12.手に入れたもの
「どう思います?」
神田の『ダウン症クリニック』へは、翔太が生まれてから今に至るまで、半年に一度は足を運んでいる。水野院長も最初に会ったときよりずいぶん老けた。翔太が8歳になったのだから、当然だろう。
『ダウン症クリニック』は、特にダウン症についての治療を行なうわけではない。最初の印象どおり、ダウン症児を持つ親へのカウンセリングと、ダウン症児の育て方についてアドバイスをしてくれるところだ。
今のところダウン症そのものを無くす治療法や薬などないのだ。だが、もし治療薬が出来たとしたら、果たしてそれは喜ばしいことなのだろうか。翔太が翔太ではなくなってしまうのではないだろうか。
そんなふうに考えるようになったのは、水野院長の言葉に感銘を受けたせいかもしれない。
「ダウン症は病気じゃありません。個性だと考えてください。」
水野院長はいつもそう言っていた。
一面では確かにそのとおりだ。ダウン症を引き起こす染色体異常が翔太の今を作り出していて、僕はそれを愛すべきものとして受け入れている。
他方では、翔太の将来に大きな不安を抱えてもいる。翔太は8歳になった今でも自分でトイレに行くことができない。いまだにオムツが取れていない。
とは言え、まだオムツを穿いてくれているのなら良いほうだ。翔太は自宅ではなぜか衣類を身に着けることを嫌がる。いつのまにか、裸になっている。
「あぁー!」やっちゃったというような声を出して、指差す先には翔太の大便が転がっているなんてことも珍しくはない。
それが、下痢の日だったりするともう大変だ。一日中、翔太の排泄物を片付けることになる。僕や秀人が居ないときは、妻が一人でその仕事を行なわなければならない。
そんな時、妻はどんな顔をしているのだろうか。翔太の将来を憂い、ひどく悲しい顔をしているのではないか。それを思うと心が軋むのだ。
僕と妻がこの世からいなくなったとき、翔太はどうなるのだろう。長男の秀人が世話をするのだろうか。
おそらく、秀人はそうするだろう。だが、秀人の人生にとってそれは負担となりうるものだ。その上、彼にだって遺伝的な問題を抱えているかもしれない不安が潜んでいるのだ。
秀人には人並みの幸せを掴んで欲しい。だから、翔太の今だけを見ていてはダメなのだ。
そう考え始めると、言い知れぬ闇の中へ心が沈んでいく。
翔太が翼を広げ羽ばたく日が来るのだろうか。
「どう思います?」
ふたたび、聞いているのかという詰問調の声が聞こえる。これは同じダウン症の息子を持つ香山清美の言葉だ。
今日は翔太を連れて、新横浜の『歩み』へ来ている。
『歩み』は、自閉症やダウン症などの障がいを抱えた子供に、社会生活を行う上で必須となる行動を身に付けさせることを目的としたトレーニング施設だ。トイレの仕方、事物の識別、文字の読み書き、意思伝達の方法など、トレーニング項目は多岐にわたる。
翔太は月に2度、そこへ通っている。
きっかけは、香山清美の紹介だった。
彼女とは、水野院長の『ダウン症クリニック』で何度か顔を合わせるうちに親しくなり、家族ぐるみで親交がある。
専門指導員が子供の年齢や発達度合いに応じたトレーニングを、マンツーマンで行なってくれること。他の同様に施設とは異なり、2時間という長い時間枠であったこと。子供がその時点で苦手とする行動を見極め、家庭でも行なえるトレーニング方法を親にもアドバイスしてくれること。その3点が気に入り、すぐに申し込みを決めた。
妻をたまには育児から解放させるため、『歩み』へ翔太を連れて行く係は僕が引き受けていた。
トレーニングは正味一時間半で、残りの30分は家族への報告時間に充てられる。なので、最初の1時間半は施設内か別の場所で待機しておくことになる。
特に香山とは『歩み』へ通う日程を合わせているわけではない。
だが、今日のように、たまたま重なった場合には喫茶店で議論するのが習慣になっていた。
今日の議題は出生前診断の是非だ。
「難しい問題だと思います。やはり、家族の抱える負担は軽視できるものではありませんし・・・」
「だからといって、命を峻別するようなことをして良いのかしら?」
「そうですね。私も翔太がダウン症だと分かったときにはショックでしたが、今はかわいくて仕方がないですからね」
「そうでしょう?」
「それに、育児を今までとはまったく違った目で見るようになりましたね。楽しいと感じるようになりました」
「そうそう、健常な子と違って手がかかる分、発達度合いが目に見えるというか、次に何が出来るようになるのかが楽しみなのよね」
「ですね。正直、つらい気分になることもありますが、必死な分、育児の楽しさが実感できるというのには同意です」
「あたしは、出生前診断には倫理的な面のほかにも問題があると思うんです」
「それはどのような?」
「薬品開発も医療技術の進歩も、行き着くところは収益あってのものですよね。ダウン症児が生まれなくなったら、薬も医療も必要がなくなるじゃないですか。お金にならない研究は誰もしないと思うんです」
香山の言いたいことはよくわかった。
だから、ダウン症治療薬の研究など積極的には行わなくなる。そうすると、今を生きるダウン症者は、医学的には置き去りにされる可能性が高い。
僕もそう思う。
「では、出生前診断の是非は一旦切り上げましょう」、「私達にとっては、ダウン症の治療薬の方が重要ですしね」、「で、もしダウン症を根本から治すことのできる薬が発明されたとします。そうしたら使いますか?」
これは、僕自身への問いかけでもあった。
たとえば生まれたばかりなら良い。
まだ、子供の人格も形成されていないだろうし、親だって子供の個性に愛着を持つ以前の話なのだから。
だが、何年も子供と過ごした後で、治療薬ができましたからといってすぐに使うことができるか。
そこにジレンマがある。健常になっては欲しいが、自分の子供が自分の子供ではなくなってしまうかもしれないというジレンマだ。これは子供を失うことを意味するのではないか。
おそらく香山清美もそう考えたに違いない。返答に窮する彼女の表情がそれを物語っていた。
そこで僕は、出来るか出来ないか先の見えない治療薬の話の代わりに、自分の未完成の着想を香山清美に打ち明けてみた。
「実は、少し考えていることがありまして」
「どんな?」
「いえね。ダウン症のお子さんとそのご家族は日本だけでも大変多くいらっしゃるわけです」
「ダウン症者だけで、三万人とも四万人とも言われていますね」
「はい。でも、彼らが1人立ちできる場所はさほど与えられていません」
「つまりダウン症者やその家族のための職場を作りたいということですか?」
「そうです。今はまだ具体化できていませんが、ひとつのモデルとして、新古書店や古着店があります。たとえば、本や古着の陳列や清掃等でしたらダウン症の方にだってできるでしょうし、むしろ得意分野かもしれません。慣れればもっと高度な事だって出来るようになる。仕入れは当然買取が主になるでしょうが、ダウン症者のご家族や一般の方からの寄贈も受けつけます。それをどこよりも安価で売るのです」
「そして全国に支店を作りたいと?」
「そうすれば、かなりの数のダウン症者への職場を提供できます。当然会社としての体裁を整えなければなりませんし、利益も出さなければ話になりません。が、まずは何よりも、彼ら彼女らが働く喜びを得られる場を提供したいと思っています。経理的な仕事や経営等はご家族がやればよいのです。そうすれば、常に自分のお子さんを目の届くところに置いて働くことが出来る。理想的な職場になります」
「う~ん・・・。最近はインターネットでの店舗展開とか、電子書籍に押されて大手でも店舗整理とか統合が急速に進んでいますよね。それを考えると実店舗を持つか持たないかといった検討も必要ですし、そんなにうまくいくでしょうか?」
「いかないでしょうね。でも古着も紙の本の需要もなくなることはないと思います。ともかく動かないことには何も変わらないと思いますよ」
他にも、全国の放課後等デイサービスに協力してもらって、店舗までいかなくてもそこに注文した本や古着を取りに行けるサービスを提供する。などの、思いつきを次から次へと口にしてみた。
「確かにダウン症者とその家族が二人三脚でやっていけるのでしたら、それは嬉しいことですね」
「そう。私は翔太には、いえ翔太以外のダウン症を持ったお子さんすべてには健常者と同じように翼があると思っています。ただ、羽ばたくのが苦手なだけなんです。彼らの翼に私の翼を重ねて少しだけ飛び立つ手助けをしてあげたい。私は翔太たちが生き生きと働ける未来を作りたいんですよ」
「そうですね。うちの子が大人になって・・・」
彼女は声を詰まらせる。言葉が一瞬途切れる。そして落ちそうな涙を堪えるように顔を少しだけ上へ向けて、香山清美は子を持つ親の顔で続ける。
「大人になって・・・、生き生きと働いている姿。そんな未来があるんでしたら、あたしも見てみたいです」
僕の考えは、今のところ調査データも何もない曖昧なアイディアにすぎなかった。だが、それでも少しばかりの希望をその中に見出して、香山清美は声を震わせた。
希望は将来へ顔を向けるための勇気を生み出す。
過去を見ながら歩いている僕でも、誰かにほんの少しだけだが勇気を与えることができる。そのことに、ふと違和感を覚えた。
勇気を与えて欲しいのは、いつも自分だと考えていた。
だが、そう言えば。
僕は忘れていたことがあることを思い出した。
それは、翔太が幼稚園へ通うことになった日のことだ。翔太は兄の秀人と同じ幼稚園へ通った。
普段は『幼児庭』と呼んでいたが、正式名称は『あすなろ幼児の庭』と言う。ご夫婦二人で運営する小さな幼稚園で、それ以上は自分たちの目が行き届かないからという理由で、園児は常に10人程度。少人数主義の幼稚園だった。
『幼児庭』の特徴は、野山の散策や川遊びなどを通して、子供たちが自然と触れ合うことを主眼に置いていたことだ。野花や小さな虫たちを慈しみ、命の大事さを教えることで子供の頃にしか養えない情操観念を育てることを目標としていた。僕たち夫婦はその考え方に共鳴して、長男の秀人を通わせることにしたのだ。
『幼児庭』では本業の幼児教育のほか、就学した子供たちのために水曜日と土曜日にアウトドアスクールを併設していた。秀人も『幼児庭』卒園と同時に、アウトドアスクールに通わせていた。
アウトドアスクールは、夏場はカヌー競争、冬場はマウンテンバイクレース、季節の折々にはキャンプやバーベキューといった行事が頻繁に行なわれ、原則として親も参加する。
必然的に親と子の絆は強くなり、子供たちを通して家族間の絆も生まれる。だから、誰もが『幼児庭』の子供であれば、自分の子供と同じように心配し、説教し、何かに頑張る姿に応援し、感動し、涙した。
そのような場所を与えてくれた『幼児庭』に、僕たち夫婦は深く感謝していた。
そうして翔太が4歳になり、どこの幼稚園に通わせるか、真剣に悩み始めた頃、園長から、「笹井さんちょっと」と声をかけられた。
『幼児庭』とは秀人の幼稚園、アウトドアスクールへの参加等からすでに長い付き合いになっており、園長夫妻とも懇意の仲ではあった。
しかし、翔太の幼稚園をどこにするか・・・、それは別の問題だった。本心では『幼児庭』へ通わせたかった。だが、障がいのある翔太をお願いすることを、恩義ある園長夫妻には少々言い出しにくかったのも事実である。
障がい児を預かることは『幼児庭』の活動内容から見ても、かなりの負担を園長夫妻に背負わせるだろう。また、少人数制の『幼児庭』に障がい児がいるということは、心無い人によっては差別の対象ともなりえる。悲しいことだが、新規の入園児募集の妨げになる可能性すらあるのだ。
園長に呼ばれ、僕と妻は園長室へ向かう。そこには園長だけでなく園長の奥さんもおり、まっすぐに僕たち夫婦を見つめていた。
園長はいつもにこやかな顔を、一層にこやかにして言った。
「翔太君のことですが、もう通わせる幼稚園は決めていますか?」
「いいえ、まだなんです」
僕たち夫婦は正直に答えた。
翔太をうまく受け入れてくれる幼稚園を探すのは難しく、どこでも良いというわけではない。悩んでいるうちに時間だけが過ぎて行ったと言うのが実情だった。
「今では幼児庭やアウトドアスクールの子供とご家族、みんなが翔太君を大好きなんです」
「はい」
秀人のアウトドアスクールの行事には、当然、翔太も連れて参加していた。だから、園長夫妻だけでなく『幼児庭』に子供を通わせる家族はみんな、翔太の成長を生まれた時から見守ってくれていた。
健常児よりもずいぶん遅れて歩き始めた翔太を見て、園長夫妻を含め多くの家族が心から喜んでくれた。中には涙ぐんでくれる家族も居た。
「笹井さん。我々にはハンディキャップを持ったお子さんを預かった経験はありません。ですから、専門的な療育は出来ないかもしれません。しかし、我々は翔太君を普通のお子さんとして育てるべきと思います」
園長は穏やかな口調で言った。
「もちろん、いろんな手助けが必要かもしれません。私は先ほどハンディキャップという言葉を使いましたが、実はそうは思っていません。それは翔太君の個性なのです。泳ぎの苦手な人がいるのと同じで、苦手ならば手助けしてあげる、それだけです。」
「はい。翔太の主治医の先生からもそう言われたことがあります」
これは、『ダウン症クリニック』の水野院長のことだ。
「翔太君は私に勇気を与えてくれます。翔太君が一生懸命何かをやり遂げようとする姿は感動的です。それは、一緒に過ごす子供たちや、その家族にも共有できる気持ちだと思います。そして何より、みんなが翔太君を大好きなのです」
僕も妻も黙っていた。園長の心配りが嬉しくて言葉が出なかったのだ。
そして同時に、
― ご両親だけが彼と関わるわけではないのです。必ず翔太君に愛情を注ぐ人がご両親以外にも出てきます ―
僕は水野院長の言葉を思い出していた。
園長は続けてきっぱりと言った。
「もし、まだ翔太君の幼稚園がお決まりになっていないのなら、そして笹井さんご夫妻に他のお考えがないのでしたら、うちに通わせませんか?」
願ってもない申し出だった。園長が、翔太のことを気にかけていてくれたことが嬉しかった。
「本来であれば、こちらからお願いするのが筋だったのですが・・・、ただ、先生方のご負担になるのではないかと、それが気になっていました」
「ははは。そんなことを気にされていたのですか?私たちは幼児教育のプロですよ」
園長は大げさに胸を張って、僕たちの危惧を笑い飛ばした。
「負担になるようなことは何もありません。翔太君は十分やって行けます。プロの目でそう判断したからこそ提案しているんです」
「しかし、翔太の存在が『幼児庭』へ入園を希望する人への妨げになるのではないかと」
「そんな人たちはこちらから願い下げです。笹井さん、一緒に翔太君と成長していきましょう」
断る理由など何もなかった。僕は一も二もなく答えた。
「はい。ぜひ、お願いします」
そのとき、園長の奥さんがいつもどおりのくだけた調子で言葉をはさんだ。
「いやだわ。遠慮してたの?」、「私だって翔太を離したくないの。いやだって言われてもうちで預かるわよ」、「だって、翔太って私になついているじゃない?」
僕と妻は泣きながら笑った。人と人とのつながりは捨てたものじゃない。
翔太の未来の扉がひとつ開いた。
それは、僕たち家族の未来の扉でもあったはずだ。
翔太は精一杯生きることで、人に勇気を与えていた。
香山清美との会話で僕はそのことを思い出した。
そうだ。翔太は日々、純粋に精一杯生きている。そんな翔太とともに前を向いて歩くことで、僕にも誰かに勇気を与えることが出来るのではないか。
いや、実際に香山清美はそんな僕の言葉に、勇気を感じてくれたのだ。
「で、もしダウン症を根本から治すことのできる薬が発明されたとします。そうしたら使いますか?」
あらためて、香山清美へ問いかけてみた。
しばらく考え込む素振りを見せたあと、彼女は苦笑しながら答えた。
「難しい問題だと思います・・・」
そうして続けた。
「使わないかもしれないですね」




