ある日、大陸の南端にて
早朝の岬は朝の光に輝き、活気を帯びている。
アンゼリカは塔の頂上から、望遠鏡を突き出して外を見る。
物見というほどでもないが、何か変わったことや兆候があれば反応できる。
起きてすぐ、寝起きの頭でレンズを覗く。アンゼリカが長年続けてきた習慣だった。
郊外の山から俯瞰する、いつも通りのペトルの景色。賑わいの準備を始めた街と、停泊したいくつもの船。雄大に広がる緑と、それ以上に雄大な海。その狭間に白砂が首飾りのように細い楕円で広がっている。
けれどその日はいつもと違ったことがあった。
北側――つまり、陸がある方である。空の向こうに上がった狼煙を見て、アンゼリカはぱちぱちと瞬きした。
「お父様が……来る?今日の昼過ぎに……?」
湾岸都市ペトルは、ラスフィード王国の都から海を挟んで南東の位置にある。間に小さな湾があり、それをぐるりと回り込むように突き出した岬のその端っこである。
その立地から港周辺の貿易が盛んで、他には造船所や部品工場などがある。
そしてそういう都合から、都との行き来は、陸路より海路の方が圧倒的に早い。今日は海も荒れなさそうだったから、遠回りする理由もない。
だから都から、ああして通知が来たのだろう。狼煙を読んでアンゼリカは頷いた。取り敢えず、塔の上にやって来た鳥たちに餌をあげ、下に降りる。
城に戻ってから、アンゼリカは一日の支度を始めた。
朝ご飯は魚のスープとパンとサラダ。特に魚は新鮮なので、適当に味付けしても美味しい。毎日食べ続けても飽きない素朴な味だ。
もぐもぐと口を動かし、手早く食事を終えて片付けながら、
「お父様、今度は何しにくるのでしょう……」
考えつつも手を動かす。そして日が高くなる前に午前の分の内職を終えて、着替えたアンゼリカは畑仕事に繰り出した。城の南側の庭園は、何年も前に畑に改造されていた。
「もおお」
「シトー君、今日もよろしくお願いしますね」
何年も一緒に暮らしている老牛とせっせと作業していると、がさりと音が響く。
「あ。ミーカちゃん、こんにちは」
現れた猪に、アンゼリカは平然と挨拶した。山であるここには、野生動物も結構いる。
ミーカちゃんと呼ばれた猪は、苛々と目を光らせ荒い息を吐き、明らかに不機嫌そうだった。
「どうしたの?ああ、子ども生まれたばかりでしたっけ。そっか、大変ですよね。でも街の皆には迷惑かけちゃ駄目ですよ?」
間延びした声で言いながら、気が立った猪ミーカちゃんを宥める。その後ろから犬がひょっこり顔を出す。その口には薬草をくわえている。
「クララちゃん、どうしたのそんなのくわえて……あ、くれるの?よしよし、お礼にこの切れっ端をあげましょう。そうだ、エレンさんの巣作りも手伝ってあげなきゃ……」
畑仕事をするアンゼリカの元に、動物たちは入れ代わり立ち代わりやって来る。一々手を止めて相手をしている内に、日も高く上がってきた。
昼頃になってまた塔に登り、白い帆の船が見えたのを確認して、タイミングを見計らって港に行く。街を歩いていると、あちこちから声を掛けられた。
「姫様こんにちはー」
「こんにちは。今日も元気で」
「姫様良いですか?ちょっとここの計算が合わなくて」
「ごめんなさい、今はちょっと。また後で」
そこには案の定、大きな船が到着していた。アンゼリカはそれに歩み寄り、ぱたぱたと手を振る。
「何ですか……何か用でしょうか?」
答える声はない。代わりに甲板からそっと顔を突き出した男がいる。この大陸南端の小国ラスフィードの国王であった。アンゼリカは一応、スカートの裾をつまんで挨拶した。
「久しぶりです、お父様」
「アンゼリカか!?アンゼリカだな!?」
「はいアンゼリカです」
だが国王はそれを見ようともせず、すごい勢いで首を巡らせている。
「あの女はいないな!?留守だよな!?本当にいないな!?」
「……お母様でしたら、二ヶ月前に終焉を呼ぶヒグマ殺しとの決戦に行って以来お留守ですが」
「よし!!入れ!!」
縄梯子が落とされる。そして上がった船の中で、アンゼリカは高級茶を出されもてなされた。
この香りは、確かフローラス特産の薔薇茶だ……こんな小洒落たものを持ってくるなんて、どんな風の吹き回しだろうか。
「それで、一体何の御用でしょうか?」
それに手を付けず、アンゼリカはただ脳天気な顔で首を傾げる。一方で国王は、打ち沈んだ沈痛な顔だった。
「アンゼリカ……お前をヴァイスに嫁がせることが決まった」
「…………へ?」
アンゼリカは、ぽかんと口を半開きにした。
「アンゼリカ姫と氷の帝国」南国の少女が北の帝国に嫁がされて、異文化体験したり騒動に巻き込まれたりする話です。
夏が暑くて暑くて辛すぎて、現実逃避しながら考えたネタです。主人公は能天気娘です。
楽しんで下さったらうれしいです!




