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4.4つ扉のこちら側

 彼は変わらず青いベストにピンク色のシャツ、整えられた髭といった出で立ちでよく目立つ。冬がすぐそこに来ている早朝、寒くないのだろうか。

 彼は東桜堀川台(とうおうほりかわだい)駅で下車した次の日、八つ先の深町(ふかまち)駅で電車を降りた。昨日はトイレに行きたくなった。今日は気分が悪くなった。そんな可能性はある。

 だが、彼が出勤時刻も帰宅時刻も気にすることなく、誰に気兼ねするわけでもなく、気の向くままに電車を途中下車しているのだとしたら・・・その生き方が羨ましい。

 僕は翔太が生まれてから、通勤路線を人生や生き方と同義に捉えてきた。

 障がいを背負った翔太。

 通勤路線は彼を中心とした家族を養うための途中下車の許されない道のりなのだ。だから、僕には望めない自由な生き方を持っているかもしれない彼が羨ましい。

 彼は始発駅と終着駅の間を自由に行き来できるに違いない。

 そんな生き方が羨ましい。

 それは僕の勝手な空想だった。だが、次の日は東桜堀川台よりも一つ手前の大原野(おおはらの)駅。昨日は四つ先の稲川台(いながわだい)駅。彼の下車する駅には、まるで規則性がない。

 僕の空想はもはや空想ではなくなった。理由はともかく、おそらく彼は何にも縛られること無く生きている。気分によって下車駅を変え、好き勝手に時間をつぶして過ごしている。

 今日は前々日と同じ大原野駅で下車した。本当のところ、今日は彼を尾行しようと考えていた。彼の自由というよりも気楽にすら見える生き方の秘密を知っておきたかった。

 そもそも定刻の2時間前に出勤しているのだ。時間は十分ある。仮に一時間いつもより遅く出社しようと誰に咎められることもない。

 彼だって決して気楽ではなかったのだと分かったのなら、それはそれで良い。彼を羨ましいとは思わなくなるだけのことだ。

 でもたとえば、コンビニにふらっと立ち寄ってコーヒーを買う。それをどこかの公園で飲む。ぶらっとファミレスに入ってうたた寝する。そんな行動をしていたのなら、彼は思ったとおり、僕には望めない自由を満喫している人間だ。その姿を垣間見させてもらうことで、僕にも少しだけ自由な気分が流れ込んでくるかもしれない。

 そう思っていた。

 ところが、彼が前々日と同じ駅で降りたことから、僕は逡巡した。大原野が彼の職場か自宅の最寄り駅なのかもしれない。だとすれば、そこには僕の求める回答はない。

 そんなことを考えているうちに印象的な短い音楽が響き始めた。

 すぐそばで空気を吐き出す音がする。

 4つの扉が閉まり、風笛の音がゆっくりと和音を重ねていく。

 電車が動き出す。

 今日も4つの扉の中に僕はいる。

 彼のことはまた明日考えればいい。


 電車に揺られながら僕は思い出す。

 8年前。翔太が生まれて数週間は、誕生の喜びなどまるで感じることができなかった。あるのは将来の不安ばかりだった。新しい家族を手に入れたにもかかわらず、なぜか喪失感の方が勝っていた。それは、人並みの幸せをまた失ってしまったという喪失感だ。

 だが僕は、そんな気持ちを心の中に仕舞い込み、決して口には出さないよう心がけた。

 不安は妻の方がずっと大きかったに違いない。なぜなら、家でずっと翔太を見ているのは妻なのだ。翔太が 他の健常な子供とは違っていることを嫌でも意識しながら毎日を過ごしているのだ。

 だから、妻の精神状態が常に気になっていた。僕が医師からの告知を急いだばかりに妻の気持ちの整理が追いつかないままなのではないか。有り得ないとは思うが、突然、育児放棄をしてしまうのではないか。

 出社しても、悪い方向にばかり考えが傾いてしかたがなかった。会社に行くのも苦しかった。

 僕だけが会社にいて良いのか。落ち着かない気持ちだった。

 同じ部署の人間は、そんな雰囲気を察してか、僕に声をかけることを遠慮していたように思う。

 ある日、会社から出産祝い金として5万円が支給された。

 そうなのだ、会社も祝い金を出すほど翔太の誕生は本来喜ばしいことなのだ。・・・本来であれば。

 そんな時、営業社員が利用する新システムについての打ち合わせがあった。こんな時の打ち合わせに、はたして身が入るだろうか、頭の中は翔太と妻のことでいっぱいなのだから。

 そう考えながら、打ち合わせルームへ向かう通路を歩いていた。

リノリウムの床が複数の靴音を響かせる。その靴音さえ、翔太が生まれる前とではどこか違った音に聞こえる。僕の靴音だけが不安を隠した孤独な音だ。

 そのとき、後ろから小さく声をかけられた。

「あの、笹井さん。お子様のお誕生おめでとうございます」

 それは、八神(やがみ)という当時20代前半の若い女性社員だった。

 彼女は小柄ではあるが、体形はバランスが取れている。一見ハーフかと思えるほどに目鼻立ちのはっきりとした容貌。社内で人気が高いというのも頷ける。

 だが、彼女は見た目だけの女性ではない。

 情報システム部にとって、社内システムを作る上で欠かせないのが女性社員の意見だ。外回りの多い男性社員よりも社内に留まっている女性社員の方が、システムを使う頻度が高いからだ。

 つまりヘビーユーザーとでも言うべき存在が、彼女たち女性社員なのである。そんな中でも八神は僕ら情報システム部の人間からは特に一目置かれていた。

 社内システムは現状の事務の流れを理解した上で作らないと、まったく使えない代物になってしまうことがある。その点で女性社員の事務に即した意見はシステムを構築する上でとても貴重であり、もっとも信頼のおけるものでもある。

 ところが、現状の事務の流れに固執しすぎると、今度は業務変革が期待出来ないことにもなりかねない。

慣れた事務処理の延長線上にあるものであれば歓迎する。だが、新しい変化を伴うものは拒否する。それが、事務に従事する社員であれば普通の反応だ。

 だが、八神は違っていた。組織としての業務稼働率向上のためであれば、システムや事務のダイナミックな刷新もいとわない。会社全体を俯瞰した冷静な意見を常に提出する。

 だからと言って八神は今のシステムの不出来を決して責めることもない。製作側への気遣いを忘れず、嫌味にならないように前向きな意見を述べるのだ。

 会社に有益な提案は、たとえ自分たちの慣れ親しんだ事務が大きく変わろうとも採用すべき、というバランス感覚と判断力。これこそが彼女の最大の魅力だと僕は考えていた。

 そして、システム設計に必要なので、あれこれの事務処理情報を集めて欲しいと雑務をお願いしても、いやな顔ひとつせず丁寧に対応してくれる。このようなひたむきさも、裏表のない八神の性格を表している。

 僕にとって八神は年も若く部署も違うが、仕事上もっとも信頼のおける人間の一人でもあった。

「えっ?」

 僕は目を泳がせつつ、思わず八神の言葉を聞き返してしまった。

 翔太の誕生を単純に喜べない気持ち。翔太を大空へ連れて行くという半ば滑稽で悲壮な決意。それらが僕の心の奥深くにはあった。

 だから八神のストレートな祝福の言葉に戸惑ってしまったのだ。

「会社の電子掲示板に出ていましたよ。おめでとうございます」

 八神は軽く微笑みながら繰り返して言う。

 当然、会社の電子掲示板では、生まれた子供がどういった状態かまでは載せられていない。だから八神は僕の苦悩を知るはずがない。

 だが、その屈託のない八神の表情に僕はなぜか深い安堵と勇気を覚えた。僕は八神の祝いの言葉を受け、感謝を表すため精一杯微笑みながら会釈した。

 そうだとも、翔太の誕生はおめでたいことなんだ。何で、こんな当たり前のことを僕は心の片隅に追いやっていたのだろう。

 障がいのある子供を授かった家族は、こういった小さな出来事を経験して徐々に現実を受け入れ、誕生の喜びへと転化していく。いや、誕生の喜びへ転化するという表現は誤りだ。むしろ、より良い将来を見出すための義務感に目覚めると言ったほうが適切かもしれない。

 僕にとっては、八神の言葉がその最初のきっかけとなった。

 幸い小さな会社とはいえ、中にはダウン症の子供を持つ先輩社員もいた。僕はそういった先輩社員から話を聞いて、育て方や、健康維持、良い病院や療育センターなどの情報を集め始めた。帰宅後はインターネットでも情報を収集した。

 そして集まった情報の中で、特に明るい将来を示す話だけを選択して妻に話した。

 彼女が、少しでも平穏な日常を過ごせるように。

 僕は、手当たり次第に療育センターや病院に連絡して、いくつかの目星をつけた。出来るだけ早く翔太のために動き出すことが、僕と妻の精神安定のためにも必要だった。

 そして何よりも翔太の今と未来を理解したかった。

「知っていますか?海外では弁護士になったダウン症者もいます。日本でも大学進学したり、自動車の運転免許を取ったりするダウン症の方だっているんですよ。おそらく日本で初めて大学進学した鹿児島の女性は図書館司書をされているはずです。ダウン症児の可能性は健常児と同じように無限なのです。必ず支援しますから、翔太君の才能を見出し伸ばすことを考えましょう」

 これは、神田にある『ダウン症クリニック』の水野(みずの)院長の言葉だ。

 小さな印刷工場や製紙会社の並ぶ路地の一角にそのクリニックはあった。ここには翔太が生まれて2ヵ月後に初めて訪れた。

 大きな病院を想像していたのだが、マンションの一室を使ったつつましやかな診療所だった。逆にそのことが僕を安心させた。変に営利主義に走られていても困るからだ。

 『ダウン症クリニック』の水野院長は白髪まじりの子供のような目をした60歳程度の大柄な医師で、とにかくよくしゃべった。

 「ダウン症児は、健常児と比べて自主的に刺激を求めることが苦手です。ですから、常に話しかける。オモチャで一緒に遊ぶなど、健常児であればほっておいても勝手にやり始めることを、ご両親が協力して行なってください。早ければ早いほうがよいのです。早期療育がその後の発達に良い影響を与えるという研究結果もあります」

「また、ダウン症児は乳幼児のうちは体を動かすことも苦手です。まずは自分の手や足が自分の意思とつながっていることを認識させてあげてください。そのためには、足や手のマッサージも効果的です。その際には必ず、これは手だよ、これは足だよ、といって声をかけてあげてください」

「翔太君は幸い体の反応が良いようです。ほら、わき腹をつついてみなさい。くすぐったそうに体をくねらせるでしょう?こういった刺激から体の使い方を勉強させるのです」

「いいですか。翔太君だっていずれ大人になるのです。ご両親だけが彼と関わるわけではないのです。必ず翔太君に愛情を注ぐ人がご両親以外にも出てきます。いつかは翔太君も恋をして、結婚したいなんて言い出す事だってあるかもしれません。そのときはみんなで支援して夢をかなえさせましょう。彼らの可能性は無限です。健常者と違うことは何もないのです。ダウン症児のいろんな特徴はあくまで個性のひとつと考えておいた方が良いでしょう」

 水野院長はダウン症児の可能性と療育のコツを機関銃のように話まくった。おそらく、初めての訪問者には同じことを言うのだろう。

 まずは、希望を垣間見せることでダウン症児を持つ家族の不安を軽減させるのだ。確かにこれは、僕ら夫婦に対しても有効だった。心の底に澱のように溜った不安感や孤独感が、ずいぶんと軽くなったような気がした。

 察するに『ダウン症クリニック』は、ダウン症児についての療育アドバイスや両親へのカウンセリングに力点を置いた医療機関なのだろう。

 「ダウン症児はみな純粋です。健常なお子さんよりもずっと純粋に見えます。彼らを天使のようだと呼ぶ親御さんの気持ちも、多くのダウン症児を見てきた私には深く理解できます。翔太君が、笹井さんご夫婦の元に生まれてきたことにもおそらく理由があるのですよ」

 最後に水野院長は医師らしからぬ言葉で締めた。

 翔太は僕の腕に抱かれて静かに寝ていた。

 翔太の横顔は、聖人のように穏やかだった。

 僕たち夫婦の苦悩。

 水野院長が示した小さな光。

 それらすべてを理解しているかのように、翔太の横顔は穏やかだった。

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