第2話「時間の生まれた日」
この物語は、「時間って、ほんとうは何だろう?」という、とても大きな問いを、小さな子どもの目線で描いています。
時計が進むことと、時間が進むことは、本当に同じなのでしょうか。
「昨日」と「今日」のあいだにある見えない線
それを見つけるのは、大人よりも、子どもたちなのかもしれません。
このお話が、あなたの中の“いま”を、そっと照らしますように。
ある春の午後、アスは黒板をぼんやり見ながら、ぽつりと口にした。
「ねえ、タケル。となりの市に、“時間が止まった町”があるって知ってる?」
放課後の教室。もう誰もいない静けさの中で、その言葉は黒板の前を漂うチョークの粉みたいに、ふわりと空気に混じった。
「時間が止まった?」
タケルは机にランドセルを置いたまま、聞き返した。
アスはうなずいて、窓の外を見た。
「信号も、人の動きも、全部、遅れてる。でも、そこに住んでる人は、誰も気づいてないんだってさ」
「それって……こわくない?」
「うん。ぼくはちょっと、行ってみたいけど」
アスの声は、なぜかいつもよりずっと遠くに聞こえた。
「……たぶんそこ、“時間”がまだちゃんと生まれてないんだよ」
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週末の昼すぎ。
タケルは兄の車に乗っていた。助手席にアス、後ろの席にタケル。
高速道路のガードレールの向こうに、田んぼと鉄塔と風が流れていく。
アスは、何も言わずに窓を開けて、手を外に出していた。
指の先で、風をさぐっているようだった。
タケルはスナック菓子の袋を抱えたまま、その様子をじっと見ていた。
「なにしてんの」
タケルがぽつりと言った。
アスは、何も答えなかった。
ただ手を出したまま、指をふるわせて、風の形をなぞっていた。
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その町には、古い時計台と小さな商店街があった。
人は歩いているけれど、どこかゆっくりで、表情がうすい。
まるで、録画を少しだけ巻き戻した映像の中にいるみたいだった。
「……なんか、音が静かすぎない?」
タケルが小声で言った。
「空気が、ぬるい。風も止まってる」
兄がうなずいた。
公園に入ると、古いブランコが、誰も乗っていないのにゆっくり揺れていた。
そのすぐそば、ベンチに少女がひとり、すわっていた。
「こんにちは」
小さな声で、少女は言った。
薄手の浴衣を着ていて、手には鈴のついた巾着袋を持っていた。
しゃん……しゃん……と、かすかに鈴の音が鳴る。
「……あれ?」
タケルは立ち止まった。
どこかで見た気がする。……いや、知っている。
名前も、声も、思い出せないけれど。
確かに一度、ちゃんと会っている。
少女は、ぽつりとつぶやいた。
「この町ね……ずっと、時間が進まないの。朝も夜も、ただ繰り返すだけ。夢の中みたい」
しゃん……
「こわくはないの。ただ……ちょっと、さみしいだけ」
兄は、やわらかく言った。
「君の“こころ”が、時計を止めてるのかもしれないね」
少女は、アスを見つめて、そしてタケルの方を見た。
タケルは、その浴衣と巾着袋を見て、ふと気づく。
――この音を、知ってる。
去年の夏、夜店の灯りの中で、
どこかで聞いた、しゃん……という鈴の音。
同じ巾着。
同じ歩き方。
でも……あの子は、もうこの町にはいないはずだった。
少女は、小さく笑った。
「じゃあ……わたし、あの夏から止まってたのかも」
そう言って、風にまぎれて、音といっしょに消えていった。
しゃん……
帰りの車。夕焼けの道。アスはまた、黙って窓から手を出し風に触れてた。
その横顔を見ながら、タケルはノートを開いた。
《うちゅうかんさつノート2》
時間は、“気づいたとき”に、生まれる。
そのページのすみに、小さな文字があった。
「“過去”も“未来”も、心の中にある。いちばんたいせつなのは、“いま”を観ること」
しゃん……
耳の奥で、あの鈴の音が、まだ鳴っている気がした。
時間が止まった町”にいた浴衣の少女は、もしかしたら、誰かの心に取り残された「思い出」そのものだったのかもしれません。
過去は過ぎていくものではなく、いま、思い出すときに、また生まれなおす。
アスの風を触る姿、タケルの不安なまなざし、少女の鈴の音。
それらすべてが、「観測すること」の意味を、
小さな形で教えてくれます。
次回、第3話「死んだら、どこへ行く?」では、
“いのち”の境界に、もう一歩だけ近づいてみます。