王太子妃になる準備をする
サイレスから婚約証明書を提出したと連絡が来てからのシルフィアは多忙を極めた。嫁入り用のドレスやその他の服を準備したり、それに合わせた宝飾品も多数必要になった為、邸に次々と商人がやってくる。母とフランカと一緒に選ぶのは楽しかったが、如何せん選ぶ量が多い。
シルフィアは王太子妃になるのである。王子妃よりも入念な準備が必要となってくるのだ。他国との関係を考えた宝飾品の数々。更に下着だ帽子だと選ばなくてはならない。サイレスが家具類は全て準備すると言っていたので、そちらの心配はいらないが、それでも膨大な量になる。馬車何台になるのだろうか、と心配になってくる。
しかも結婚式は半年後とサイレスの帰国後間もなく連絡が来たのだ。正直早いと思った。王家に嫁ぐにあたりその期間は早い。しかも結婚式の2か月前にはクレメンタール王国に行かなければならない。そこで歴史や風習などを学ぶそうだ。
今でも独学だがクレメンタール王国について勉強をしている。意外に隣国のことを知らないもので、新しい知識が次々と詰まって行くのを毎日実感している。
こんなに簡単に決まってしまって良いのだろうかと不安もあるが、それよりも喜びが大きい。早くサイレスに会いたくてたまらない。
「ねえ、お姉様。この下着はどうかしら?」
フランカがひらひらと下着を見せて来る。
「こら、フランカにはまだ早いわ。それにシルフィアにはもっと清楚なものにしましょう」
母がフランカをたしなめている。確かにフランカが手にしている下着は真っ赤な上、肌が透けて見えそうだ。
「でもサイレス様と髪の色が似ているわ。これくらい大胆な下着もあって良いと思う」
「確かに」
「シルフィア、フランカ。お母様はその下着は認めません」
そんな言葉に持ってきた商人が別の物を手にした。デザイナーを何人も抱えている下着類専門の洋品店の女性店主だ。ヘレンといって、数年前から取引をしている。デザインの良さもあるが、上質な生地を使った下着は肌触りも良く着心地が良いと評判なのだ。
「こちらのもはいかがですか?そちらの商品の色違いですよ」
そう言って白い下着を渡してくる。そちらも肌が透けて見えそうでシルフィアは母を見た。
「そうねえ。これなら良いかしら?」
「何で赤のはダメなの?」
「ダメなものはダメ。シルフィア。これを初夜に着なさい」
「え・・・・・」
この下着を着た自分を想像しシルフィアは真っ赤になった。確かにそういうことをサイレスとするのだ。忘れていたわけではないが、生々しい想像をしてしまい体が固まる。
「真っ赤になっちゃって。可愛いわね私の娘は」
母が頭を撫でて来る。
「大丈夫。サイレス様にお任せすれば良いのよ。勇気が出せたらサイレス様の首に手を回しなさい。そうすれば少しは落ち着くから」
「まあ、お母さまったら。私まで恥ずかしくなっちゃう」
フランカが体をくねくねさせている。お年頃なのだ。
「わかりました。これを着ます」
「そうなさい」
「ありがとうございます!シルフィア様は肌が白いのでこちらの色もお似合いになられるかと」
そう言って女性は別のデザインの下着を渡して来た。水色の膝丈の下着で。リボンで前を留めるようになっている。
「あら可愛いじゃない。清楚な感じもするし」
母には好評のようだ。
「直ぐにリボンをほどくことができるわね」
「フランカ!」
また母がフランカをたしなめている。確かにそうだ。一見清楚だがボタンより脱ぎやすそうだ。
「こちらは男性が恋人や妻に贈るのに人気ですよ」
「男の本性が見えているわね~。まあでも良いわ。これも持って行きなさい」
「え~。私も欲しい!」
「買ってあげるから少し落ち着きなさい。ヘレン、フランカが着れるものはある?」
「はい。色違いでしたら直ぐに持って来ることができます」
「やった~」
「しょうがない子ね。シルフィアのを選んでいるのに」
そう言いながらも母は笑っている。母も浮かれているようだ。こんなに一気に買い物をするのだ。楽しいのだろう。更に選び続け、ほくほくとした顔をしたヘレンが帰ると次は靴屋がやってきた。
靴は採寸し直してもらいオーダーメイドで作るのだ。見本を色々と持ってきてくれているようで、華やかなものもあれば、機能性重視のものもある。シルフィアは踵が高い靴は苦手だった。5年程前に履いていて転んで怪我をしてから苦手になったのだ。どうやってそんな転び方をしたのかわからないが、膝にも額にも傷が出来てしばらく外出を控えたほどなのだ。靴屋もそれをわかっているからか、ほとんどの靴は踵の高さは控えめだ。
「もう少し踵の高い靴にしたら?」
「でも転ぶの嫌だから」
「でもねえ。ほら、サイレス様は背が高いでしょ?でも、あなたは少し背が低いから踵が高い方が見栄えが良いわ」
「そうかしら?」
「ちょっと履いてみたらどう?転んだことをいつまでも引きずってるんだから。挑戦することも大切よ」
シルフィアは靴屋が差し出して来た靴を履き、立ち上がると歩いてみる。いつもより目線が少し高く感じて怖さを覚えたが、かと言って転びそうでもない。
「大丈夫かもしれないわ」
「そうでしょ?あなたは慎重過ぎるのよ。何足か踵の高い靴を買いなさい。公の場に出る時はそれを履くと良いわ。普段はいつもの高さで良いから」
「踵の高さなら調整して作りますので、デザインをお決めになられたらいかがでしょうか?もう少し踵の高い靴は後で持って来ましょう。履いてみて高さをお決めください」
シルフィアはクルクルと回って靴を確認する。これでダンスをしないといけないのかしら?とステップを踏んでみる。
「お母様。ダンスの練習もしないとならないわ」
「そうね。先生を頼んでおくからそうなさい」
その後は靴を色々選んでいく。クレメンタール王国はマフィージ王国より温暖な気候なので、ブーツは必要だろうかと悩んでしまう。
「ブーツも持っていきなさい。うちより温暖な気候でも冬はそこそこ寒いのだから、ブーツを履いた方が暖かくて良いわよ」
「そう?じゃあ。今あるのとは別に2足持って行こうかしら」
シルフィアがブーツのデザインを選んでいると不思議なデザインの商品を見つけた。
「これ見たことないわね」
そのブーツは全体的にそこが厚くがっしりとしている。
「そちらは今年売り出す予定の新製品です。全体を底上げしているので、踵のみが高いものより履きやすいかと思いますよ」
シルフィアはその言葉にそのブーツを履いてみた。
「確かに。転びそうな感覚はないわ。それでいて背が高くなった感じがする」
「デザインも可愛いわね。それも買いましょう」
「ありがとうございます!」
「私も欲しい~」
「しょうがないわね。良いわよ。お揃いで履きなさい」
「やった~~」
フランカが跳び上がって喜んでいる。
「そうねえ。そちらのブーツも良いわね。私も買おうかしら」
「お母様にはそちらのデザインが似合いそうですね。良いと思います」
「こちらのブーツも新作なので、本格的な販売はまだ少し先になりますが、公爵夫人にはお世話になっておりますので先にお渡しいたします」
靴屋も上手く言ったものだ。そう言われれば買わずにはいられない心情になることを理解しているのだ。
「じゃあいただこうかしら。それとそちらの靴もお願いね」
「ありがとうございます!では足の測定をいたしましょう」
またしてもたくさん買ってしまった。これくらいで我が家の財政はビクリともしないが、それでも一気にこれだけ買うと客室を一室使わなければならないだろう。
靴屋が帰った後お茶の時間になった。
「ねえ、お母さま。今ある分であとは良いわよね?」
「ダメよ。我が家は王族と同じ程の財産があるの。サイレス様に嫁いだ時に、公爵家の娘として恥ずかしくないように揃えないと。嫁入り道具が少ないなんて言われたくないもの。
いきなり隣国の公爵家の娘が王太子妃になるのよ。口では認めていても内心はわからなわ。せめてお金目当てじゃないことは見せないと。うちはお金が欲しくて嫁ぐんじゃありませんって。
じゃあ権威なのかと言われるとそれも違うのだけど、言ってもそれは理解されないでしょうから。それでもサイレス様に何かあればうちが支えますって姿勢を見せないと」
「そうなのね」
「そうなのよ。さて、明日は別の商店に来てもらいましょう。一つの商店だけを儲けさせられないから。あちこちでお金を払って均衡はかりましょう。クレメンタール王国に行っても、一つの商店だけに儲けさせてはダメよ。気に入るかどうかもあるかもしれないけれど、あちこちに贔屓のお店を作りなさい。
その方が王太子妃の評判が上がるわ。商人と接すれば庶民の噂にもなるでしょうし。偏っていると不満が出て、そこから要らぬ噂を流されても困るから」
「わかりました。でもまだ買うんですね」
「当たり前よ。まだ足りないわ。次はコートを買いましょうね。ドレスも足りないと思うから別の店から買いましょう」
「コートまで!今あるので良いじゃない。5着もあるわ」
「ダメよ。新しいのを持って行かないと。王太子妃が自由に使えるお金がどれだけなのかわからないけれど、それが無くても大丈夫って感じにしないとね。嫁いでいきなりドレスやコートを買い始めたら何を言われるか。
うちがお金を持たせても良いんだけど、商人にこれは家から持ってきたお金です、なんていちいち言えないわ。ちょっと買ったくらいで嫁いで直ぐに散財する王太子妃、なんて言われたくないものね。庶民も臣下もシルフィアに馴染んでから使いなさい。
もちろんある程度のお金は渡すから。城下でちょっとしたものを買ったりするのに使いなさい」
母はシルフィアを心配して言ってくれている。それが嬉しかった。慣れない土地、国での生活。受け入れてもらえるように努力はするが、それが実になるのはいつになるかわからない。これが王女だったなら別だろう。政治的背景が見えるのだから。しかしシルフィアは公爵家だ。いくらマフィージ王国の筆頭公爵家で、領地も多く収入が多いとしても、人の感情には限界がある。
それだけ厳しいところに嫁ぐのだと改めて感じた。しかも必ず子を成さねばならない。急に不安になり持っていたカップを机に戻す。
「不安そうね。不安になるなとは言わないわ。でも気負い過ぎてもダメよ。あなたはあなたができることをすれば良いの。自信を持ちなさい。私はシルフィアなら立派な王太子妃に、いずれは王妃になれると思っているわ。それだけの知識はあるもの。作法も完璧だわ。あとは経験だけ。それは公務をしながら身に着けたら良いのよ。
初めから完璧な王太子妃なんていないわ。メラニー王妃なんて王太子妃時代に嫁いで直ぐに開いたお茶会で、まさかの登場して直ぐに転んだのよ。慌てて助けに行ったのを覚えているわ。
少しの失敗くらい気にしないこと。堂々としてなさい。サイレス様があなたを選んだのだから。それだけは何があっても変わらないの。サイレス様を信じなさい。必ず幸せな夫婦になるわ。私の娘ですもの」
そう言って母は笑った。それだけで心がほぐれていく。父も尊敬しているが、母はそれ以上の存在だ。メラニー王妃は古くからの母の友人で、その縁もあってシルフィアがベンソンの婚約者に選ばれたのだが、先日泣きながら謝罪をされて戸惑ってしまったのを思い出す。
そうか。まずは自分ができることをやって行こう。完璧じゃなくても良い。いずれは完璧にこなさなければならないが、嫁いで直ぐにそうじゃなくても良いのだ。
一口お茶を飲むとほのかに花の香りがする。これはサイレスから送られてきた茶葉だ。サイレスが管理している領地の特産品らしい。
少しずつクレメンタール王国に馴染んで行こう。直ぐに染まるのは難しい。急ぐ必要もない。
そう考えると気付かずに固まっていた肩の力が抜けていく。クレメンタール王国に行く前にやれることはやる。知識はどれだけあっても困らない。
シルフィアは気合を入れ直すとこれからの日程を考えた。まずはクレメンタール王国についてもっと詳しくなろう。歴史だけではなく各地の特産品や名産品。詳しい気候や地形。国民性も知りたい。
それから踵の高い靴でのダンス。やることはいっぱいだ。
友人たちとお茶会もしたい。王太子妃殿下にも会って話をしたい。それにできればイザークの婚約者もシルフィアが嫁ぐ前に決めたい。イザークは奥手で、でも一途な面もある。姉としてできることはしておきたい。
窓から外を見る。
早くサイレスに会いたい。笑いかけて欲しい。そんな思いを抱えながらあと数か月過ごす期間が、かけがえのない時間になりそうだ。
シルフィアはカップを口にすると添えられている焼き菓子を手に取った。




