱いを受けるなど、かつて無かったことだ。妖精は過去の経緯から、ヴァイス人以外の人間に不信感を抱く者が多いのだ。
このちっぽけな指輪は、それらの歴史と因業、そして現在の国際秩序すら揺るがす可能性を秘めている。
元来妖精は気まぐれなものだ。それは知っている。だがこういう奇行は危ないので、彼らのためにも控えてほしいところだ——言って聞いてくれる相手ではないが。
皇太子と辺境伯は暫し額を突き合わせ、今後について頭を悩ませた。




