王城で事件発生!2
「シルフィア様。昨日面白そうな本を見つけたんですけど読んでみませんか?」
朝食の後、自室で寛ごうとしている時にエメにそう言って差し出された本は、皮の表紙で明らかに古書とわかるものだった。
「ずっとクレメンタール王国についての本ばかり読まれてますから、たまには違う本も良いかと思いまして。昨日たまたま見つけた古書店で買った本なんです」
「エメはもう読んだの?」
「はい。昨夜読み終えました。中々面白かったですよ。大陸の東にあるフランディー王国出身の作者が50年前に書いた本で、フランディー王国を出発してぐるっと大陸を一周する旅行記なんです。
当時のマフィージ王国のことが書かれた章もありますし、もちろんクレメンタール王国についても書かれているんですよ。読んでいるだけで旅をした気分になりました」
「本当にいつも読むの早いんだから。でも、この一冊で何ヶ国も知ることができるのは嬉しいわ。じゃあ今日はこれを読もうかしら」
この分厚い本を一晩で読み終えたのかと感心すると同時に、そんなに早く読むから次々本が必要になるのだと思わず笑ってしまう。
「もう、笑わないでくださいよ。とにかくそうなさいませ。今お茶をお淹れしましょう」
シルフィアがクレメンタール王国に来て一か月半が経っていた。ここでの暮らしにもかなり慣れ、日々楽しい生活を送っている。週三回の歴史の講義もほぼ終わり、最近では雑談をしている時間の方が長いくらいだ。
また、サイレスと一緒に公務として視察も既に4回行っている。養護施設や王国軍の施設などで、皆温かくシルフィアを歓迎してくるので、他国に来た不安が少しずつ消えていくのを嬉しく感じていた。
またサイレスと共に過ごす時間は何物にも代えがたい時間で、日々のふれあいの中、サイレスへの愛情が際限なく溢れ出てくるのを、どうやって伝えたら良いのかと楽しい悩みが増えるばかり。
もう直ぐ結婚式だ。母国から両親と弟妹、そして友人たちが来てくれる。王太子夫妻も出席してくださるとのことで、久しぶりに会う大切な人たちに、シルフィアが幸せである姿を見てもらいたい。
結婚式の準備もほぼ終わっている。ドレスや宝飾品はマフィージ王国から持ってきているので、後はブーケの完成を待つばかり。サイレスからブーケはクレメンタール王国で準備すると聞いていたのだが、昨日はその試作品を見せてもらい、その豪華さに圧倒された。
国花であるラッテを使うとは聞いていたが、そもそもラッテが大輪の花なので、手にしたブーケはずしりと重かった。これが王太子妃になる重みだと言わんばかりの重さで、片手で持つことに苦労していたら、花屋に左腕で抱えるように持つようにと言われた。クレメンタール王国の貴族や王族の結婚式では、皆同じような大きさのブーケを持つため、抱えて持つ人が多いので大丈夫と言われた時には安堵したほどだ。それでも重いのには変わりはないのだが。
シルフィアが本を1ページ開いた時だった。ルーラが青い顔をして部屋に入って来た。王太子宮の庭から部屋に飾る花をもらってくると言って出て行ったはずなのに、手には何も持っていない。
「どうしたの?そんなに青い顔をして」
シルフィアが話しかけると今にも泣きそうな顔でルーラが崩れ落ちた。そこにエメが駆け寄り背中を撫でている。
「また、置物がなくなりました・・・・・」
「え!また?」
「はい・・・・・」
ルーラの声が弱々しい。金の小鳥の置物がなくなってから実は今回で4回目だ。2回目は議会室がある廊下に飾られていた置物で、小さなアメジストをいくつも使用して作られた馬の像だった。それも鞄に入れてしまえばわからない程の大きさのもので、いつの間にかなくなっていて、掃除をしようとしたメイドが無くなっていることに気が付いた。
3回目は王城庭園に繋がっている廊下に置かれていたもので、青銅で作られた女性の像。青銅自体は高いものではないが、女性像の耳に付けられている宝石がサファイアで、そのサファイアが小指の先ほどの大きさで希少価値が高いそうだ。
どれも高価だが、気軽に見たり触ったりできるように置かれていて、日常に溶け込んでいるものばかり。それらがいつの間にかなくなり掃除メイドが気が付くといったのが続いている。
そして今回で4回目。さすがに紛失では収まらない。しかもルーラの様子がおかしいことにシルフィアは嫌な予感がした。
「ルーラ。何があったの?」
シルフィアはルーラを落ち着かせようと静かに問いかけた。
「今回なくなったものは、王城のエントランスに飾られていたオルゴールです」
「オルゴール?」
「はい。現ガーナット国王陛下が一昨年に来国された際に陛下に贈られたもので、木で作られたオルゴールの上に、エメラルドとダイヤで作られたラッテが載っていました。
時々そのオルゴールの音色を聴きたくて触る人がいるそうですが、今回もいつなくなったかはわからず、やはり掃除メイドが気付いたそうです」
「ガーナット王国は精密機械が盛んだものね。そう言えば、それは私も見たことがあるわ。そんな由来があったのね。それでそんな深刻な顔をしているの?」
「いえ、それが・・・・・」
「何か他にもあったのね?」
ルーラが俯きながら頷いた。
「王城担当侍従長が、シルフィア様と話がしたいそうです」
「っ!!!」
「どういうことなの?」
エメがシルフィアに問いかけた。
「今までこういったことがなかったので、それが、」
「私が疑われているのね?」
「そういうのではないのですが、とりあえず話がしたいと」
「わかったわ、呼んで来てくれる?」
「はい。直ぐに」
ルーラが走り出て行った。
「シルフィア様」
「私に疚しいところはないから大丈夫よ。それに、あのルーラの様子では私が疑われているのは間違いないでしょうね」
「そんな!そのような失礼なことを!」
「大丈夫。何もしていないもの。それに、サイレス様が信じてくださるわ」
そうは言ってみたものの、正直不安でしかない。部屋を探してもらっても問題はないが、一度持たれた疑心はどう転がるかわからないのだ。
エメと二人で静かに待っているとルーラが数名の人を連れて戻って来た。
「シルフィア様。王城担当侍従長のカリオロと申します。少しばかりお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
丁寧な物言いだが、どこか疑うように見ていると感じるのは気のせいではないだろう。
「ええ、構いませんよ。困ることは何もありませんから」
シルフィアは敢えて先に自分に問題はないことを強調した。
「そうですか。王城で置物が消えている事件はご存じですか?」
「ルーラから聞いています」
「それがいつから始まったことかは?」
「私がこちらに来てからでしょ?回りくどいことは言わなくて良いわ。私を疑うなら部屋を探してもらって構いませんよ。私は一人で外出もしていませんし。
それからエメが関与していると思っているのなら、エメの部屋も探してください」
横でエメも頷きながら侍従長に部屋の鍵を渡している。
「そうですか。では大変恐縮ではございますが、念のため確認させていただきます。ご不満もありますでしょうが、これも潔白を証明するためとお受入れください」
「そうね。ご自由にどうぞ。私もエメもここから一歩も動かないから、そちらで人を入れて確認してくださる?」
「そこまでしていただかなくても大丈夫ですよ。シルフィア様がそのようなことをなさるとは私たちも思っておりません。疑う人が出ないようにと念のためのことですので」
そうだろうか?シルフィアが部屋を調べても良いと言う前に、数人引き連れて部屋まで来ておいて、疑っていないと言われてそのまま受け入れることは難しい。シルフィアはエメを隣に立たせて動かない姿勢を見せた。
敵対したいわけではない。しかし疑われる覚えもない。少しずつ受け入れてもらっている最中の出来事に、シルフィアは得体の知れない不安と憤りを感じた。
カリオロが指示を出すと、侍女たちが部屋のあちこちを確認し始めた。クローゼットルームは特に念入りにしたいのか、3人体制で入って行った。その他にも部屋のあちこちを調べられることにいい気はしない。カリオロは女性の部屋ということもあってか動くことなく指示を出している。しかしその目はシルフィアたちを見据えている。
疑われているな、というのが正直な感想だ。念のための確認にしては大人数で部屋の捜索をしている。連れてきたうちの2人はエメの部屋へ行かせたのか、一人が受け取った鍵を握りしめて出て行った。それにエメも僅かに不快そうに眉を顰めている。
ルーラが扉の横に黙って立って、不安そうにシルフィアを見て来る。それに大丈夫と目で話すと少し落ち着いたのか、今度はバタバタと部屋を動き回っている侍女たちを目で追い始めた。
クローゼットルームに飾っておいたウエディングドレスを出してきて捲ってまで調べ始めた時には、さすがに眉を顰めた。軽々しく触って欲しくない。家族と一緒に選んだウエディングドレスは絹をふんだんに使っており、清楚さと愛らしさが混在したデザインで、マフィージ王国でいつもシルフィアのドレスを作ってくれていた工房の自信作なのだ。
日々クローゼットルームでそのウエディングドレスを眺めて来る日を夢見ていたというのに。隣でエメが静かな怒りに震えていることに気付いたシルフィアは、そっとエメの腕に触れ大丈夫と口にした。
どれだけ経ったのだろうか。全員がカリオロの前に整列し、何かを小声で話している。
「シルフィア様。大変失礼致しました。この部屋に異常はありませんでした。お付きの侍女の方の部屋も同様です」
「そうですか。ではもうよろしいかしら?」
「はい。それではゆっくりお過ごしください。失礼いたしました」
カリオロは侍女たちを引き連れて部屋を出て行った。しかし、その目は疑いは晴れたものの、何か気になることがあるような目だった。
とりあえず安堵の息を吐く。とても嫌な時間だった。人に疑われるような悪いことはしていない。そもそもシルフィアは盗んではいないし、疚しいことはない。それでも人から疑われるのは気持ちの良いものではない。これから新しく築くはずの良好な関係に影を落としかねないからだ。
サイレスの耳に入ったらどうしよう。きっと信じてくれるはず。けれど、犯人が見つからなければ、他国から来た人間が疑われるのは当然かもしれない。今までそのようなことはなかったというのだから。
誰かがシルフィアへ悪意を向ける為にしている?でも、シルフィアに対しての嫌がらせとは思えない。窃盗という危険な犯罪を犯してまでやることだろうか?もし正当な捜査で犯人が判明すれば、企んだ本人の立場が悪くなるのは間違いない。
じゃあ何故?考えてもわからない。ただただ不安が押し寄せて来る。もし犯人に仕立て上げられたら?サイレスとの結婚がなくなるだけではなく、マフィージ王国に帰ることも出来ず、この国で裁判の末投獄される可能性がある。
「ちょっと一人にしてくれる?」
シルフィアは二人に声をかけた。
「かしこまりました」
エメがルーラを促し退出した。不安で不安で堪らない。悪いことはしていない。堂々とすればいい。だけど、それを難しくしているのはやはりこの国に本当の意味で慣れていないから。
ベンソンと対峙し、婚約破棄を突きつけられた時はマフィージ王国だった。周りはシルフィアのことをよくわかっている人ばかりで、王城で働く人たちもシルフィアに好意を持ってくれていた。友人たちも側にいてくれた為心強かった。
でも今はどうだ?味方は何人いるだろうか。エメは必ず味方になってくれる。きっとサイレスも。ルーラだって味方をしてくれるだろう。
だけど、国王や王妃、フローラはどうだろうか?あんなに温かくシルフィアを迎えてくれたのに、それを裏切るような形にはしたくない。
この一か月半、城内で出会う人たちに率先して声をかけた。その為、シルフィアと笑顔で話してくれる人たちが少しずつ増えて来ていた。護衛をしてくれている近衛騎士もそうだ。
視察先で出会った人たちも、シルフィアが行くと喜んでくれた。
それらが目の前で崩れるのだろうか?シルフィアは目を閉じ、一人一人の顔を思い出した。
怖い。
目に見えない人の思考というものはやっかいだ。カリオロだって異常はないと言っておきながら、その目はどうだった?完全に疑いが晴れたようには見えなかった。
本来そこまで疑われる覚えはない。近衛騎士に聞けばわかるはず。シルフィアがどこかに行く時は必ず付いて来る。おかしなことができるわけがない。夜だってそうだ。外には護衛の騎士が交代で付いている。
完全に一人きりになるには、今の様にエメたちに部屋を出てもらうしかない。それでもカリオロの目は納得しているようには見えなかった。
カリオロと会ったことはなかった。今過ごしている場所は王城内とはいえ、付いているのは王太子宮担当として配属されたルーラがシルフィア専属として付いてくれているのと連れてきたエメのみ。その他は初日に片付けを手伝ってくれた侍女たちと、入浴の際にお湯を運んでくれるメイドたちにしか正式に挨拶を交わしていない。
だから見かけると挨拶をしたり、時には会話したりをして知っている顔を増やしている。王城担当の侍従長ということは、カリオロはきっと議会や大臣たちの担当使用人のまとめ役なのだろう。
それでもまず挨拶をしておくべきだった。いや、本来なら王城担当侍従長がシルフィアに挨拶に来るのが正しい。シルフィアはただの客人ではない。王太子の婚約者としてここにいるのだ。
これから王城で働く時には会うこともあるだろう。そのカリオロが挨拶に来なかったというのは、シルフィアが王太子妃になることを認めていないのかもしれない。まだそういった人たちがいることは知っていたが、いざ目の前にすると、悲しみと不安が増す。
シルフィアから挨拶に行けば良かったと後悔してももう遅い。今は犯人が捕まることを祈るしかできない。それから、もう一度王城内で働く人たちとの良好な関係を構築する。それを念頭に行動しなくてはならない。
「シルフィア様」
そこへ声をかけて来たのはエメだった。退出したはずのエメがポットを手に側に立っている。
「気づかなかったわ」
「お茶をどうぞ」
エメが新しくお茶を淹れてくれる。
「落ち着いてください。シルフィア様は何もしておりません。私もです。きっと捜査隊が犯人を見つけてくれます。それまでの我慢です」
「でも、もし私たちを犯人にしようとしている人がいたら」
「どこにもそんな証拠はありません。証拠がなければ犯人にすることもできません。もちろん状況証拠と言われる可能性もありますが、そんなものもありません」
「そ、そうよね」
「珍しく弱気ですね。他国に来て不安になっているのでしょう。確かに私たちはまだ本当の意味でこの国の人間ではありません。でも、悪いことはしていない。疑われるようなことも。
もし、サイレス殿下も疑われるようでしたら、帰国しましょう。シルフィア様を信用できない人に嫁ぐ必要はございません」
そう言ってエメは笑った。シルフィアは頼もしいエメの為に、頑張るのは自分だと言い聞かせると、ゆっくりお茶を飲んだ。
シルフィアに退出を促されたルーラは黙って部屋の扉を見つめた。一緒に退出したエメはお茶を淹れると言って部屋に入って行ったきり出てこない。どこかまだ信頼されていないところがあるのかとルーラは涙を拭った。
それはそうだろう。何年も前から側に仕えていたエメと自分が一緒のわけはない。頭ではわかっているが心が追いつかない。サイレスに王太子妃専属侍女に専任された時は嬉しくて仕方がなかった。
家族との関係が悪いルーラにとって、仕える人がルーラの存在を認めてくれる人なのだ。仕事で信頼を得ることが、自分がこの場所にいても良いと思える唯一の方法なのだ。
そんなルーラにとって、王太子妃専属に選ばれたことは憧れが現実に変わった瞬間で、誠心誠意を込めて仕える気持ちに偽りはない。そして実際会ったシルフィアは美しく聡明で、また使用人にも配慮ができる人柄で、ルーラは瞬く間に好感を持ち、この方にお仕えしたいと強く思ったのだ。
シルフィアの信頼を得たい。エメと同じとはいかなくても、それに近しい存在になりたい。それはシルフィアが王太子妃になるからではないと今は思っている。シルフィアという人が好きなのだ。もし、シルフィアがサイレスと結婚せずにマフィージ王国へ帰るとしたら、一緒に付いて行きたい。
それくらい入れ込んでいる自分にルーラは当然のことと思った。ブルーラ領の城での仕事も楽しかった。皆優しくて明るく、和気あいあいとした雰囲気の中仕事ができていた。領内も活気があり、過ごす面でも申し分ない。しかしどこかで物足りなさを感じていた。
ブルーラ領では誰か一人に仕えるということはなかったのだ。たまに来るサイレスに付くこともあったが、それも一時的なもので、全体の侍女の中一人でしかなかった。
それが王太子妃専属侍女に抜擢されたのだ。それだけの資格も知識もあるが、より多くを学ぶ必要があるのは覚悟していた。それでも嬉しい話で、考える間もなくその場で受けた。
そして会ったシルフィアは、正にルーラの理想だった。自分はこの方に仕える為にこれまで頑張って来たんだと思ったほどで、心の中にわだかまっていた家族なんてどうでもよくなった。
実家の商家を継げないと気付いた時の絶望なんて小さなもので、ルーラの天職はシルフィアに仕えることだとさえ思ったのだ。
けれど、まだシルフィアに完全に信頼されていない。いや、信頼はされているだろう。しかし、シルフィアのことをまだ理解できていない。
だから部屋の外に出るように言われた時にはそういった気持ちになる時もあるだろうとしか思えなかった。だがエメは部屋から出ると厨房に行き、お茶を淹れる為に部屋に入って行った。きっとあれが正解だったのだ。一人で落ち着きたい時間が欲しい。けれど、そこに信頼する人間からお茶を出され、一口飲めば心が落ち着く。
まだルーラはその域には達していない。だけど、このままではいけない。シルフィアを心配する気持ちはルーラだって負けてはない。仕える時間が長い短いではないのだ。
ルーラはフラフラと歩き出した。
「ちょっとお時間よろしいですか?」




