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王太子との過ごし方

「マフィージ王国ブレーセン公爵家長女シルフィアでございます。この度はご拝謁の機会を賜り感謝申し上げます」

 謁見の間に通されたシルフィアは、勉強したクレメンタール王国での最上の礼の姿勢を取った。左足を少し下げ、腰を落としてドレスのスカート部分を右手で少しつまんで持ち上げ、左手を左胸に当てて頭を下げる。マフィージ王国ではスカートを両手で持つのが違う点だ。何度も本で見た角度を練習したかいがあり、緊張しながらもスムーズにできた。

「シルフィア。面を上げよ。気楽にするとよい」

 クレメンタール国王の低い声が聞こえる。シルフィアはゆっくり真っ直ぐに立ち顔を上げた。ふとサイレスに似ていると思い、少し肩の力が抜ける。

「よく来られましたね。今日の晩餐は一緒にいただきましょう。疲れてるでしょうけど折角だから早くお話したいの。大丈夫かしら?」

 サイレスの母である王妃は優し気だ。

「是非よろしくお願いいたします」

「ふふ。美しいお嬢さんね。声も澄んでいて可愛らしいし」

「母上、そうでしょう?シルフィアは美しいだけではなく、芯が通っているのです」

「お兄様ったら。また惚気て。私はフローラ。第二王女よ。シルフィア姉様と呼んでも良い?」

 サイレスと同じ赤い髪の美少女がにこにこと近づいて来てシルフィアの手を握る。

「光栄でございます。フローラ様。何なりとお呼びください」

「まあ、お兄様の言う通りこの堅さを取るのは大変そうね。でもたくさん一緒にお出かけしたりしたら仲良くなれるわよね?」

 フローラの目はキラキラとしている。

「とんでもない。こちらこそよろしくお願いいたします」

「ふふ。今はこれで良いわ。リーロット!」

 フローラが振り返り、玉座の下に立っていた人々の中にいた人物に呼びかける。それはサイレスの従妹と聞いている女性の名だった。金色に輝く髪に緑の目。王妃と同じだ。

「ジンジャール侯爵家長女リーロットでございます。シルフィア様。お会い出来て光栄です」

「リーロット様。お待ちください」

 リーロットが最上の礼をしてくるのを慌ててシルフィアは止めた。最上の礼は王族に向かってするもの。まだ婚約者でしかないシルフィアにこれをされては困るのだ。

「私はまだ婚約者でしかありません。過分でございます」

「まあ!思慮深い方ですわ。婚約者と言っても、サイレス兄様はもう妃だと思っているから良いと思うのですけど?」

「いえ、どうかお許しください」

 再度シルフィアが断るとフローラが笑い出した。

「リーロットったら。シルフィア姉様が困っているわ。早く仲良くなりたいって言うから呼んだのに、これじゃ中々二人の距離が縮まらないわよ。リーロットも力を抜いたら?お互いこれだといつまでたっても仲良くなんてなれないわ」

「そうねえ・・・・・。シルフィア、よろしくね」

 笑みを浮かべてシルフィアの手を握ったリーロットにシルフィアも笑いかける。

「はい。よろしくお願いいたします。お会い出来て光栄です」

「リーロットって呼んでね。早速だけど明日お茶会を我が家でするから、是非来て欲しいの」

「喜んで。楽しみにしております」

「私も行くから一緒の馬車で行こうね」

 フローラが嬉しそうに笑いかけてくれる。

「陛下の前だし今はそれで良いけど、明日はもっと砕けて話してね。私たち三人だけだし」

「かしこまりました。ありがとうございます」

 そう言ってシルフィアも笑みを浮かべる。さすがにこの場で砕けた口調で話すには無理がある。それを察してくれたリーロットに感謝した。

「ちょっと待て。オレはそんな話は聞いていないぞ。明日はシルフィアと過ごそうと思っていたのに」

 サイレスが割って入って来た。

「お兄様は公務があるんじゃなくって?それにお兄様は既にシルフィア姉様と仲良しなんでしょ?私たちはこれからなの。譲ってちょうだい!」

「フローラ。それはないだろ?やっと久しぶりに会えたんだぞ?」

「これから一緒にいられるじゃない。とにかく明日は私たちが優先よ!」

「いい年をして二人とも喧嘩をしないの」

 困った顔をした王妃が二人を止めに入って来た。

「サイレスは後回し。明日はリーロットとフローラ。明後日は私。良いわね?」

「母上まで!」

「大人気ない。王太子として自覚のある発言をなさい。それに、シルフィアに早く我が国に馴染んでもらうには、あなたとばかりいるより私たちといた方が早いわ」

 のんびりとした口調だが否と言える雰囲気ではない。

「はあ。わかりました。シルフィアをお願いします」

「わかれば良いの。明後日は宮で私とお茶会をしましょうね」

 王妃はほっそりとした長身の美女で、見ているだけでうっとりしそうになる。迫力のある容姿に圧倒され、気づけば頷いていた。

「はい。喜んで。よろしくお願いいたします」

「ありがとう。さあ、シルフィアにここにいる者たちの紹介をしましょうね。ロベリオよろしくね」

「かしこまりました。王妃殿下」

 すっとロベリオが一歩前に出る。

「こちらの方がジンジャール侯爵です。王妃殿下の弟君で、リーロット嬢のお父様です。そして続いて、

ゴーガン公爵家当主。私の父です。

 迎えにあがりましたサイレス殿下専属近衛騎士のトール。最後がシルフィア様の専属侍女のルーラです」

 ロベリオの言葉で全員がお辞儀をしてくるのにシルフィアはお辞儀を返す。

「シルフィアでございます。よろしくお願い申し上げます」

「他の者はおいおい知って行けばよい。たくさんいると疲れると思って最低限の人数にした。さて、疲れたであろう?とりあえず散会しよう。シルフィアには王城の貴賓室を用意したから結婚するまではそこで過ごすと良い。

 サイレスが王太子宮に部屋を準備すると言い出すから止めたんだよ。結婚するまでは控えるようにとな」

 そう言って国王はカカと笑う。その豪快な笑い方は頼もしく、またサイレスの未来の姿に思え、心が温かくなった。

「サイレス、案内してあげてね。間違っても王太子宮に連れて行ってはダメよ」

「父上も母上も一体何だと思っているんだ。オレだって自重できるって」

「あら。だってサイレスは毎日のようにシルフィアのことをトールたちに話していたんでしょ?うんざりするって言っていたわ。そんなあなたがシルフィアを目の前にしたらねえ。

 お願いだから結婚式まで大人しくしていなさい。じゃないと約束を守ってあげないわよ」

「母上。オレは常に大人しいですよ」

「どの口が言うのかしら?親の顔が見てみたいわ」

「ロベリオ。鏡を持って来い」

「もう、本当に小憎らしい。お母様お母様と後ろをついて来ていた仔リスはどこに行ったのかしら?」

「子どもは成長するものです。いつまでも仔リスと言わないでください」

「成長してもついて来て良いのよ?」

「気持ち悪いことを言わないでくださいよ」

「酷いわ。男の子って可愛くないわね。シルフィア。この子の代わりに私と一緒にお買い物をしましょう」

 ほのぼのとした親子の会話に、シルフィアがクスリと笑うと王妃がシルフィアを見た。

「失礼いたしました」

「あら良いのよ。気にしないで。いつもこんな感じなの。シルフィアも早く慣れてね」

「かしこまりました」

 ここでパンパンと手を叩く音がした。

「そこまでだ。シルフィアが休めないだろ?ルーラ。シルフィアを案内してサイレスと引き離せ」

「父上まで!折角午後から休めるように、昨日は夜中まで仕事をしたんだよ、オレは。さあ、シルフィア行こう」

 夜中までとは、シルフィアの為に時間を作ってくれたのだと思うと嬉しさが込み上げる。

「はい。よろしくお願いいたします」

 サイレスに促され、シルフィアは謁見の間を後にしたのだが、後ろから豪快な笑い声が聞こえるてくる。パタンと扉が閉まるとサイレスの歩みが遅くなった。

「悪い。母上も妹も騒々しくて」

「いいえ。とんでもない。お二方とも私に話しかけてくださり嬉しかったです。特に王妃殿下にあのように言っていただけて安心しました。

 正直、ここに来るまで歓迎されるかどうか心配だったので」

 シルフィアは率直に伝えた。隠しても仕方のない不安は言っておいた方が良い。

「言っただろ?気に入られるって。特に母上だな。普段は物静かな人なんだ。見た目がああだろ?誤解されやすいんだが、本来は前に出るのを好まない。ああいった場でも最低限しか会話しないんだ。

 酷い時は頷くだけで声すら出さない。自分はそれくらいがちょうど良いとさえ言っている人なんだよ。普通に話しかけただけなのに高圧的だとか言う人間もいてさ、だからより話さなくなったっていうのが正しいのかもしれないけどな。

 だけど違っただろ?あれは相当気に入った相手に対してだけ見せる姿なんだ。小さな動物が好きでな。毛糸でぬいぐるみを作って飾るのが趣味なんだよ。王宮には専用の部屋があるから明後日見せてもらうといい。まあまあ楽しめるぞ。

 仔リスってオレのことを言っていたのも、小さい時に、母上が作ってくれたリスのぬいぐるみをいつも持っていたからなんだ。シルフィアは小柄だから母上の好みど真ん中なんだよ」

 なんだか複雑な気持ちになって来たが、体が小さめで良かったと思うしかないようだ。なんにせよ気に入ってもらえるなそれに越したことはない。

「何だか少し安心しました」

「明日は楽しんで来い。フローラはよくしゃべるがリーロットはその半分くらいだ。あの母親から生まれて、何であんなにしゃべるのかわからないよ。口が達者で困る。

 あと、結婚式には城に戻って来る上の妹は静かだぞ。まあそもそも自分の好きなことにしか関心はないがな」

「楽しそうなご家族ですね」

「そう言ってくれると嬉しい」

「はい。私もその中に入ることができるよう頑張りますね」

「ああ。良いなあそれ。シルフィアと家族か。二ヶ月後が待ち遠しい」

「そうですね。でもきっとあっという間ですよ。この4ヶ月もあっという間でしたから」

「そうだな。よし、もう着くぞ」

 話しているうちに貴賓室まで来たようだ。サイレスが扉の前に止まりルーラと呼ばれていた侍女に自己紹介を促す。

「シルフィア様専属侍女のルーラでございます。よろしく願い申し上げます」

「ルーラは王都出身なんだが、半年前まではオレが管轄しているブルーラ領の城で侍女をしていたんだ。シルフィアの専属侍女にと思って来てもらったんだよ。半年の間しっかり王宮侍女長が教育したから安心すると良い」

「お任せください!」

 元気の良い侍女で好感が持てる。

「シルフィアです。ルーラ、よろしくね。エメ。ご挨拶を」

「はい。エメと申します。5年前からシルフィア様専属侍女をしております。この度は私もご一緒させていただき誠にありがとうございます」

「エメとはそういう約束だったしな。エメも慣れるのは大変だろうが、その働きに期待している」

「ありがたきお言葉。シルフィア様の支えとなることをお約束いたします」

「主従揃って堅いな。まあ今はそれで良い」

「エメは本当はもっと明るいの。緊張しているんだわ」

「エメの侍女服もルーラと同じ王太子宮専属侍女の服を部屋に準備してある。それを着てくれ。部屋も王太子宮専属侍女の棟に準備してあるから、後で確認してくるように」

「はい。ありがとうございます」

「よし。扉の前で話すのも何だから中に入ろう」

 サイレスに促されルーラが扉を開く。

 中に入ると広い居間があり、机とソファーのセットが置かれていた。左手前に扉があり、そこは浴室と洗面室になっているようだ。その隣の扉はクローゼットルームらしい。右奥にも扉があり、寝室に繋がっていると説明を受ける。

 全体的に落ち着いた雰囲気の家具で整えられ、壁には美しい風景画がかけられていた。

「素敵な絵ですね」

「ああ。これは上の妹が描いたものだ」

「そう言えば、絵を描かれると聞きました。他国で評価が高いそうですね」

「そうなんだ。国内で飾られているのは王城だけ。描きかけが本人の手元にあるくらいで、描いた直ぐに国外に売りに出されているようだ。

 偽名を使っているとはいえ、王女として名を挙げたくないと言って国内には出回らないようにしているんだ」

「そうなのですね」

 シルフィアはもう一度絵を見る。風の音が聞こえそうな草原の向こうに一頭の黒馬がいる。遠くに小さくいるだけなのに、今にも駆け出しそうだ。静と動が織りなす絵が心を落ち着かせてくれる。

「お茶をお持ちいたしました」

 その声に振り替えるとロベリオが立っていた。

「扉の前で侍女が入るかどうか迷っていましたよ。だから受け取って来ました。それから、今からシルフィア様のお持ちになられた物を運ばせますので、ルーラは片付けをお願いします。

 エメは侍女に自室まで案内してもらって、自分の荷物を片付けてしまうように」

「でもシルフィア様の荷物の片付けが」

「ここは借りの部屋です。王宮に引っ越した時に、エメが良いように片付け直せば良いでしょう」

 どうするかエメが迷っているようだ。

「エメ。行ってきなさい。あなたも今夜からそこで眠らないといけないんだから」

「シルフィア様。わかりました。ではしばらく外します」

 そう言ってエメが出て行くと、代わりにどんどん荷物の入った箱が運ばれて来る。それをルーラの指示で侍女たちが片づけて行くのを、シルフィアはサイレスと並んでソファーに座り見ることにした。

 ルーラはてきぱきと指示を出し、みるみる荷物が減っていく。

「シルフィア様。こちらの生地はいかがしましょう?」

「それは王妃殿下と王女殿下にお持ちしたものです。晩餐の前にお渡しすることにするから避けておいてくれる?」

「かしこまりました」

 他にもサイレスと国王陛下への贈り物を避けると、既に3分の2は片付いてしまった。

「サイレス様。昨日は夜中までお仕事をされたとか。少しお休みください」

「ん?オレは休むよりシルフィアと話す方が良い」

「いいえ。お体に障ります。ご公務がないのであれば少しお休みになられてください」

「シルフィアと一緒にいたい」

「困りましたね。休める時に休んでいただきたいのですが」

「じゃあ、シルフィアが膝を貸してくれたらここで休む」

「・・・・・・・」

 シルフィアは驚き真っ赤になると、それを見られたくなくて俯いた。熱い感情が湧き上がってくる。

「冗談だ。でも休まないぞ。明日はフローラたちだし、明後日は母上だからな」

「良いですよ」

「え?」

 小さなシルフィアの呟きは聞こえなかったようだ。

「ですから、良いですよ」

 今度はサイレスが驚きシルフィアを見て来る。

「ここにどうぞ。横になられてください」

 シルフィはソファーの隅に腰掛け直すと、膝をポンポンと叩いた。こんなことをするのはフランカが幼かった時以来だ。恥ずかしいが、サイレスの望みは叶えたい。

「良いのか?」

「は、早くしてください。恥ずかしいので」

 シルフィアが急かすと、いそいそとサイレスが膝に頭を預けてくれる。

「良いものだな。こんな幸せが毎日になるのか」

 サイレスが目を閉じ、シルフィアのお腹に頬を擦り寄せてくる。

 心臓が跳ね、腰からピリっとした感覚が上がってきたのに驚いたシルフィアは、それを誤魔化すようにサイレスの髪に指を絡める。

 そしてゆっくりと頭を撫でてみた。ふと視線を感じ顔を上げると、侍女たちとロベリオがこちらを見て止まっている。

「あ、あの、」

「お続けください」

 シルフィアの言葉を遮り、ロベリオがどうぞというように促してくる。

 一気に恥ずかしさが増し、なんてことを始めてしまったのかと戸惑ったが、サイレスが気持ちよさそうなので止めることができない。

 これから夫婦になるのだからこれくらいは当たり前。そう心に念じながら視線を気にしないよう集中する。

 幸い侍女たちが止まっていたのもその時だけで、今はこちらを見ずにいてくれているようだ。

 サイレスの硬質で艶のある髪は触り心地が良く、段々膝の温もりが安堵に変わって行く。しばらくすると、静かな寝息が聞こえてきた。

 可愛い。心で小さく呟く。たった数分でシルフィアの心はあちらこちらと揺れ、やっと今落ち着いたようだ。自分でも自然に笑みが浮かんでいることに気付き、何だかそれがくすぐったい。

 これからこんな時間を過ごせるのかと思うと愛しさが増す。ぼんやりとサイレスの寝顔を見つめ、鼻先を指で撫でる。ひくりと小鼻が動いたので、起こしてしまったかと思ったが、やはり静かな寝息が聞こえるので大丈夫そうだと安堵する。

 ふとソファーからはみ出た足が辛くはないのかと心配になったが、起きる気配がないのでそっとしておくことにした。休める時に休んで欲しい。それはこれかも続くだろう。王太子の仕事は多岐にわたる。きっと今日も明日シルフィアと過ごす為にと遅くまで仕事をするつもりだったのだろう。

 それがなくなって返って良かった。これからいくらでも一緒に過ごせるのだから。

 荷物が片付いた頃、部屋にエメが戻って来た。用意されていた侍女服に着替えたようだ。そしてシルフィアを見て笑っている。きっとこんな状況は想像していなかったのだろう。

 サイドテーブルをシルフィアの横に運ぶと、お茶を淹れ直してくれる。

「ありがとう、エメ」

 一口お茶を飲むと、サイレスから贈られた茶葉の味がした。

「いえいえ」

「新しい侍女服も似合っているわ」

「そうですか?」

「ええ」

 二人で小声で話し合う。王城の侍女は黒。王宮侍女は深緑。王太子宮は濃紺らしい。

 そこへ終わりましたとルーラが報告に来た。

「ありがとう。みんなも休んでね」

 エメが来ていた全員に小袋を渡す。中身はマフィージ王国から持ってきた日持ちのする菓子だ。きっとたくさんの人がこうやって手伝いに来るだろうと予想して準備したもので、砂糖とバターと牛乳で作られている。味も三種類あり、説明を受けた侍女たちは嬉しそうに受け取り、皆がお辞儀をして部屋を後にした。残ったのはロベリオとルーラだ。

「シルフィア様。お疲れでしょうから叩き起こしてお休みになられた方が」

「良いのよ。サイレスは遅くまでお仕事されていたのでしょ?それなら休んでいただかないと」

 シルフィアの言葉にロベリオが悩む様子を見せる。

「ですが、私としてはシルフィア様のお体の方が気になります」

「ふふ。私なら大丈夫よ。辛くなったらそう言うから安心してね」

 そんな会話をしている時だった。

「シルフィア・・・」

 サイレスがもぞもぞと動きシルフィアの腰に手を回してくる。お腹に顔を埋められ、あっと思った瞬間にくるりと体勢が逆になる。

 目の前にはサイレスの顔。それが近づくとそのまま唇に温かいものが重なった。

 口付けをされたのだと思った時には既に身動きが取れなくなっていた。

「んっ・・・・」

「シルフィア」

「んっ・・・」

 初めての口付けがこんな風に始まると思わず、サイレスのされるがままになってしまう。唇がついばまれたかと思うと、サイレスの舌に蹂躙される。サイレスの手が腰を撫で始めた時だった。

 バンっと聞こえ、サイレスの頭がシルフィアの首筋に沈む。

「サイレス!何をしているのですか?」

 小さく呻く声が聞こえた後、サイレスが体を起こす。

「何って・・・・。あっ!」

 サイレスがバッとシルフィアから離れる。

「寝ぼけていたんですね。随分いい夢を見られていたようで」

 冷たいロベリオの声が聞こえる。

「シルフィア。すまない」

「いえ。お、お休みになられてましたから」

 シルフィアは起き上がると小さく呟いた。

「いや。本当にすまない。こんなことをするつもりじゃなかったんだ。ただ、余りにも寝心地が良くて、気づいたら完全に寝ていたようだ」

「何が完全に寝ていた、ですか。疚しいことを考えながら寝るからこんなことになるんです」

「疚しいことってなんなんだよ。オレはいたって健全だ」

「はいはい、健全ですね。シルフィア様の手前、そういうことにしておきましょう」

「そんな言い方をされたら誤解されるだろ?」

「シルフィア様。就寝時は必ず鍵をかけてくださいね」

「はい」

「シルフィアまで!」

「鍵はかけます。でもいつでも来られてください」

 シルフィアはそう言いながらエメを見る。エメがスッとクローゼットルームに行き、戻ってきた時にはハンカチを手にしていた。シルフィアはそれを受け取ると、ソファーの端にいるサイレスに近づきその唇を拭う。シルフィアの口紅が付いてしまっているのだ。

 サイレスは驚きながらも動かないでいてくれる。

「終わりました」

 そう言ってまた少し離れて座る。

「あ、ありがとう。シルフィア」

「いえ。眠れましたか?」

「ああ。スッキリとしている」

「それなら良かったです」

 気を取り直したのかサイレスがシルフィアの横に座ると腰に手を回して来た。

「はあ。今日は見逃しますが、また同じようなことをしたら陛下にご報告します」

「今度からはちゃんとシルフィアの了承を得てからするから大丈夫だ」

「そういう問題ではありません。謹んでください」

 シルフィアは横でこのやり取りを真っ赤になりながら聞くしかない。シルフィアが口を挟めるものではないのだが、良いとかダメとかシルフィアがこれから言わねばならいのだろうか?そんなこと聞かれても困ってしまう。そんなシルフィアを見透かすようにロベリオが苦言を呈する。

「シルフィア様を困らせないでください。とにかく、自重してくださいよ」

「わかった」

「心配ですね。早く何事もなく2ヶ月が経てばいいのですが」

「任せておけ。なあシルフィア」

 そう言ってサイレスがシルフィアの頬に口付けをする。シルフィアはどきりと体を引いた。

「サイレス!」

「これくらい良いだろ?子供にもすることだ」

「はぁ。とにかく、自重ですよ」

「わかったって。シルフィア。着替えたらどうだ?ドレスだと寛げないだろ?」

「そうですね。着替えさせていただきます」

 シルフィアは立ち上がるとクローゼットルームへと向かった。それにエメとルーラが付いて来る。そしてドレスを脱ぐのを手伝ってくれた。

「シルフィア様のあのような姿は新鮮でした」

 エメが服を選びながら笑っている。

「仲睦まじい姿を見させていただきました」

 今度はルーラだ。

「私も、驚いたのよ。だけどね、サイレス様に頼まれたら応えたくなるでしょ?」

「何でも受け入れると男は調子に乗ると書物に書かれておりました。初めが肝心だとも。サイレス殿下に関しては当てはまらないかと思いますが、ご結婚まではお気を付けください。

 よからぬ噂を立てる者も出てくるでしょうから」

 先程まで笑っていたはずなのに、今度は真剣な顔で注意が入る。

「そうですよ。サイレス殿下が喜んで浮かれてはしゃぐだけです。普段は割と落ち着いてらっしゃるんですけど、シルフィア様のことになると途端にああなるので」

「私も久しぶりにサイレス様にお会いして浮かれていたわ」

「いえいえ。シルフィア様に悪いところなど何もないのです。全て、サイレス殿下の責任ですから、気になさらないでください」

 シルフィアはエメに渡されたワンピースに袖を通す。すると髪が一旦ほどかれ、再度結び直された。どうやら髪が乱れていたようだ。

「エメ。ありがとう」

「いいえ。何にせよ仲がよろしいのは良いことです。それにしても、男性というのは内では甘えたがるというのは本当なんですねえ。公爵様が特別なのかと思っておりました。私の父はしませんし」

 考え込むように首を捻るエメの姿が面白い。確かにシルフィアの父はたまに母の膝に頭を乗せて寝ていた。だからシルフィアも恥ずかしながらも出来たのだが、エメの家ではしないと言っていたのを思い出す。

「私の父もしませんよ。だからさっきはつい見てしまいました。サイレス殿下が子どものようなことをしていると」

 ルーラは首を振って考えらないといった感じだ。

「世の男性が全て、ではないのでしょうね。でも二人のお父様も隠れてしているかもしれないわよ」

「何だかそれも変な感じです。あの堅物の父がと想像すると」

「そうですねえ。うちは母の方が強いんですけど、想像できませんね」

 エメとルーラが首を捻っている。

「まあ良いじゃない。サイレス様が体を休めることができたんだから」

 シルフィアはそうまとめると二人を促し居間へ戻った。


 シルフィアは午後の時間をサイレスと過ごし、晩餐の時間になると王宮へ向かった。

 贈り物に選んだ生地を渡すと、王妃もフローラも喜んでくれ、陛下には葡萄酒を渡した。葡萄酒が好きだということで、シルフィアの家の領地のワインを10本持ってきたのだ。シルフィアの家のいくつかある領地のうちの一つに葡萄の産地がある。その領地のワインは国内外で人気があり、その中でもサイレスが生まれた年の葡萄酒は希少価値が高い。天候に恵まれた年で、過去最高品質の葡萄酒となった為、多くが市場に出回り数年で売り切れたのだ。

 残しておいた熟成されたものは僅かで、マフィージ王国に数本、後はシルフィアの家にあるものだけだった。その中から2本父から渡されたのだ。他の8本も人気があるが、この2本は格別に喜びの声を陛下からいただいた。

 そして早速葡萄酒を開けると、芳醇な香りを堪能した後、口に含み顔を顰めていた。口に合わなかったのかと思い焦ったシルフィアに、陛下は上手すぎると笑みより、やられたと顔を顰めてしまうそうだ。喜んでもらえたのが嬉しく、また陛下自らシルフィアに注いでくれた葡萄酒は、緊張のあまり味がわからなかった。

 サイレスには昼のうちに渡した。シルフィアとお揃いの腕輪で、繊細な彫が入った金細工のもので、普段使いできるように選んだ物だ。いつでも着けていて欲しいという思いを込めた。

 もちろんサイレスは目の前で直ぐに着けてくれた。そしてシルフィアも自分のを出し一緒に着けたのだった。

 晩餐は終始和気あいあいとしており、その中心はフローラだった。くるくると表情が変わり、話の内容も面白く、シルフィアは徐々に緊張がほぐれ、自然に会話に加わることができた。

 料理も美味しく、クレメンタール王国産の食材が出て来るたびにサイレスが説明してくれる。マフィージ王国と味に大差はなく、食が合わなくて困ることはないと知っていたが、初めて見る食材は興味深く、特に花びらのサラダには驚いた。

 クレメンタール王国には食用の花が多いらしく、一般的に多く出回っている為、特産品という扱いではないそうで、シルフィアは新しい発見に大いに目を輝かせた。見た目も美しく、爽やかな味わいの花びらに、シルフィアは目もお腹も満たされ、お気に入りになってしまった。それを伝えるとその場にいた全員が喜んでくれ、王妃はその美容効果を熱く語ってくれた。

 そんな晩餐の終わりに近づいたころ、陛下から2ヶ月の過ごし方について話があると言われ、シルフィアは姿勢を正す。

「明日明後日はゆっくりと過ごすと良い。と言っても明日はリーロットの邸に行かねばならし、明後日はダリナ。両日とも半日は潰れるだろうから、他の時間は自由に過ごしてほしい。

 三日目からは王太子妃教育に入ってもらう。歴史の講義と、作法の講義だ。どちらも問題はなさそうだが、念のため復習と思って受けて欲しい。試験などはないから気軽に学ぶと良い。

 食事は王太子宮で摂ることにしよう。王宮でも良いのだが、サイレスが煩いだろうから、食事の時くらいは一緒に過ごすと良い。

 サイレス。シルフィアと一緒に過ごしたければ、仕事に励め。ご褒美と思えばお前なら余裕だろ?」

「もちろん余裕ですよ」

「ご無理なさらないでくださいね。お忙しい時は私がお食事を執務室まで運びますから」

「無理なんてしない。仕事が捗ること間違いないしだからな。でも、執務室で一緒に軽食を摂るのも良いよな。シルフィアと公務をするようになったらそんな時間もできるだろうし」

「どちらでも良いが、シルフィアと過ごしたければ、周囲を黙らせろ。簡単な話だろ」

「お任せください」

 サイレスが大袈裟に深々と頭を下げる。

「それから、半月後にダリナ主催のガーデンパーティーが予定されている。その場でシルフィアのお披露目があるから準備をしておいてくれ。

 口うるさい連中もいるだろうが気にするな。困ったらダリナの元へ行くように」

「かしこまりました」

 シルフィアは再度姿勢を正すと全員を見る。

「この度はこのように温かく迎え入れてくださりありがとうございます。これからクレメンタール王国の為に励みますので、よろしくお願い申し上げます」

 フローラがにこにこと手を叩いてくれる。陛下も王妃も優しく微笑み、サイレスは嬉しそうにシルフィアを見ていた。

「さあ、散会にしよう。シルフィア。ゆっくり休むように」

「ありがとうございます」

「鍵は締めるのよ」

「母上!」

「あら、当然じゃない。貴賓室は王城にあるのよ?警備兵がいるけど、こっそりどこからか誰かがやってくるかもしれないじゃない。なあに?サイレスはその侵入者は自分のことだと思ったのかしら?」

 王妃がくすくすと笑っている。どうやらからかって楽しんでいるようだ。

「はあ。全く。まあそれにはオレも賛成ですよ」

「かしこまりました」

 くすりと笑ってシルフィアが応える。

 陛下夫妻とフローラを見送った後、送ってくれるというサイレスと共にシルフィアは部屋へと向かった。


「やっと二人きりになれたな」

 サイレスが晴れやかに笑顔を見せる中、シルフィアは少し緊張をしていた。それもそのはず。本当に二人きりなのだ。

 シルフィアを部屋まで送ってくれたサイレスが、話があると言ってエメたちを下がらせたのだ。

 室内に二人きり。その現実に心拍数が上がる。

「シルフィア」

 サイレスの呼びかけにビクリと肩が動く。

「シルフィア。そんな怯えないでくれ。昼間はすまなかった」

 何に対しての謝罪かは直ぐにわかる。

「いえ。もう直ぐ夫婦になるのですから、謝られることではありません」

 爆発しそうな心臓に手を当て首を振った。夫婦になれば当たり前のことになるのだ。それでも、あのような触れ合いは初めてで、どのような反応をしたらいいのかわからない。ちゃんとできただろうか?と不安に思えてくる。

「いや、それは違う。初めての口付けなんだから、もっと時と場所を選ばなければならなかった。驚いたろ?」

「そ、そうですね。驚きはしましたが、それだけで、い、い、嫌だとかそういったのはありませんので」

 何とか早口で答えることができた。

「そうか。それなら良かった」

 サイレスがそっと腰を抱き寄せてくるのにそのまま身を任せる。頼もしい肩に寄り掛かると、充足感に満たされた。

 これからはここが自分の帰る場所になる。それが嬉しくて、そっとサイレスの手にシルフィアは手を重ねた。

「至らないことがあったらおっしゃってくださいね。言いたいこともそうです。黙っていては伝わらないことの方が多いのです。

 私はまだ未熟なので、おっしゃってくださらないとわかりません」

「シルフィアに至らないところなんかない。それに未熟だとか、そんなことは思わないで欲しい。

 オレたちは始まったばかりだろ?一緒に成長していくんだ。だから、オレにも不満があったり、言いたいことがあれば直ぐに言って欲しい。これから長い年月を共に過ごすんだから」

 優しく耳に響く少し低い声は、シルフィアに何とも言えない安らぎを与えてくれる。マフィージ王国で過ごした時もそうだった。サイレスの声はシルフィアの耳に心地よく、恥ずかしい言葉も言われるが、それよりも安らぎを与えてくれる。

 側にいたい。ずっとこの声を聞いていたい。何度もそう思った。サイレスが帰国した後も、顔だけではなくその声を思い出し、恥ずかしくなったり嬉しくなったり、それいでいて安堵して、早くもっと話したいと願わずにいられなかった。

 サイレスがシルフィアの手を握り返して来た。

「シルフィア。やり直しをさせてくれないか?」

「え?」

 少し上にあるサイレスの顔を見上げる。

「もう一回。初めからやり直し」

 サイレスの手が頬に当てられ、その親指が唇をなぞる。それにぞくりと体が震えたシルフィアは、戸惑うように目を伏せた。

 どうしよう。頷くべきか、断るべきか。そんなことが頭を過ったが、体の方が正直だった。手はサイレスの服を掴み、離れて欲しくないと伝えている。

 それに気付いたサイレスの唇が重なったのがわかった。柔らかく、少しかさついた唇は、シルフィアの唇に触れた後、薄く開いた口の中に舌が入って来る。

「んっ・・・・」

 角度を変えて重なる唇に、息まで飲み込まれそうに思えてしまう。

「んっ。んっ」

 サイレスの下が上あごをなぞる。体が震え、熱くなってくる。シルフィアは意識を保つのに必死になり、サイレスの胸元に手を当てた。

「んっ・・・」

 頬に当てられていた手が下がり、腰を撫でて来る。その手を遮るように、シルフィアは手を重ねた。しかし、その手を握られ、返って体が密着してしまった。

 浅い息を繰り返し、吐息が零れる。抱き寄せられ、繰り返される口付けに、頭がとろけそうになってきて、サイレスの事以外考えられない。

「んっ・・。もう・・・」

 自分が自分じゃなくなりそうで、これ以上は無理だと思い、サイレスの胸を押す。

「もう少しだけ」

 そう囁く声に逆らえず、シルフィアはされるがままになっていた。

「んっ。サイレス様・・・」

 サイレスの手が背中や腰を撫でる。シルフィアは体を震わせそれを受け入れた。

「んっ・・・・あっ・・」

 サイレスの唇が離れたと思ったら耳をなめられた。ぞくりと肌が泡立ち声が止まらない。

「サ、サイレス様・・・」

「シルフィア」

 再び長い口付けが始まり、シルフィアはサイレスの腕に掴まった。

 やっとサイレスの唇が離れた時は、頭がフラフラで、くたりとサイレスに体を預けた。

「これから毎日しような」

 優しく背中を叩かれて、シルフィアはただ頷いていた。

 そのまま身を預けること数分。やっと意識がはっきりしてきたシルフィアは、恥ずかしくて俯きそうになる顔を上げると、サイレスの頬をつまんだ。

「これ以上はダメですよ」

「もちろんだ」

 自分の頬がつままれているというのに、サイレスが満足気に頷く。何だかサイレスの思うままになっているようで、少しもやもやするが、それもまた悪くない。複雑な気持ちでサイレスの頬から手を離しその目を見つめた。

「約束ですよ」

「今は口付けだけで我慢する」

「そ、それは、さっきはわけもわからず頷いてしまっただけで」

「それでも、約束は約束だ」

「そうですが」

「どうした?」

 どうもこうもない。正気になった今。ダメだと言わなければならないはずなのに、その言葉が口から出てこない。どうにもこうにも拒否できないのだ。困ったと思いながらも、本当に困っているのかと自分に問えば、困っていない自分がそこにいる。

 結局、シルフィアもサイレスに触れられたいし、触れたいのだ。

「約束ですからね」

「ああ、約束だ」

 それで伝わったのか、サイレスが名残惜しそうにシルフィアから離れた。

「ゆっくり寝るんだぞ」

「サイレス様もご無理されないでくださいね」

「わかった。明日の朝。宮で待っている。一緒に朝食を摂ろう」

「はい。また明日」

 その言葉がくすぐったい。また明日。また明後日。これからずっとサイレスと一緒にいられる。

「ああ。また明日。鍵をかけて寝るんだぞ?」

 最後におやすみと言ってサイレスが部屋から出て行く。それをシルフィアは座ったまま見送ったのだった。


 入れ替わるようにエメとルーラが入って来た。

「シルフィア様。直ぐに湯浴みの準備をしますね」

「ルーラ。その前にシルフィア様にお水を持ってきてください」

「わかりました。今直ぐお持ちします」

 ルーラが出て行くとエメが飴をくれる。

「シルフィア様。ゆっくり深呼吸してください」

 シルフィアは飴をなめながら深く息を吸った。エメは気づいたようだ。シルフィアが立てないことに。実は、長い口付けに腰が抜けてしまったのだ。

「エメ、ありがとう」

「いいえ。予想はできましたから。お水を飲んだら湯浴みをしましょう」

「うん。でもね、昼間みたいに急に無理矢理とかじゃないのよ」

「わかっておりますよ」

 エメがうんうんと頷いている。

 それに安心しながらルーラを待った。飴の甘味と口付け。この飴を口にする度に思い出しそうだとシルフィアは指先を見つめた。


 翌朝目が覚めると、疲れなどはなくスッキリしていた。昨夜湯浴みの後に塗ってもらったオイルが良かったのかもしれない。ルーラが準備しておいてくれたもので、サイレスの領地の特産品らしい。爽やかな香りは安眠をもたらしてくれたようだ。

「シルフィア様。おはようございます」

 エメとルーラが入って来た。鍵は中からもかけられるし、外からもかけられる為エメに渡しておいたのだ。

「おはよう。二人とも。天気が良さそうね」

「ええ。とても気持ちの良い風が吹いていて、良い朝ですよ」

「エメ。ゆっくり眠れた?」

「はい。もうぐっすりです。いただいた製油を焚いたらベッドに入って直ぐ落ちてました」

「なら良かった」

 シルフィアは支度をすると王太子宮へと向かった。王太子宮に入るのは初めてで、ルーラ以外の侍女たちに会ったことはないので気合を入れる。

 昨日荷物を片付けてくれたのは王城の侍女たちだった。その為、王太子宮の侍女たちに渡すために、同じ菓子をエメに持たせていたる。一人ずつに渡せなくても、休憩室に置いてもらえれば誰でも食べられるようにしたいとたくさん用意しているのだ。

「シルフィア様。おはようございます」

 シルフィアが王太子宮に着くと20人程の人たちが出迎えてくれた。その中の一人が一歩前に出てお辞儀をする。

「侍従長のロペスと申します。この度はサイレス殿下とのご婚約、おめでとうございます。王太子宮担当一同、心よりお迎えいたします。誠心誠意努めますので、なんなりとお申し付けください」

 穏やかな笑みを浮かべるロペスの髪には白いものが混じり始めている。長年サイレスに仕えているのかもしれない。後で話を聞いてみようとシルフィアは思った。

「初めまして。シルフィアです。温かい出迎え、ありがとうございます。これからよろしくお願いします」

「よろしくお願いいたします」

 全員挨拶が揃っている。きちんと教育されているのが窺え、またシルフィアを拒んでいるような雰囲気もなく、シルフィアはほっと息を吐いた。安堵から笑みを浮かべると、侍女たちから拍手が起こる。少なくともここでは歓迎されている。シルフィアは再度全員を見て笑いかけた。

 エメは昨日のうちに挨拶を交わしたのか落ち着いているようだった。急にこの中の入るのだ。しかもいずれは王太子妃の筆頭侍女として。シルフィアと共に受け入れてもらえるかと不安だったが、シルフィアの心配は不要のようだ。さすがエメと言ったところか。人の懐に入るのが早い。

「さあ、シルフィア様。お入りください。サイレス殿下は今準備をしておりますから、先に食堂にご案内いたします」

「ありがとう。ロペス。お願いね」

「はい。お任せください。昨日の晩餐で、花びらのサラダをお気に召したと聞きましたので今朝も準備しております」

「ありがとう。綺麗で美味しくて美容に良いなんて素晴らしいわよね」

「そうおっしゃっていただけると料理人たちも喜びます。王宮とは別にこちらにも厨房がございますから、お好きな物をお作りいたしますよ」

「そうねぇ。じゃあ、クレメンタール王国の料理を順番にお願いできる?マフィージ王国とそんなに変わらないとは聞いたけど、違うところもあると思うの。早く慣れたいから、私を気にせず、サイレス様が普段から召し上がっている料理を出して欲しいわ。それから、地域によって違う料理もあるでしょうし、そう言ったのでも良いわ」

「かしこまりました。確かにそれ程変わりはないと聞いておりますが、ではいつもサイレス殿下が召し上がっている料理をお作り致します。ここの料理長はマフィージ王国の料理も勉強しましたので、召し上がりたくなられましたら、ご遠慮せずに申し付けください」

「ありがとう。気にかけてくれて嬉しいわ」

「いいえ。とんでもない。ご到着を心待ちにしておりましたので、使用人一同も今日を楽しみにしていたのですよ。いつでもこちらに移れるように準備は整っております。

 後で、シルフィア様のお部屋をご覧になりますか?」

「後からの楽しみにとっておきたいから今日は止めておくわ。二か月後を楽しみにしているの」

「かしこまりました。ご要望の品がありましたら準備するのでおっしゃってくださいね」

「ありがとう」

 明るい日差しが入って来る王太子宮は、廊下のあちこちに花が生けられている。花瓶はシンプルなデザインのものを使っていて、華美な置物と比べて、シルフィアはそちらの方が良かった。きっと花が好きなシルフィアの為に準備してくれたのだろう。

 会った回数で言えば、ベンソンの方が圧倒的に多いのだが、サイレスはシルフィアのことを理解し、思ってくれているのが伝わって来る。心が踊りそうな足取りでロペスの後を歩いた。


「シルフィア様。こちらが食堂でございます」

 案内された食堂は、白と紺色を基調にした室内と家具類で整えられ、机にはやはり花が飾られている。

「こちらでしばらくお待ちください」

 ロペスに促され椅子に腰かけようとした時だった。ドアが勢いよく開き、サイレスがが入って来た。

「待たせてすまない」

 慌てた様子のサイレスにシルフィアは笑いかけた。

「おはようございます。私が早く準備ができたので来てしまっただけですし、今きたところですから大丈夫ですよ」

「いや、出迎えようと思っていたのに」

「では、明日は少し遅くに来ますね」

「それは気にしないでくれ。明日は大丈夫だ」

「かしこまりました。では明日も同じくらいの時間に来ますね」

「ああ。じゃあ、改めて。おはよう。シルフィア」

「はい。おはようございます」

「良いな。こんな風に迎える朝は」

「そうですね」

「よし。じゃあ朝食にしよう」

 サイレスの言葉に給仕たちが動き出す。シルフィアは朝日が射しこむ窓辺に目をやった。窓から庭園が見える。食堂から直接出られるようになっているので、天気の良い日は開け放って食事をするのもいいかもしれない。そんな風に見ているとサイレスが立ち上がった。そして窓を開けてくれる。

 驚いた顔をしたシルフィアにサイレスが笑った。

「良い景色だろ?シルフィアが好きだろうと思っていたんだ」

「驚きました。心の中が読めるのかと」

「それだったら良いな。いや、良くないか。読めたら楽しくないな。シルフィアがどんなことを思っているのか考えるのが楽しい。

 今は、窓の外を見ていたから、きっと天気が良いから窓を開けたら気持ちいだろうと思っているんじゃないかと思ったんだ」

「正解ですね。サイレス様は人の心を読む力をお持ちの様です」

「良く人を見る方ではあるな。でも、知りたいと思った場合だけの力なんだよ」

 シルフィアの事を知りたいと思ってくれている。シルフィアは恥ずかしさを隠すようにナフキンを膝に置いた。

「私も、もっとサイレス様の心を読めるようにならないとですね」

「オレはわかりやすい性格だから、直ぐにシルフィアにお見通しにされそうだ」

 ふふとシルフィアが笑うとサイレスも笑ってくれる。それがくすぐったくて、どうにも恥ずかしい。

 そこへ食事が運ばれて来た。

 花びらのサラダ、ふわふわのオムレツ。そして蒸し鶏にはレモンソースがかかっているようだ。焼き立ての白パンからは小麦の良い香りがしている。

 二人揃って、精霊リューディアとスティーナに恵みを感謝すると食事を始めた。

 精霊リューディアとスティーナとは、マフィージ王国やクレメンタール王国のある大陸全土で信仰されている精霊神だ。様々なものに精霊が宿るとされており、人々は日々精霊とともに生きていると感じているのだ。リューディアとスティーナは特に重要で、リューディアは太陽の精霊。スティーナは月の精霊で、もっとも人々に愛されている精霊である。

 食事の時は必ずリューディアとスティーナに恵みを感謝するのが慣わしなのだ。

「この花びらのサラダは本当に美味しいですね」

「昨夜も言っていたから準備させたんだ。と言っても、オレにとっては馴染みのあるものだから普段から食べているし、厨房にも準備されていたから、特に何もしていないと言った方がいいかもかもしれない」

 そう言って朗らかに笑うサイレスは眩しく、その笑顔に愛しさを感じた。

「今日はフローラたちとお茶会だろ?リーロットの家の庭も綺麗だぞ」

「楽しみですね。リーロット様は私と同じ年齢と伺っていますから、仲良くなれたら良いのですが」

「それは大丈夫だ。リーロットはシルフィアに会うのを楽しみにしていたし、フローラもいるから気軽に行けば良い」

「お茶会の作法はマフィージ王国とあまり変わりませんし、その点は気にしていないのですが、どのような話をしたら喜んでいただけるのか」

「マフィージ王国の話をすればいい。気になっているらしいしな。後は勝手にフローラがしゃべるだろ」

「ふふ。そうですね。お二人にお任せしてみます。私もクレメンタール王国のことを知りたいですし」

「そうだな。あの二人はクレメンタール王国の社交界の事に詳しいから聞くと良いぞ」

「わかりました。そう言ったことは大切ですしね」

 そんな風に会話をしながら食事を進める。今はまだ慣れなくて、パンを一口ちぎるのでさえ少し緊張しているのだが、いつか何気ない日常になるのだろうと思うと、そんな未来を想像し、心が温かくなった。


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