従者たちの憂鬱
「……どうにかここまで来れたな」
「やっと少し肩の荷が下りたよ」
ユーリスの従者たちは、その夜館で気を抜いていた。私的な時間であるため、やり取りはヴァイス語である。
因みに公的な場では、フローラスの言葉であるフロレ語を使っていた。フロレ語はかつての大陸共通語であり、上流階級なら教養として誰もが習得するものでもある。
ファリアール大聖堂の結婚式は、恙無く終了した。表面上破綻も諍いもなく、南北の間には平穏と友好が結ばれた。
長かった任務の達成。やっと終わりが見えてきた旅路。にも関わらず、表情は一様に冴えない。
「……まさかこんなことになるなんて」
「本当は今頃、フローラスの姫を連れて凱旋してるはずだったのに」
「実際に嫁いできた皇太子妃殿下はあれだしなー……」
そう。彼らは主君の妻、皇太子妃となったアンゼリカに、不平不満を抱いていた。その理由は色々あるが、根本的なものは彼女がラスフィードの姫であることだ。
ヴァイスは元々極寒の地で、人は生きていくだけでも過酷な環境だ。厳しい自然故に、行動範囲や活動は大きく制限される。
妖精の加護はあるものの、文化の成熟度や豊かさにおいては他国に大きく劣る。軍事国家として大成した今でも、そのことで見下され、差別されることも少なくない。
対してフローラスは、国力こそ強大でないが、その文化と歴史はどこにも引けを取らない。かつての大帝国の末裔、数多の文化芸術の生地として、相応の気位を持っている。
そのために、フローラスから妃を迎えるというのは、ヴァイスにとって一つの到達点であったのだ。
だが、いざ花嫁としてやってきたのは属国のド田舎の王女だ。ラスフィードなど、地図を広げてもすぐに位置が分からないほど、辺境の小国だ。
当の王女にしたって、華やかさも洗練もなく、王女というより漁村の村長の娘のようだった。それだけでも不満だというのに――
「あの呑気ヅラで殿下に大恥をかかせて、気づきもしないんだからな……」
「海の人間って皆ああなのか?鈍いっていうか、抜けてるっていうか」
花嫁ときたらあろうことか、初夜で夫を放置して眠りこけたのだ。その上一日も経たない内に、王宮中にそのことが広まる始末。
折角の主君の、一世一代の晴れ舞台であったというのに――結婚生活の始まりから、暇人たちからつまらない邪推を浴びせられる羽目になった。
アンゼリカは向けられる好奇と揶揄に全く気づかず、ただぼけっとしていた。皇太子は「構わない」と流していたが――だからこそ、従者の立場は鬱憤と心労が溜まる一方である。
「しかも、皇帝陛下を炎帝と呼ばわった。あの様で皇城に入られては、皇太子殿下のお荷物にしかなるまい」
極めつけは、何かの折に放った「炎帝」という呼び方だ。
「皇太子殿下が諫めて下さったから良かったが……その呼び名がどういうものか、考えもしていないのだろうな」
炎帝。その言葉はヴァイス国内でも使われることがあるが、公式の場では決して出ない呼び方だ。もとは東方帝国が蔑称として使用し、それが他方に広まったものだからだ。
そして、それはあまりに皇帝の人物像に合っていたため、ヴァイス国民にすら定着していった。
蔑称か、単なる呼称か。時と場合によって意味合いは変わるとはいえ、公称には決して用いられない。皇太子妃ともあろう人間が、軽々しく使うべき言葉ではない。
「……本当に、先行きが案じられてならない。あの姫で本当に大丈夫なのだろうか」
「そこはまあ、何とでもなるだろうさ。ただ前に聞いた噂は本当なのかな」
「ああ。何だったか、確か皇太子殿下は、お妃をスーレア離宮に押し込むおつもりだとか――」
「何を、下らないことを話している」
口々に騒ぎ立てる従者たちに、ユーリスはそう声を発した。戸口から。凍てついた眼差しで。
従者たちが気づいて振り返った時には、後の祭りであった。一気に血の気の引いた顔を見合わせ、彼らはすぐに頭を垂れた。
ヴァイス帝国の皇太子ユーリス。彼は銀髪碧眼の、玲瓏な美貌の持ち主だ。冴え冴えと青い、夜と月光の美しさを集めたような容姿。彼は、美貌の母ペネロペと生き写しであると言われている。
そのユーリスが怒る姿は、美しく、冷ややかで、酷く人間味に欠ける。白い月のような冷徹な表情と声で、ごく静かに、重々しく叱責する。それは炎帝の威圧感に良く似ていて、従者たちは顔を伏せるしか無かった。
「――――……」
そして、たまたまそこに通りがかってしまったアンゼリカは、その光景にどうして良いか分からず立ち尽くした。
ヴァイス語を知らないアンゼリカには、何を言われているのかは分からない。ただユーリスの発する、切りつけるような響きだけが耳を冷やす。これから入るヴァイス帝国で、冬に吹き荒ぶ雪風も、こんな風に鋭く冷たいものなのだろうと思った。
「……どれだけ取り繕っても、炎帝の息子ですよ。暴君の質であるに決まっております」
「あの柔和な笑みの裏に、どんな本性を隠していることやら」
フローラスで聞いた誰かの声が、木霊するように耳に響いてくる。振り払おうにも、こびりついたように止まなかった。
(い、いや……前後関係が分からないし、ここだけで判断するのは。ていうかこれ、私が立ち会っていい場面?知らない振りをすべき?ど、どうすれば……)
状況が全く掴めない。だから最適解も分からない。あたふたしていたら、ユーリスがこちらに目を向けてきた。肩がびくりと揺れた。
「……アンゼリカ姫。いらしたのですか。申し訳ありません、お見苦しいところを」
ユーリスはすぐにいつもの笑みを浮かべ、軽く謝辞を述べた。その変わり身も何だか怖い気がしたが、
「いえ、それは構いません。ですがあの、一体彼らはどういう経緯で――」
「姫にお聞かせすることではありません。お部屋へお戻りを」
事情を聞いても、すげなく断られる。間もなくやってきた使用人によって、アンゼリカは強制的に部屋に戻された。
※毎日、昼に更新します。
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アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの婚約者。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。




