氷上のアレクサンドラ
「ここで回って、こう……うわ、いや待って!フィアールカ待って!もうちょっとゆっくり!」
「……きゅう~?」
貴重な空き時間に、アンゼリカは氷上に出ていた。フィアールカも一緒である。フィアールカを好きに動かせ、それに合わせるという練習をしていた。まず相方を舞わせ、それに合わせるのは、氷獣舞の初歩らしい。
フィアールカが回ったらアンゼリカも回る。フィアールカが滑走したらアンゼリカも滑走する。できるだけ同じ動きを心掛ける。鏡合わせのようになれば理想的だ。
「氷獣は、特にスノークは天性の舞手です。彼らの動きを観察して真似するだけでも、学べることが沢山ありますよ」
ソフィアは笑顔でそう教えてくれた。アンゼリカとしても、愛鳥との交流を兼ねた、憩いの時間だった。だが、それはそうと。
「はあ、どうしようかなあ……」
改めて、一回転に挑戦しながらぼやく。頭を悩ませているのは言うまでもなく、白薔薇の午睡の調達についてだ。あれからユーリスにも聞いてみたが、物が物だからすぐに用意するのは難しいとの答えだった。必要なら何とか期限に間に合わせると言ってくれたが、果たしてそれで良いのだろうか――?
カサンドラの言葉。聞こえてくる噂話。人々の社交辞令。色々なことが、ぐるぐると頭の中を回り続けている。
(どうするのが、一番良いんだろう……)
考え事をしていたらまた転んだ。咄嗟に手をつき、立ち上がろうとした時だ。見覚えのある擦り切れた裾が視界に映り込む。顔を上げたアンゼリカは驚いた顔をした。
「あ、アレクサンドラ様……?」
いつの間に来たのか、離れた場所に、アレクサンドラの姿があった。アンゼリカとは比べ物にならない、無理のない優雅な姿勢で氷上に立っている。氷が奏でるかすかな音に紛れて、囁きが聞こえてきた。視界の端で、フィアールカが嬉しそうに頭を動かしたのが見えた。
「え?あ、アレクサンドラ様?」
アレクサンドラの姿がいきなり大きくなった。そんな錯覚を覚え、アンゼリカは吃驚する。
一体どういう滑り方をしたのか、瞬きの間に距離が縮まっていた。さっきまでは離れていたのに、今は腕を伸ばせば届きそうだった。アレクサンドラは、無表情のままだ。
「……わたしの本は、もう読んだ?」
こちらを見下ろして、唐突に質問をしてくる。アンゼリカは意味が分からず、口ごもる。
「え?本?あの、何のお話を……?」
「はやく読んで」
「ええ?あの……」
アンゼリカは困惑しながらも、やや懐かしさを感じた。
(やっぱり、鴉のサーシャさんっぽい……)
サーシャさんは掴みどころがないというか、とにかく謎めいた雰囲気の鴉だった。動物と言うか古木に似た佇まいのその鴉は、母が来る前から森にいたそうで、アンゼリカとも古い付き合いだった。だが彼女が見た限り、まるで年老いる様子がなかった。その聡明さはあの森でも随一だったと思う。時々意味深な仕草を見せたり、窓辺に手がかりを残していってくれる……いわば森のご意見番だったのだ。
そんなことを考えるアンゼリカの腕を、アレクサンドラは引っ張った。アンゼリカは中途半端な立ちかけの状態になり、彼我の距離が縮まる。フィアールカはアレクサンドラの足元に寄り、挨拶するように羽を触れさせた。
逆光で、アレクサンドラの顔には薄く影が落ちている。肩からこぼれた灰色の髪からは、不思議な香りがした。淡く静かで、透き通った、体の芯を冷やすような。その時のアンゼリカには知る由もなかったが、それは一足早い雪の香りだった。
「あの、アレクサンドラ様……?」
アレクサンドラは人形のように無表情のまま、アンゼリカの顔を覗き込む。両手でアンゼリカの耳元を引き寄せた少女は、薄くひそやかな声で囁いた。
「……あなたに必要なものは、カサンドラが持ってる」




