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初めての氷上移動

「季節外れで、少し蒸し暑いかもしれませんが……」

「いいえ、温かくてちょうどいいです。ありがとうございます!」


 仕上げに、頭を保護するためにもこもこの頭巾を被って、準備は完了した。


「それでは、どうぞ。手を貸します」

「はい。……よっと……」


 差し出されたユーリスの手を借りて、おっかなびっくり立ち上がる。どうなるかと思ったが、案外すんなりと立つことができた。


「おお……」


 正しい姿勢と重心を心掛けていれば、バランスを取ることはそこまで難しくないようだ。正直数秒持ちこたえられないと思っていたので、びっくりした。


 氷に近づくと、見覚えのある氷獣がそこで待機していた。アンゼリカは一目見るなり笑みを浮かべ、呼びかけた。


「あ、スヴェータさん。こんにちは!」


 るうう、と鳴き声が返ってくる。ユーリスはそれに少し驚いた顔をして、


「……アンゼリカ姫は、氷獣の見分けがつくのですね」

「え?」

「……いえ」


 小さく咳ばらいをし、切り替えるようにスヴェータに目くばせした。


「……姫は、何もなさらなくて大丈夫です。ただの体験ですから。ご自分で動こうとせず、空気に触れるくらいの気持ちで、私に任せて下さい。


 その方がこちらもやりやすい。スヴェータにも傍で滑ってもらうので、背中に触れて下さい」


「は、はい。よろしくお願いします、ユーリス様。スヴェータさんも」


 アンゼリカはスヴェータを窺ってから、そっと艶やかな毛並みに手を沈める。そして手を引かれるまま、初めての氷の上へ滑り出した。片手をそれぞれユーリスとスヴェータに預け、池の外周を回り始める。


「わ、すごい……」


 すぐにアンゼリカの口から、感嘆の声が漏れた。


 それは未知の経験だった。全然動いていないはずなのに、勝手に体が進んでいくのだ。すうっと、音もなく。淡い紅を帯びた景色が、静かに通り過ぎていく。


 冷涼な風が頬を撫でる。雪車の中から感じるものとは、全然違う。こうして滑っていると、何だかどこまでも行けそうな気がしてきた。


「……大丈夫ですか?アンゼリカ姫」

「はい!もう少し遠くまで行ってみたいです……!」


 ヴァイスの人たちは、いつもこんな景色を見ているのですね。頬を紅潮させ、ため息交じりにアンゼリカは言った。


 「ヴァイス人は歩くより先に滑ることを覚える」と言われるほど、氷の世界と密接な暮らしを送っている。兵士ではない一般人でも、滑りやすい氷の上を自由自在に移動できる。


 その様は、他国人の目に時に奇異に、時に脅威に映った。


 それが高じて、「ヴァイスの氷には魔法がかかっている」などという迷信も生まれた。「妖術」「外国人が滑ろうとすると妖精に転ばされる」などといった噂が、他国では畏怖を込めてまことしやかに囁かれている。それはここまでの旅路で、何度もアンゼリカの耳にも入っていた。


「ヴァイスの人たちは、この上で回ったり飛んだりもできるのでしょう?すごいですねえ」

「……別に回るだけなら、今の姫にもできますよ。ほら」


 手を高い位置に持ち上げられる。あっという間に、くるんと体が回転した。アンゼリカは目を輝かせ、


「今の、もう一度お願いします!」


 と願った。くるくると何度か回してもらい、その度に楽し気に笑い声を立てる。


「目が回りませんか?」

「全然!楽しいです!」


 その頃には、尻込みしていたことなんてすっかり忘れていた。しばらく介添え付きで滑るのを楽しんだ後、一度手を放してほしいと言ってみた。


「あまり気負わずに。最初は転んで当然ですから。では、手を放しますね」

「はい……って、わ……っ!」


 途端にバランスが崩れた。普通に立っているつもりなのに、体が流れて行ってしまう。その気がないのに足も流れる。ついふらついて慌てたところを、ユーリスに支えられた。


「あ、す、すみません……」

「大丈夫です。慌てないで下さい。スヴェータもいますから、危なくなったら寄りかかって下さって良いんです」

「そ、そうですか……?」


 そんなものだろうか。アンゼリカの手を引いて、また滑り出しながら、ユーリスは独り言のように言う。


「氷上では転ぶのが当然で、それは恥ではありません。どんな熟練者でも転倒する時は転倒します。

 重要なのは深刻な怪我を負わないこと、そしてすぐに立ち上がることです」


 真剣に聞き入っていたアンゼリカは、意外な思いで目を瞬かせた。


「……ユーリス様も転んだことがおありになるのですか?」

「勿論、数え切れないほど」


 そう言われても信じられない。ユーリスの立ち姿は端然として、まるで根でも生えているように安定して見える。


「とにかく、焦ることはありません。姫はまだここに来たばかりですし、追々……」

「分かりました!では私も、今のうちに大いに転んでおきます!」


 そして、アンゼリカは答えも聞かずに手を放して、一人で滑走を始めた。ユーリスとスヴェータはぎょっとした様子で、すぐに反応できない。


「ふあっ!」


 案の定二秒ですっころんだ。すぐさま立ち上がった。それから三秒もたずまた転ぶ。


「あ、アンゼリカ姫!?ですからそう急くことは……」


「まず最低限、怪我しない転び方と立ち上がり方を身に着けたいと思います!介添え付きではいつまでも上達しませんし!どうぞ見ていて下さい!!」


 言ってる傍から、アンゼリカはまた転んだ。立ち上がる。また滑り出す。そこには苛立ちや焦りはなく、ただひたすら楽しそうだった。




※毎日、昼に更新します。

面白いと思っていただけたら、リアクション、ブクマをいただけたら嬉しいです!!


アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…

ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの夫。

ソフィア:ロスニア辺境伯の妻。ユーリスの従姉妹。アンゼリカに好意的。

皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。

ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。

ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。


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