霜雲殿の栗鼠の女の子?
そういうわけでアンゼリカは、訳も分からないまま霜雲殿に向かった。目を白黒させながら、先を行く侍女の背中についていく。
(……建物内に入るのは初めてだけど……エリザヴェータ様の冬華殿とは、かなり雰囲気が違うなあ)
冬華殿の圧倒されるような華やかさ、豪奢さはない。だが極めて優雅で静謐で、格調高い。
どこを見ても、ため息の出るような芸術品が完璧な比率で配置されている。一部屋一部屋が、小さな美術館のようだった。
「ああ、来たのね。罪深い二足歩行の女……足音がそうぞうしいからすぐに分かったわ」
一際大きな肖像画を飾った応接間で、リュドミラは待ち受けていた。ヴェールが揺れ、視線を向けられたのを感じる。
「き、昨日は申し訳ありませんでした。えっと、その後お加減は……」
「……昨夜は悲しくて眠れなかったわ。挙句に、またそんな恰好をしてくるなんて――なんて無神経な人なの……」
陰鬱に呟いて、それきりリュドミラは黙り込んでしまった。呼びつけておいて何も言おうとしない喪服の皇女を、アンゼリカは困った顔で見つめる。侍女がお茶を淹れて下がってからも、リュドミラは沈黙を守り続けた。
ちくたくちくたく、時計の音だけが響く。アンゼリカはどうしていいか分からず、ただリュドミラの行動を待つ。
「——貴女は……カサンドラのことをどう思っているの?」
長い沈黙を破ってリュドミラがそう言いだした頃には、すっかりお茶も冷めていた。そして、アンゼリカの返事も待たず話し続けた。
「愚かな人よね――みんなそう言うし、そこに異を唱える気はないわ。けれど彼女も、国家間の利害に否応なく巻き込まれたひとりなのよ」
「え、ええ、そうなんですね……カサンドラ様のところには、今も時々行きますよ。ただ本当に、塞ぎ込む日が増えているようで……」
先日のことで、少し気まずいところもあった。そもそも最近は会える時間が減っている。時間ができたら会いに行っているが、最近は口数が減る一方であまり話ができていない。
それに、ユーリスやソフィアが良い顔をしないのだ。特に、贈り物や言伝を受け取ってきた時は。鈍いアンゼリカも、何度か繰り返す内にそれを察せるようになっていた。
アンゼリカはぽつぽつと、思いつくままにカサンドラについて話す。それをリュドミラは黙って聞いていた。
「……あの方もヴァイスでできた親類のおひとりです……ただ、ここにいらっしゃることは、カサンドラ様にとって良くないように思えます。だから気晴らしとか、新たな居場所となるものでも見つかれば良いのですけれど……」
そこまで言ってアンゼリカは、黙って聞いていたリュドミラに微笑んだ。こんな風にカサンドラのことを聞かれたのは初めてだった。
「……リュドミラ様は、お優しい方なのですね」
「……!」
アンゼリカとしては何の気なしの言葉だったが、リュドミラの反応は激しかった。ひっと息を呑んでから、声を戦慄かせた。表情は見えないが、明らかに取り乱した様子だった。
「なっ、な、何よ……!私が生者を気にかけたらおかしいのかしら……!?死にぞこないは大人しく墓に埋まっていろって言うのね!?」
「いえそんなこと一言も言ってませんけど!?」
ていうか死にぞこないって何だ。目を白黒させるアンゼリカの前で、リュドミラは肩を上下させながら息を整える。
(うーんやっぱりモカちゃんっぽいなこの人……)
モカちゃんというのは、故郷の森にいた栗鼠の女の子である。ちょっと変わった子で、森の中でも結構浮いていた。どこから調達してきたのか知らないが、黒い布に包まるのが好きな子だった。更には全く理由の分からないことで激高し、かと思えば悲しそうにしたり、その度に荒れ狂って、とにかく情緒が忙しない子だった――……そんなことを思いながら、アンゼリカは次にかける言葉を探す。




