5.4つの扉の向こう側
今は神奈川に住まいを構えているが、僕は九州の大分県で高校時代までを過ごした。
父親も母親も大分の生まれで、定年退職するまでは二人とも高校教師をしていた。おかげで僕は友人の親から信頼されやすいというメリットを享受することもできた。一方で少なからず嫌な目を見ることもあった。
特に高校時代は両親を知っている教師ばかりだったから、「あの笹井先生の息子が・・・」というセリフを枕詞にして、ちょっとしたことでよく怒鳴られたものだ。
僕は小学校6年生まで、大分の国東という田舎町の借家に住んでいた。国東は美しいところだった。
一面に広がる黄金色の田園風景、穏やかな風が運ぶ空気の匂い、森の中の泉や緑の木々、秋の紅葉、野鳥のさえずり、路傍の草花、春のレンゲ畑、九州では珍しい降雪、雪景色、緩やかな川の流れ、川沿いに咲く藤の花、胡桃の木。忘れることのできない懐かしい場所だ。
僕はここで、大人になり、仕事に就き、家庭を持つものだと思っていた。
美しい国東の町で人並みな幸せを手に入れ、生きて行くのだとずっと信じていた。だが、そうではなかった。
母の勤める高校が歩いて通える距離であったこと。父の勤める高校が車で15分の近距離にあったこと。その二つが僕ら家族を国東に住まわせていた理由だった。
やがて、僕が中学生になると同時に、僕ら家族は父の実家のある別府へ移り住んだ。
そのときから国東は、どんなに懐かしく求めても決して帰ることのできない場所になってしまった。故郷を失くした喪失感は子供の僕には大きな痛みとなり、その後の生き方にまで影響を与えた。大切なものを再びなくすことが無いよう、用心深く生きるように変わった。
僕は高校生になると母と衝突することが多くなった。そういう年齢だったということもあるし、衝突するためのわかりやすい理由をついに探し当てた、ということもある。
僕の地元名門高校への入学に対して、母は自分の口利きがあったからこそだと信じさせようとしていた。僕は中学時代、十分その高校に合格できるくらいの成績を維持していた。実のところ、僕は故郷の高校以外なら、高校などどこでも良かった。ただ、母が熱心に推薦し、故郷の高校へなど通える距離ではないことも知っていたから、その名門高校とやらを受験したまでのことだ。母は、自分の口利きに対して感謝するよう僕に強要することすらあった。表向きには、それが許せないということにしていた。わかりやすい理由とはこのことだ。
僕は人並み以上のものなど望んではいなかった。多くを望まないささやかな世界で生きていきたかった。自分の大事なものを失くす痛みを、再び経験したくはないからだ。
父は、無口な上に常に冷静で穏やかな人間だった。だが、それはただ何に対しても無関心なだけのようにも思えた。僕の生き方は、実は父によく似ていたのかもしれない。だが、当時の僕にはそのように思えたことはなかったし、誰にも似ていないことが、重要であるような気がしていた。
いつしか、ここに僕の居場所はないと思うようになった。だから、別府から逃げ出すように東京の大学へ進学した。
そうして、僕はここに居る。
気づかれないように、細心に。
悟られないように、用心深く。
気楽さをほんの少しだけでいいから分けてもらえるように。
青いベストの男の尾行を決めて、今日は始発電車に乗り込んだ。
問題は、どの駅で途中下車するかだ。出来れば、これまでに降りていなかった駅が望ましい。自宅や職場とは無関係である可能性が高いからだ。
彼は、今日も青いベストにピンク色のシャツ、整えられた髭といった出で立ちだ。
しかし、あと数週間で12月である。彼の姿はいかにも寒い。寒さを耐えてまで同じ装いを続ける理由は何か。僕はすでに軽めのビジネスコートを羽織っている。こうなると彼のファッションは職場の制服というよりも、何らかのポリシーに裏付けられたものだろうと考えるようになった。
一瞬だけ既視感を覚えた。彼の頑固なまでの装いへのこだわりは、どこか僕の生き方に似てはいないか。僕は彼の姿に自分の生き方を重ね合わせようとしているのではないか。
だが、それは一瞬だけだった。僕はその考えを打ち消した。
電車が停車し4つの扉が開くたびに、車両の中から僕はホームを歩く人を注意深く観察した。
本当は彼と同じ車両に乗れば良いのだろうが、日頃の生活スタイルやリズムを変えることはできなかった。翔太が生まれてから一度も壊したことのないものだったからだ。
生活スタイルやリズムを守ること、それは用心深く生きることにつながる。用心深く生きていれば、これ以上の悲しいことは起きないだろう。ましてや、これから大きく通常とは逸脱する行動を起こそうとしているのだ。
始発駅から数えて7駅目、東桜若宮駅に到着した時、左目の隅に青いベストの男が映った。僕は慌てて座席を立つと電車の外へ出た。
すぐ後ろで空気を吐き出す音がする。
扉が閉まり、風笛の音がゆっくりと和音を重ねていく。
電車が動き出す。
僕は4つの扉の外にいた。電車は僕を置いて徐々にスピードを上げ次の駅へと向かう。僕は、10メートルほど先を歩く青いベストの男を追う。
空はまだ暗い。早朝の駅だ。下車する人間は数えるほどしかいない。
彼はまっすぐに改札を出て行く。僕も迷わず改札を出た。
だが、改札を出た途端、まぶしい光で一瞬何も見えなくなった。
ぼくは目を閉じる。
ゆっくりと開ける。
そして、驚いた。
そこは一面の田園風景だった。
東桜若宮駅周辺は開けた町だ。田園風景などあろうはずもない。
男の姿はどこにもない。
いつの間にか太陽は西に傾きかけている。
コートを着ているのが暑い。
どういうことだ。
何が起こったのかまったくわからないまま、後ろを振り返る。そこには改札どころか駅すらもない。
携帯電話で時刻を見てみる。午前5時30分。
どこかで時を刻む音がする。
後ろを振り返る。
やはり、駅の改札などどこにもない。
かわりに、そこもまた田園地帯だった。田園の向こうは小高い森があって、木々の隙間から学校の校舎のような建物が覗いている。
かすかに海のにおいがする。
僕の右手、東の方角の500メートルほど先は、やはり小高くなってはいるものの田園地帯が途切れ、小さな町を形成している。住宅や商店らしきものが見える。手前には神社の赤い鳥居が見える。
小さな町のさらに奥には松林の先端が見える。そこから先が海なのだろう。
もう一度、携帯電話の時刻を見てみる。変わらず午前5時30分。
止まっている。
また、どこかで時を刻む音がする。
僕は細い農道に立っている。それは森の中の学校らしき建物から伸びる無舗装の道だ。僕は、ここを知っている。
今のこの状況について考えられることは二つだ。
ひとつは青いベストの男に後を追っていたことを覚られ、いきなり殴られた。その結果、意識を無くし、夢を見ている。
もうひとつは、立ちくらみでもして意識を失って、やはり夢を見ている。
しかし、目の前の世界はあまりにリアル過ぎた。
僕の立っている農道は目の前の幅4メートルほどの舗装道路へつながっている。それは田園地帯の中心を東から西へ横切っている道だ。
僕は視線を左手に移す。そこは道路よりほんの少し台地になっていて、平屋建ての小さな家が横2列に10棟ほど並んでいる。
僕はここを知っている。
ここはずっと思い出の中にあって、ずっと帰りたかった場所。国東だ。
そしてあれは僕が住んでいた町営住宅だ。その中の一棟が僕の家だった。
風が吹き抜ける。
海の香りとは別にほんのりと草花の香りを運んでくる。
それはこの上なく懐かしい香りだ。
その町営住宅の奥には石垣を積み重ねた一見城跡のような遺構がある。僕は、そこもなんであるか知っている。僕の通った小学校だ。僕はこの小学校に6年生の冬まで通っていた。
その小学校は、武家屋敷だか城だかを改築して学校にしたものだった。小学校の古い木造建物の隅には、老朽化して危険だという理由で決して出入りすることのできない小さな扉があった。それは海にまで続く秘密の抜け道だということだった。いかにも武家屋敷らしいまことしやかな伝説だったが、おそらく本当のことだったのだろう。
田畑は収穫が終わっており、円筒の小屋の形をした積み藁があちらこちらに見える。と言うことは、季節は9月後半から10月半ば頃なのだろう。
僕はここを知っている。
小川が田畑の間を縫うように流れている。幼い頃、この小川で小鮒を網ですくった。
収穫後の稲の刈り残しや、積み藁が西日を浴びて黄金色に染まる。
風が吹き抜ける。
ほんのりと草花の香りを運んでくる。
それはこの上なく懐かしい香りだ。
町営住宅のこちら側、舗装道路に面する斜面に座っている子供が見える。緑色のセーターを着て、茶色の半ズボンをはいている。
あれは・・・。あれは僕だ。
小学校1年生の僕だ。
ふと後ろを振り返る。
森の中の学校から続く農道を歩いてくる女性の姿が見える。楽しそうに、嬉しそうに、片手を振っている。
あれは母だ。
その瞬間、空間が揺れた気がした。
僕は町営住宅の斜面に座り、母が帰ってくるのを見ていた。どうやら小学1年生の自分と同化してしまったらしい。
思い出した。その頃の僕はいつもここで夕刻が近づくと母の帰りを待っていたのだ。母は教師で森の向こうに見え隠れする高校で教鞭をとっていた。
「今日は学校どうだった?」
近づいてきた母が僕に語りかける。
そうか、母はこんなに優しい顔をしていたのか。
「今日はね。学校にフナを3匹持っていったの。クラスの水槽で飼ってくれるんだって」
「あとね。先生から内緒で教えてもらったんだ。澪ちゃんも僕と結婚するって言ってるんだって!」
母は軽やかに笑った。
そうだ、思い出した。桜木澪は、物腰に上品さをにじませたすらりと背の高い女の子だった。僕とは1年生のときに同じクラスになり、そのとき初めて顔を合わせた。こんな綺麗な顔立ちの人間が世の中にいるのか。たかが8年しか生きていないのに、生意気にもそう思った。
僕は、家に帰ると母や姉に「結婚したい子が見つかった!」、「澪ちゃんと結婚する!」などと舞い上がった様子で力説したらしい。今考えると一人よがりもはなはだしい思い込みなのだが、照れや恥ずかしさをまだ学んでいなかった僕はただ純粋で真剣だった。
母は、そんな話を、懇談会の時に面白おかしく担任の教師にも話した。担任教師もませた子供の世迷言程度に思っていたことだろう。
そんな経緯があり僕が澪と結婚すると言っていることは、クラス中の評判になっていた。
とはいえ、誰かが応援してくれたわけでもない。なぜなら澪は男子の間で絶大な人気があり、一方の僕はといえば給食を食べることが遅いくらいしか目立つところのないさえない子供だったからだ。
「そう。結婚できるといいわねぇ。でもね。そのためにはシュウちゃんがもっと勉強して立派な大人にならないといけないんだよ」
母は教師らしい余計な釘を刺しつつまた笑った。




