そして婚約者との出会いが…………あれ?
アンゼリカ ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ラスフィード王国 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
ヴァイス帝国 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
フローラス 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。
馬車が王宮に入り、いよいよその緊張は高まった。母国のものとは似ても似つかない巨大な宮殿の真正面、瀟洒な庭園の中央で馬車が止まる。
(な、なんか…………殺伐としてない?この緊迫感、まるでお母様と森の主が睨み合ってる時みたいな……)
だが、ことここに至って逃げ場があるはずもなく、深呼吸してから座席を立った。
従者の手を借りて、アンゼリカは馬車から降り立つ。周囲には着飾った人々が整列している。誰から挨拶するか一瞬迷い、動きを止めた時だった。
その時一団の中から、誰かが進み出てきた。優美な毛皮をあしらったマントに、重厚なシルエットは、話に聞いたヴァイスの貴人の出で立ちだ。周囲の恭しい反応といい、この人物が炎帝だろうか――そう思って顔を上げたアンゼリカは、目を瞬かせた。
「初めまして、アンゼリカ姫。お目にかかれて光栄です。貴女のご到着を待ち焦がれておりました」
「………」
アンゼリカは思わず、声に漏らしそうになった。……誰?と。
アンゼリカはヴァイス帝国のことなど、お伽噺の異聞のようにしか知らない。ヴァイス人を見るのもこれが初めてだ。しかし一つだけ分かることがある。
この冴えた湖面に浮かぶ月のように美しい青年は、絶対に炎帝ではないということだった。
「……御機嫌よう。ヴァイスの方とお見受けしますが……丁重なお出迎え、恐れ入ります」
「ええ、婚約者の到着ですから。不躾とは思ったのですが、どうしても早くお会いしたくて」
「そ、そう……ですか」
意味が分からない。現れた婚約者とやらは、精々二十そこそこにしか見えなかった。壮麗なファルツの建造物群にも劣らぬ、非常に見目麗しい男性ではあるのだが、しかしその若さは思い切り事前情報と食い違っている。
(え、いや、若すぎ……?でも、ひょっとしてこれが普通なの?ヴァイスの神秘?いやいくら妖精がいるからってそんな……)
炎帝と言えば、凍りついた国をも燃やし尽くすような苛烈な武勇と侵略で知られた君主だ。起こした戦は数十に上り、東方帝国とは二十年近く国境で争っている。私生活でも既に十四回の結婚をして、成人済みの子どももいるという。
そんな炎帝であれば、とうに四十を越えているはずだ。噂を考えても、筋骨隆々で気難しい大雪熊のような男を想像していた。いくらヴァイス人が「妖精に愛された民」だからといって、年月に抗えるわけもあるまい。
しかし、その疑問はすぐに氷解した。眼の前の、雪花石膏のような貴公子が名乗りを上げたのだ。
「ヴァイスの皇太子、ユーリス・アレクセイ・ルクス・ベルヴァレントと申します。長旅でお疲れのところ申し訳ございません」
「……い、いえ。アンゼリカ・シェルパ・ラスフィールです……皇太子殿下に、わざわざお出迎え頂き恐縮です」
つまり、炎帝の息子か。アンゼリカはその顔も声も綺麗すぎて、その衝撃に少し呆けてしまったが、何とか練習通り挨拶はできた。
銀細工のような髪に冴え冴えとした青い瞳は、いっそ人間離れして見える。まさに氷の国の貴公子といった風貌の美しい人である。
ヴァイスには妖精の血が混じっている人も多いと聞くが、本当なのかも知れない。
(何だろう。すごい、きらきらしてる……こんなひと、見たことがない)
月とか湖みたいな……そんな印象だった。綺麗で遠い。噂に聞いたような、怪物のような雰囲気ではない。だが、内側にあるものが見えにくいのも確かだった。
「……アンゼリカ姫、ようこそお越し下さいました。お二方のご結婚を、フローラスは国を挙げて祝福致しましょう」
そこに、同じく出迎えに来ていたフローラスの貴族が声を掛けてきた。そのまま宮殿に迎えられる途中で、手早く事情を教えてもらった。




