表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/58

皇太子と辺境伯

 このロスニア辺境伯領から伸びる氷路は、皇都ヴォルガルに直結している。他にも領地から伸びる氷路が、網の目のように各地へ広がっている。これはそのまま、辺境伯領の豊かさを示すものである。


 土地や都市を見るにあたって、他の国とは違った、ヴァイス独自の尺度がある。それが国中に張り巡らされた氷路である。


 領地の価値や発展性というのは、単なる地図上の位置や広さでは計れない。皇都や大都市から遠く、猫の額ほどの領地であっても、うまく氷路が繋がっていれば繁栄する。商人を呼び込めば物流拠点として栄えるし、そうでなくても交通料の一部が収入として入ってくるからだ。


 逆にたとえ皇都や都会に近く、広大な所領を持っていたとしても、氷路が少なければ発展は難しい。一年の半分に渡って大部分が雪に覆われ、交通に難儀することになるからだ。


 氷を制する者が物流を、経済を制する。ヴァイスとはそういう国である。そしてロスニア辺境伯は、紛れもない大貴族であった。


 皇都ヴォルガルに行くには、彼の領地と直轄領を経由して、最短経路を通り抜けるだけで良い。そのように道中の予定を組んである。先例を考えても、あまり寄り道をしたくはない。他の貴族への挨拶は、一度皇都まで行ってからだ。そうユーリスは考えていた。


 ひとしきりもてなしを受けている内に夜半になった。アンゼリカは既に部屋に行き、ユーリスも戻ろうかと思い始めた時だ。


「皇太子殿下。お休みの前に、少々お付き合い頂いても?」


 辺境伯が、そう声を掛けてきたのだった。それから少し後、談話室で銀火酒を酌み交わす二人の姿があった。


「……ともあれ、ご結婚おめでとうございます。陛下のご命令で、というのがあれですが」

「君は相変わらずのようだな」

「ええ、おかげ様で元気にやれております。父が死んだのは不運でしたが、周りの助けにも恵まれて」


 先代ロスニア辺境伯は東方戦線で戦死し、彼が後を継いでからまだ十年も経っていない。無難な近況確認や雑談などしている間に、必然的に話題はアンゼリカのことに流れていく。


「……まあ、あれがラスフィードの姫だ。フローラスの姫を是非にと望んだ、陛下の宿願は果たされなかった。私の従者にすら、不満を持っている者が少なくないわけだが、君はどう思う」

「よろしいのではありませんか。正直私は、此度の縁談には賛同しかねました。無理やりフローラスの姫を迎えたところで、カサンドラ皇妃の二の舞になることが目に見えていましたから」


 カサンドラ皇妃。六年前、ヴァイスは東方帝国の支配圏だったラエル王国を屈服させた。その二年後に戦後処理の一環として、ラエル王女であったカサンドラが差し出された。


 急な縁談の変更において、ユーリスが言い訳として使った名前でもある。どうして結婚相手が炎帝その人から、皇太子である自分へと変更されたのか、アンゼリカやフローラス王家に言えるはずもなかったからだ。


「…………」

「お疲れのご様子で」

「この成り行きで疲れない人間がいればお目にかかりたい」

「ですが、フローラス貴族の前では取り繕ったのでしょう?」

「当然だ」


 フローラス始め南の国々には、自分たちこそが人間の文化の母であり担い手であるという自負がある。ヴァイスが拡大し、力関係が逆転して尚、文化的に遅れた野蛮な国と見下されている。その中枢で、隙など見せられるはずもなかった。


「明日からはどうなさいますか」

「アンゼリカ姫を見ただろう。取り敢えず、ヴァイスの文化への拒否感はなさそうだから、こちらの文化や国民の目に触れさせても大丈夫だろう」

「それでは、そのように下に伝えましょう。……良かったですね、存外好意的な方で」


 外国から花嫁が来たとなれば、パレードや式典で華々しく進むのが普通だが……ヴァイスにはそういった慣例が少ない。そもそも他国から妃を迎えた事自体少ないからだ。しかも花嫁がどんな人物か分からないので、ある程度融通の利く計画を立てたいと考えていた。入国から入城にかけての流れが、辺境伯領だけで完結するようにさせたのもそのためだ。


「……ラスフィードは遠いからな。ヴァイスとは、大陸の両極端と言える位置にある。それだけでもかなり違うだろう」

「カサンドラ皇妃の時は大変でしたからね。用意していたものや準備も、ほとんどをご破算にすることになりましたし」

「……先ほどの特別演習、どう反応されるかと身構えていた者も多かっただろうな」

「ええ、私もその一人でしたよ。ですが、ご満足頂けて何よりでした」


 四年前、ヴァイスに迎えられたばかりのカサンドラ皇妃は、特別演習の見物で取り乱して失神し、その後は一歩も車から出ようとしなかった。皇都に入り、皇城に着くまで、頑として——本当に一切、他者との接触を拒んだ。誰にも会わず、話さず、ただただ塞ぎ込んで、時折狂乱して暴れるだけだった。


 致し方ないことではある。彼女は敗戦国の姫だ。故郷を氷獣に蹂躙された挙げ句、敗北の証として差し出された彼女の目に、氷獣の演舞が美しく見えるはずはない。世界の裏側と呼べるほど遠いラスフィードから、ヴァイスをお伽噺のように捉えていたアンゼリカとは、前提からして違う。


 とは言え、歓待を見ようともせず去っていった者よりも、大喜びで自国文化を楽しんでくれる者に好感を持つのは道理であろう。アンゼリカの柔軟な態度は、この国に溶け込むために大切な武器かもしれないと思った。


 差しあたっては、辺境伯家の補佐をつければ問題はないだろう。特にソフィアは数少ない他国人に好意的な貴婦人だし、人格、忠節ともに申し分ない。


「ラスフィード。あのような大陸の果てから遥々お越し下さったのですし、少しでも慰めと喜びに代わるものがあれば良いのですが」


 口ぶりからして、辺境伯はどうやらアンゼリカに好感を持ったらしい。ユーリスとて、まさかあの姫に悪印象など持ってはいない。だが——


「…………良き人であることと、良き皇太子妃になれるかは別だ」


 全く違う、正反対と言ってもいい。そして「良き皇太子妃」として勤め上げられる者など、この世界に一人たりともいないとユーリスは確信していた。だからこそ、想定される被害を最小に抑えるため、準備と思考と計算を怠るわけにはいかないのだ。


 それを言ってしまっては形無しですね、と対面の辺境伯は含み笑う。憂慮を押し込むように、ユーリスは酒杯を呷った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ