最初の贈り物
何頭もの馬車に囲まれ、アンゼリカが乗る車は緩やかに動いていく。
行く先で会う人々、増え続ける贈り物で膨れ上がりながら、一行は尚も北上を続けていた。
気づけばフローラスの結婚式と出国から一月以上が経過し、夏が近づいてきている。
「アンゼリカ姫、国境が近づいて参りました。この調子で進めば、一両日中にヴァイスに入れるでしょう」
「ど、どうりで涼しいわけですね……」
アンゼリカは馬車の中で、そわそわと手足を動かした。これからもっともっと寒くなると考えるだけで震えそうになる。
(「寒い」を「涼しい」と言い換えると、若干快適に感じられる……かも……?)
夏が近いというのに、長袖の上着が手放せないとか、かつてなかったことである。
(おかしい……もう夏が訪れつつあるのに、秋冬みたいな気温が続く……)
アンゼリカは不安から意識をそらそうと、興味のある話題を出した。
「で、でも、ヴァイスもこれから夏ですものね……白夜というものがあるのでしょう?一日中日が沈まないとか……どのようなものか、今から楽しみです」
白夜と極夜。そう呼ばれる現象が、極北の夏と冬にある。何日も日が沈まず明るい——或いは日が昇らず暗い、特殊な期間。そういうものが、ヴァイスにはあるらしい。
「ああ、はい。確かにあれは、他国の方には珍しいでしょうね。姫が喜んで下されば良いのですが」
ユーリスは、話題の転換にも狼狽えず微笑む。その顔は初対面から全く変わらず、至って冷静で、美しい。
フローラスの殿堂、ファリアール大聖堂での挙式から早二月半。その間も一行は移動を続けていた。
一路北へ、北へ、北の果てへ――大陸南端の姫が、北端の帝国へ嫁ぐ旅は、やっと終わりが見えかけていた。
今いる地点はヴァイス帝国の隣国、フォールスである。この国も南方連合の一つだ。
フローラスにとっては、ヴァイスに対する主要な防壁でもある。これから先の関係を意識してか、道中では下にも置かぬ扱いを受けることが多かった。
「フォールスとの付き合いもこれで最後です。気疲れなさったでしょうが、今暫くお付き合いをお願いします」
「はい、お気遣いありがとうございます」
国境越えの前に、一行は一度止まって、領主の館で歓待を受けることになっていた。迎えが来るまでの待機時間の中、ユーリスは思い出したように言った。
「そうだ、アンゼリカ姫。どうぞこちらを」
そして差し出されたものを見て、アンゼリカは瞬いた。手のひら大のそれを受け取って、まじまじと見つめ直す。
「……これって……護符?使われているのは、月長石と水晶……ですか?」
ため息が漏れるような見事な細工だった。小さな美術品のようだった。
飾られている月長石と水晶はどれも小粒だが、輝きは美しく、大変な値打ちものだと分かる。
月の雫のような細かな石が複雑に組み合わさり、絡み合い、モザイクを描いている。
「ええ。どちらも妖精が好む石です。ヴァイスの者は、こういった護符を持つのが習わしですので」
家格や財力によって、護符の形は様々だ。貴族や富豪は選りすぐりの石を絢爛な護符に仕立て、宝として伝える。庶民であっても、クズ石や欠片などを混ぜ合わせたお守りは誰もが持っている。
しかし、石の質や値段は重要ではない。これは妖精へ敬愛を捧げ、加護を願うものだ。万が一妖精郷に迷入した場合、これを持っているかどうかで、妖精の対応も変わってくる。
「私の持っていたもので恐縮ですが、姫も一つ持っておいた方がよろしいでしょう。これからヴァイスに入り、皇家に加わるのですから」
「え、で、では結構です。ユーリス様のものを頂くだなんて、申し訳ないですから」
「いえ、私は同じような護符を複数持っておりますから。深く考えず、持っていて下されば幸いです」
アンゼリカは遠慮しようとしたが、ユーリスのあんまりにも綺麗な笑顔に押し切られ、結局頷くことになった。
「それでは……その、ありがとうございます」
「ええ」
小さな護符は、ユーリスから手渡された最初の贈り物となった。握り込むと、ひんやりとした感触が伝わった。
そして、国境手前での一日は穏やかに暮れていった。
アンゼリカ:ラスフィード王国の姫。割と能天気。北のヴァイス帝国に嫁入りすることに…
ユーリス: ヴァイス帝国の皇太子。アンゼリカの婚約者。
皇帝ヴァルラス三世: ヴァイス帝国の宗主。ユーリスの父。
ヴァイス帝国: 遥か北の荒野の覇者。氷と獣と妖精の国。
ラスフィード王国: 大陸南岸の漁業と造船で細々生きる海辺の小国。
フローラス: 古い歴史と格式を持つ宗主国。首都はファルツ。
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(2025年9月29日現在)




